清風 2011年4月

テーマ:清風 【住職】

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<おなかから ケンカの声も聞こえてる? 
             あなたの2人の姉さんたちの
                               (朝日歌壇より)>

いのち あることを よろこぼう
これは、今回の東日本大震災の被災者避難所の黒板に
中学生の書いた言葉で、
非難した方が励まされていると紹介されていた。
(3月16日頃、避難所を映しだしていたテレビの画面から)

テレビを見ていた私自身、本当にそうだなぁと思い、メモした事でした。
まだ原発の問題もあり、
将来の見通しも立たない中での言葉であるだけに
すごいということと、私どもは震災から遠く離れたここ豊田にあって、
「いのち あることを よろこぼう」なんていうことは、
思ってもみないで日暮らしをしているからです。
 今度の震災には、「想定外」という言葉が使われています。
震度・津波・原発事故、全て「想定外」というわけです。
恐らくそうだろうと思います。
進歩という言葉が表しているように、
私どももその自然の中に生きているにもかかわらず、
自然を人間が利用する対象としか考えてこなかった結果が、
この「想定外」という言葉が飛びかっている現状を
物語っているように思います。

 「いのち あることを よろこぼう」、
これこそが進歩の幻想の中で
忘れ去ってしまっていたことを教えている言葉であり、
生きることは、こうした人と人を結びつけていく
言葉を紡ぎたてるとき、成就していくのでしょう。

 4月10日に催します、恒例の
「花まつり チャリティ 筍コンサート」の純益を、
この度の震災で被災された方々への
支援金に充てさせていただきます。
それは、少しでも震災の被災者の方々の
力になればという意味もありますが、
このテレビで放映された言葉こそが、
日常生活の中でまったく見失っていた、
生きることの根底にまず見出されねばならない事実を
言い当てている言葉だと思うからです。
 皆さまの参加で、コンサートを成功させてくださる様、お願いします。
住職 敬白

『正信偈』のはなし 2011年4月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】

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「生きていてよかった」といえる人生を生きる
 -『正信偈』のはなし No.185

源信広開一代教 偏帰安養勧一切 
専雑執心判浅深 報化二土正弁立

極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我

 「源信、広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して、一切を勧む。
専雑の執心、浅深を判じて、報化二土、正しく弁立せり。
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。
我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障(さ)えて見たてまつらずといえども、
大悲倦(ものう)きことなく、常に我を照らしたもう、といえり。」

 「清風」面に紹介した言葉
「いのち あることを よろこぼう」を、皆さんはどう読まれましたか。
今、『正信偈』の源信章を読んでいるのですが、
「偏帰安養勧一切(ひとえに一切の人に安養に帰すよう勧められた)」といわれる
「安養」とは浄土の世界です。
では、浄土とはどういう所でしょうか。
それを一言でいうならば、「いのち あることを よろこぼう」
という境地のあることを教えているということです。

 災害のど真ん中にある…つまり、誰も望んではいない状況ということでしょう。
しかし、そこにあってしか出てこない言葉、
(日常に対する)非日常性の中にあってしか発せられない言葉、
それがこの言葉でしょう。
日常性とはすぐ退屈につながっていきます。
非日常からすれば、日常性こそ願わしいことに違いありません。
「先が見えない不安」という言葉が、
今回の被災地からの放送の中でも絶えず使われている言葉です。
では、平穏な日常の生活の中で、
私どもはどんな「先」を描ききれているのでしょうか。
これも被災地の中学生から
逆に問われていることと言わねばならないでしょう。

 源信僧都は、安養(浄土)こそ、
ひとえに帰すべき立場だと言われているのです。
浄土とは、変化にあっては不変を、
不変にあっては変化を望まずにはいられない私どものあり方を、
一度真っ直ぐに見つめなさいという
仏からの私どもへの呼びかけなのです。
なぜなら「穢土(浄土に対する言葉、
人間のそれぞれの思いによって作り出されている世界)」にあっては、
上に挙げたようなことは考えもしないことだからです。
ちょうど、初めて鏡で自分の顔を見た子どものように。
 鏡とは、自分の顔を映し出すものです。自分の顔でありながら、
鏡を使わなければ分からない…
それが鏡のハタラキと言えるのですが、
同じように、自分が立っている場は、
やはり鏡がなければ分からないと教えられた者、
それが仏教者のことであったのです。
念仏は自分の立脚地を映し出す鏡であるのです。 
(つづく)

