清風 2011年3月

テーマ:清風 【住職】

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<可愛さも 可愛くなさも 引き受けて 日々少しずつ 親になりゆく
                               (朝日歌壇より)>

 中国とインドに挟まれたブータンは、国民総幸福量(GNH)と呼ぶ
独自の経済指標を使って、国づくりを進めている。
経済成長を優先し、リーマン・ショックで傷ついた世界各国は、
この試みから何を学べるだろう。
 ブータン国立研究所 カルマ・ウラ所長に聞いた。
「日本経済新聞」(2010年10月18日(月))より

<ウラ所長>
 経済成長率が高い国や、医療が高度な国、
所得や消費が多い国の人々は、本当に健康で幸せだろうか。
先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。
地球環境を破壊しながら成長を遂げて、豊かな社会が訪れるのか。

 他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは、
人間が安心して豊かな気持ちで生きる上で、欠かせない要素だ。
米欧の地方自治体では、GNHの考え方に基づく政策が浸透しつつある。
金融危機で関心が一段と高まっている。

<記者>
 とはいえ、市場と競争が活力の源泉では?

<ウラ所長>
 1人ひとりが自分の心に自問してみれば、答えは違うはずだ。
世界各国の政治指導者が、
国民の幸福度について真剣に語り始めている。
GDPの巨大な幻想に気づく時がきている。

 GNHを計測する指標
  ①心理的幸福 ②健康  ③教育  ④文化  ⑤環境  ⑥コミュニティー
  ⑦よい統治  ⑧生活水準 ⑨自分の時間の使い方

 GNPで計測できない項目
  例えば、心理的幸福を測る場合、
  正・負の特定の感情を心に抱いた頻度を聞く。
   正の感情は ①寛容  ②満足  ③慈愛
   負の感情は ①怒り  ②不満  ③嫉妬

ブータンを訪ねて 2011年3月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】


ブー:雷龍の意  タン:国の意(パキスタン等のタン)
ブータン:雷龍の国                 

 1月14日~22日まで、ブータンとネパールを訪ねてきました。
今回はブータンについて記すことにします。

 位置:北にチベット、南はバングラデシュ。
     ブータンとバングラデシュの間に紅茶で有名な
     インドのダージリン地方が入りこんでいる。
 広さ:ほぼ日本の九州くらい。人口67万人。
 宗教:チベット仏教のドゥク派を国教とする国。
        チベット仏教をラマ教ともいうが、
        ラマとはチベット語の「師」の意味。
     チベット仏教は、チベットの習俗と深く結びついた
        独特の仏教(密教)である。

 とにかくブータンは標高が高く、
なにしろ空港でも標高2300メートルのところにあり、
4000メートル位の山は「ローカル・マウンテン」というわけで、
名前もないという国です。

訪れたのが冬でもあり(日本も今年は異常気象なのか寒いが)、
冬のブータンは、感じとしては墨絵の世界とでも形容できようか、
寂かであり、ゆったり、ゆっくり、ゆとりそのもので、
時間の流れが違うという感じでした。
寺は「ゾン」と言われており、僧侶の姿も見かけましたが、
どこも静かで落ちついた雰囲気でした。

 ブータンは仏教国として、独特の国是を掲げています。
日本などがG7などと言われているように
GNP(国民総生産高)を基準として、
先進国と称してG7以外の国を発展途上国などと呼んできました。
要するに、国民がどれだけ生産したかが国の基準とされています。
しかし、GNPというモノサシが
国をはかる基準として果して適しているかどうか…
公害・不登校・自死・過労死など、
そのマイナス面が注目されるようになり、
GNPのみをモノサシとすることが
我が国でも疑問視され始めています。

『どれだけ、消費すれば満足なのか』(ダイヤモンド社発刊)
という本もあるように。
 ブータンでは、国の独自の目標を
GNH(グロス・ナショナル・ハピネス)としています。
国民総充足度とでもいうのでしょうか。
国民がどれだけ幸せを感じているか。
仏教の教えに立って、幸せとは
国民1人ひとりの生活の充足感・充足度であるというわけです。

 短期の滞在ですし、
現地の添乗員から少しの時間で聞いたりしてきただけですが、
生活環境の静けさ、時間に追われるのではなく、
時間をかけて生活している様は、今後の日本を考える上でも、
文化力(人間の品格、人との付き合いと余暇など)の
課題だと思いましたし、
人が生きるという点からも、考えさせられた旅行でした。