お庫裡から 2011年4月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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3月は別れの月。卒園する誓くんから、
「おじいちゃん、おばあちゃん、卒園式(予行練習)に来て下さい」
と招かれました。
最近は、幼稚園から大学まで、入学式・卒業式に両親そろって、
というのは当たり前で、祖父母まで来てしまう。
1人の子どもに同伴の保護者が多いという現象をニュース等で報じています。
誓くんのこども園でも、42人の卒園児に両親・兄弟・祖父母まで来ると
ホールに入りきれないということもあってか、去年から
「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒の卒園式」が行われています。
せっかくのお招きなので、喜んで出席致しました。

先生方の演出の力と
儀式を懸命にこなしている小さな子どもたちの姿に、
ついつい熱いものが込み上げて頬をぬらしました。
この頬をぬらす熱いものは何なのでしょう。

感動・歓喜・慙愧・慟哭、これは人間しか味わえないもの。
ようこそ、ようこそ、人の身を頂けた。そのことを本当に尊く思います。
日々、沢山の出会いをさせて頂くことを、本当に嬉しく思います。
今、こうして在ることは、豊かな豊かな繋がりの中に、
もうすでにおらせて頂いている。ああ、本当に勿体ないことです。
この私は、それをすぐに忘れ、
自分を立て、その心につかわれております。

今月の掲示板 2011年4月

テーマ:今月の掲示板

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  悲しいことに
  善いことをしていると思うだけで
  口が大きくなって
  他人を呑みこんでしまう

  他人の意見への同調ではなく
  自分の頭と言葉で考えること   西島藤彦

  夢がない貧しさはみじめですが
  希望のある貧しさは耐えられる
  明日やることが見えているのは
  いいものだと思う        フィフィ

  うばいあえば 足りぬ
  わけあえば 余る        相田みつお

  大切なことは、知ることだよ
  見て、触れて、感じることなんだよ  デーブ・スペクター

  自覚性を持つこと
  主語を自分にすること      森 達也

  死という絶対的なものが
  われわれの生を照らし出し
  もう、くだらないことはやめようと
  教えてくれる

  育児力がなくなったのではなく
  育児関係がとれなくなった
  介護力が足りないのではなく
  介護関係がとれない

  今を犠牲にして
  後からもっとよくなったらという発想をしない。
  人は、死んでいくものだ。
  いまが、一番いいんだ。

  人間関係の中で
  死んでいく 幸せ

  人生50年が80年にのびたのは
  仕上がるのに
  手間ひまかかる難物がふえたからでは

本堂に座って 2011年4月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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ときどき、読み聞かせ会や寺っ子に来てくれている方から
相談を受けることがあります。
子どもたちのことだったり、家庭の中のことだったり、
内容はいろいろですが、どんな場合でも、
心にひっかかるものがある…というのは間違いのないところです。
解決のために、どうすれば
そのひっかかりを無くせるかを考えるのですが、
ちょっと見方を変えてみるきっかけになりそうな文章に出会いました。


 誰でも行き詰まったり途方に暮れることがあります。
そんな時に気分転換や心の切り替えがうまくできる人は、
器用に生きていけるかもしれないけれど、器用な人ばかりではないし、
気持ちの切り替えや器用さだけでは
乗り越えられない問題に必ずぶつかってしまいます。
そこに、癒しではなく「救い」を
求めなければならない理由があるのです。
癒しは、快楽や刺激によって心地よさを味わうことです。
しかしどうあがいても不安が消えなかったり
納得できないことがあります。

 (中略)

どう立ち回っても、生きることは苦です。
だから、不愉快で居心地の悪い現実に向き合い、
事実を受け容れる勇気や知恵を得ることにしか救いはありません。
救いは癒しとはまったく異質です。
(円超寺報『海』2009年9月号より抜粋して掲載)

ひとは、関係のなかで生きている。ぶつかったりすることもある。
友だちを責めることやじぶんを責めることは、
じぶんをキュウクツにしてしまう。
責めれば、だんだん健康なこころとからだがなくなる。
目の前のすべきことだけに全力でいけばいい。
まず深呼吸して、君の一歩を踏みだせばいいんだ。

  (中略)

こころの傷は、だれでもない君であるあかしなんだ。
言い負かされることだって、
君の生きている足あとじゃないか。
よいこともわるいことも、すべて君が生きているあかし。
なにひとつかくしたり、消すことはない。
すべて君の大切なあゆみなんだ。

胸をはっていつもの道をいつものように歩いたらいい。
君はそのままでいいんじゃないか
(『君はそのままでいいんじゃないか』東本願寺出版部発行 より抜粋して掲載)

悩みごとを抱えてしまったときには、ひとまず気持ちを楽にするか、
原因を探してそこを何とかしようとするかに向かうと思います。
しかし、それでは本当の意味での解決にはならないと
2つの文章が教えてくれています。
自分の置かれている状況を変えようとするのではなく、
状況を見つめ直し自分のできることを見つけることが
「救われる」ことにつながるのだと思います。

今日も快晴!? 2011年4月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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 原稿を書いている今日、
東北関東大震災から1週間が経ちました。
日を追うごとに被害の様子が明らかになり、家や家族を失った方、
避難所で不自由な生活を送る方、どんなに辛かろうと思うと、
居たたまれない気持になります。
何かできることはないかしら?と思うのですが、
学生時代のように単身被災地へボランティアに駆けつけるわけにはいかず、
救援物資も個人で送っては迷惑になるし、募金や節電に協力し、
買いだめとかに走らず、日常生活を普通に過ごすことしかないのかなぁと思います。

 また、原子力発電所の事故も、本当に気になります。
こうした事故が無くても、環境への影響などを考えると、
本当は原発に頼らなくても良い社会になるのが一番良いのだと思います。
社会の仕組みを変えるのは容易ではないけれど、
もし自分が総理大臣になったら、こんな社会にしていけると良いなぁという、
一主婦から見た理想の社会を考えてみました。

○海外から輸入された安い食品
(空輸でエネルギー使っているのに、安いって不思議・・・)ではなく、
地元の農家さんが作った野菜やお米、漁師さんが釣った魚を選んで食べる。
○太陽光発電や風力発電など、自然エネルギーをもっと利用する。
○必要以上の便利さ、快適さを求めず、
自分の体を使えば済むことにはエネルギーを使わない。
(自動車産業の城下町にいますが、歩いて行ける所にはなるべく車は使わないように。
また、最近のトイレを見るに、フタは自分の手で上げればよいし、
ジェットタオルも、ハンカチを使えば余計なエネルギーを使わなくて済むのに・・・と思う貧乏性の私。)
○過剰包装、無駄な個包装を止める
(プラゴミばかり増え、大家族には極めて無駄です。)
○24時間営業のコンビニや自動販売機の数を減らす。
(田んぼがつぶれたと思うとコンビニばかり出来る気がします。
子どもが生まれてからほとんど利用しないので、そんなに必要なのかなぁ?と思ってしまうのですが・・・。)
○旦那さんが家族と一緒に夕食を食べられる時間に仕事を終えて帰ってくる。
○子どもにとって父親や母親が必要な期間は、どちらかにちゃんとお休みがもらえる。
その後、望んだ場合、元の職場にきちんと復帰できるよう環境を整える。
(主婦を労働力として早くから社会復帰を求める雰囲気がありますが、
主婦に気持の余裕がないと、暮らし全般色々な事が荒れてしまう気がします。)
○自然を「開発」するのではなく、動物や木々や草花と共生できるように人間が遠慮する。
○「成長」や「足す事」だけを幸せと思わず、身の丈にあった、現状に満足した生活を過ごす。
○便利さや手軽さにお金をかけるより、手間暇かけて生活を愛おしむ。
○アメリカを追っかけた大量生産大量消費志向から卒業する。等々・・。

 あくまで、(自分もこうありたい)という田舎の一主婦の理想です。
突き詰めると、シンプルに、与えられた範囲で満足して暮らすことかなぁ。
そうは言っても、流行のお洋服は気になるし、コラーゲンにはすぐ飛びつくし、
無駄な抵抗が大好きだし、なかなかシンプルライフは難しい。
けれど、今回の震災が社会の仕組みを変えるきっかけになればと思います。

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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