お庫裡から 2011年3月

テーマ:お庫裡から 【坊守】

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最近、孫達と将棋をすると、
難しい計算問題を解いた後のような
頭痛(痛いというのではない)がします。
それが「ああ、私、今、頭を使っている、
脳が働いた」と感じる快感となって、
毎日将棋の相手をしてもらおうと孫達の帰りを待っています。
ここ連日、厳しい寒さが続き、雪まで降って絶好の将棋日和。
なのに、順調に成長している孫達は、
帰宅するとすぐお友達の所へ遊びに行ったり、遊びに来たり。
雪の降る日は雪だるまだソリ遊びだと、外へ飛び出していく。
「そんな寒い事はやめて、将棋をしようよ」
という私の声など聞こえるはずもない。

くたくたになって帰って来る孫達を見ると
「ああ、今日も望み薄だ」とガッカリ。
都合よく相手をしてくれるとなると、パッ!と顔が輝く。
2人に相次いでこてんぱんにやられる事が多いけれど、
たまには逆の事もある。
誓くんと長期戦(30分位)になると、「ネー、銀動かしてよ」。
考え込むと「ネー、早くしてよ」。
劣勢になると「僕、もう飽きた」
「エー!チョ、チョ、チョット。そんな事言わないで、
せっかくここまできたんだから、ネ」
「チェ、仕方がない。負けてやるか。
でも、これは僕、弱気でやったんだからね。弱気だったんだからね。」
「はい、はい。よーく判っております。ありがとうございました。」
神妙に頭は下げている。その私の全身が笑っている。
だから将棋がやめられない。
(そして、頭はしっかり働いたサイン)孫達とのバラ色の時間。

本当に幸せなことです。

(トランプの神経衰弱、私の最も苦手とするゲーム。
なんとここ2回続けて誓くんに勝ったのです。
去年の夏から始めた将棋が脳に刺激を与えたのか、
誓くんが弱気でやってくれただけなのか、単なるまぐれか
。私的には、他人様に報告したい程の快挙なのです。)

今月の掲示板 2011年3月

テーマ:今月の掲示板

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 大根の味  榎本栄一
  大根はいいなぁ
  味がないようで 味があり
  私は この年になって
  まだ大根の味が だせないようだ

 大悲の風  榎本栄一
  わかりにくいが
  私のあさましさに
  合掌したら
  どこからともなく
  吹いてくる

 日に日に出会う
 いろいろなことの 味わいが
 私には 百味のおんじき
 ときには すこし 苦みもあるが  榎本栄一

 うぬぼれは
 木の上からボタンと落ちた
 落ちたうぬぼれは
 いつの間にか また木の上に登っている  榎本栄一

 ささいなことに驚く力を取り戻すと
 一見退屈な日常が かがやいてくる

 はて さて 困ったことには
 知っていることは何の役にも立たず
 肝腎なことは何にも知らない   ゲーテ「ファウスト」

 「どうせ」からは愚痴が出る
 「せっかく」には人間の力みが残る
 「だからこそ」には仏様の慈悲と願力のはたらきがあるから
 飛躍がある

 人生は失敗の連続じゃ
 それしかないのじゃ
 だから失敗以外にないのだから
 人の言葉を恐れず
 今の一歩を支えにして
 次の一歩を踏み出せ    大石法夫

 今が一番いいんだよ
 あの時こうだったら というものはない
 今、この時間に 永遠のいのちがある
 いつでも、今 全力投球  大石法夫

 仏教は、人間奪還の運動である

本堂に座って 2011年3月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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 ふだん、あまりテレビを見ない(見せてもらえない!?)
うちの子どもたちですが、ときどき、夕方の30分程度、
教育テレビの番組を見せてもらっています。
大人の目からはあまりピンと来ない様な
(でも子どもたちは真剣に、時に笑いながら見ている)
アニメなどの番組ですが、
ふと聞こえてきた歌の歌詞がとても気になってしまいました。

  なぜ 人は誰かと
  比較をしたり
  競争するの?
  なぜ 人はみんなと
  同じゴールを
  めざしているの?

  人だっていろいろいる
  顔やかたちが違えば
  別の道
(秋元 康 作詞「かたつむり」より一部を抜粋して掲載しました。)


 あらためて聞くと、ドキッとする様な歌詞です。
あまりにも当たり前すぎて疑問を持つこともなかったことを、
あえて聞かれているようにも思います。
私たちは、人と比べることで、
「上下・損得・善悪」など、
自分の位置・状況などを確認しています。
小さいころから競争に「勝つ」ことを良し
(「負ける」ことはダメ)としています。
「個性を大事にする」と言いながら、
勉強や運動が苦手、とか、落ち着きがない、
といった「個性」は認めてあげられません。
知らず識らずのうちにそんな価値観が当たり前になってしまって、
なぜ比べるの?と聞かれると、答えに困ってしまいそうです。

 運動と歌があまり得意でないかいくん(先月号の「快晴」参照)は、
本を読むことやモノを作ることなら負けません。
将棋を始めてみて極度の負けず嫌いが発覚したせいくんは、
正義感が強くて(かいくんのいない時には)ありちゃんととても仲良く、
手を引いたりやさしくしてくれます。
豪快そう(?)に見えて案外気が弱く細かいところのあるありちゃんは、
とても気が利いてドアが開けっ放しになっていれば閉めに行き、
率先して片付けをしてくれます。
そんな3人が、ケンカをしたり一緒に本を読んだり遊んだり…
できることできないことを比べたら当然差がありますが、
そんなことは大したことじゃないと、日々教えてくれている様です。
 遊んでいる時に、せいくんやありちゃんが
「なぜ、ひとはだれかと~」と口ずさんでいるのを聞くと、
それはそれでドキッとしてしまいますが…。

今日も快晴!? 2011年3月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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 この3月に次男の誓は子ども園を卒園し、
いよいよ4月から小学生になります。
子ども園に馴染めず、
事あるごとにお休みしていた長男の開とは違い、
誓は入園した日から一度も泣かずに元気に園に通い、
沢山のお友だちと遊び、
先生との懇談会でも何も相談するようなことが無く、
気がついたら本当に何の心配もないお利口さんでした。

 しかし、私はそのことに長く気づかずにいました。
家では、誓はやんちゃな次男坊キャラで、
5歳までおっぱいを在ちゃんと取り合い
(実はいまだにこっそり「飲みたいな~」と言ってきます)、
おねしょは毎晩のお約束だし、兄妹げんかは激しいし、
達者な言葉や態度に比べて、
内面はまだまだ幼い印象を受けます。

大きな声にだまされて(どんな豪快な子かしら?)
と思えば意外に小心者で、
恐竜のドキュメント番組などを見て最初に「怖い・・・」と
テレビの前から逃亡する一面もあります。
毎晩在ちゃんと私の両脇からお腹を触って寝付くので、
お腹の触る面積の取り合いで、
寝る直前まで大喧嘩をしています。
こちらに余裕があれば
(本当にこの子は面白いなぁ。かわいいなぁ。)と流せますが、
疲れずに生活するのは不可能なので、
受け止めきれないときもあります。
 大人しい開に比べて、誓は全く人の話は聞かないし、
自己主張は激しいし、あきらめが悪くしつこく
(例:今年の誕生日プレゼントはランドセルだと言い聞かせてあるのに、
「ベイブレード買って~」「トランスフォーマー買って~」
「ガンダムのプラモデル買って~」と、毎日リクエスト
&毎日毎日「テレビ見たい」「テレビ見たい」と言い続け、
こちらが根負けしていくつかのDVDやテレビが解禁)、
もう少し大きくなったら、ゲームを買う、買わないで、
誓と大喧嘩をしなくちゃいけないだろうなぁ・・・と
今からブルーな気持ちになります。

本当に、開と誓(あ、在ちゃんも!)がいることで、
(兄弟でも、全然違うんだなぁ)
という当たり前のことに気づかされます。
 先日「誓はやんちゃで手を焼いているよ~」
いった相談を友達にしたところ、
こんなメールをもらいました。
『1人目は親の期待に答えようと思うけど、
2人目はおかまいなしだからね(笑)。
でも、そうやって親は2人目に育てられていくんだよね。
渡辺家が開くんみたいなおりこうな子ばっかりだったら、
悩んだりしなくて済んじゃうよね、きっと。
誓くんに感謝だね(*^_^*)。
うちは世間とは逆で、長女が超大変なんだけど、
それを見て育ってる次女は
「ママが可哀想」って、いつも優しくてさ。
もし次女だけだったら「育児なんてチョロいもの」
って思っちゃっただろうなーと思うと、長女に鍛えられてるのよね、私。
泣いて悩んで勉強させられてます。』
 そうか。私も同じだった!
素直で聞き分けの良い開は、
開個人の資質でそうなっているのに、
私はそれを(自分の育て方が良かった)と、
自分の手柄にしてしまうところだった。
全くキャラの違う誓がいてくれるからこそ、
私はうぬぼれずに済んでいるんだなぁ。
親の思い通りになる子が良い子じゃないと、
口では言い、頭では思いながら、
やっぱり心の片隅のどこかで私は
(子どもに、自分の言うことを聞かそう)と思ってしまっています。
言うこと聞かない、自己主張の固まりのような誓も、
私を育てて下さる大切な仏さまだったのだと、改めて気づかされます。
本当に、宝物のような子どもたちです。
ありがとう。ありがとう。

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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