清風 2011年12月

テーマ:清風 【住職】

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人間が動物と違っているのは、
自分の存在するこの世の仕組み・法則を知るという
知を持っていることと言えよう。
しかし、この知は必ず善・悪の評価を内包している。
その善・悪の根拠は、得するか損するかに
単純化されているのが現代の特徴と言える。
 
3・11原発の問題も、9・11も、8・15もすべてが、である。
 
例えば、8・15。
敗戦であったということは、それで植民地
(資源の供給地、商品を売る市場)を
日本が無くしたという悪に過ぎないと思っている。
だから、国民総懺悔で、事は終わっている。
神国不敗と国民に宣伝したのは、善悪の字を知っていた
インテリであったし、
この人たちも自分たちが腐敗しきっていたとは
誰も思っていなかったのではなかろうか。

そして、3・11である。
いうまでもなく、原発安全神話の崩壊である。
3・11も、おそらくそういう結末を迎えられるように準備がされている。
エネルギーが必要であったのだ。
原発なしで経済成長ができるかと、今度はエネルギー不足神話によって、
国民は足下を揺るがされ始めている。
 
人間の欲望が解放されたことをプラスと
評価したのが近代であったとすれば、
次の時代の課題は、善・悪を知っているという
人間の知の有り様がはなはだ怪しいことであったという
反省から出発しなければならない、ということであろう。
しかし、並大抵の構想力ではできないことに違いない。
人間の知が勝手に引いた線によって作られた国が
善悪の基準を決めることを、
何の疑問もなく前提としていく限りは。
構想力だけは確実に退化してしまったのである。

『正信偈』のはなし 2011年12月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】

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本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
還来生死輪転家 決以疑情為所止 
速入寂静無為楽 必以信心為能入
 
「本師・源空は、仏教に明らかにして、
善悪の凡夫人を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興す。
選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、
必ず信心をもって能入す、といえり。」

註)源空 法然上人(1133~1212)著書『選択本願念仏集』
   釈尊の一代の教えは「称名念仏一つにおさまる」と決着された。
   親鸞の師。

「本師源空は仏教に明らかにして」、
師・源空(法然上人)は仏教に明らかな方であった。
この一言が、親鸞聖人の生涯のお仕事であったと言えよう。
一方、親鸞聖人が
「和国の教主(日本に出られた釈尊)」と崇めておられる方は、
聖徳太子である。
太子をそのように位置づけられたのは、次の一句によるといえよう。
「世間虚仮 唯仏是真(世間は虚仮であって、唯、仏のみこれ真実なり)」
 
「仏教に明らかにして」とは、仏教は真実性と効用(有用)性という
人間の生き様の根本の動機を課題とした、という主張である。
そして、法然上人の教えられたことは「ただ念仏」であり、
「浄土宗の人は愚者になりて往生す」ということであった。
仏法を聞けば、仏法が明らかになるのではない。
自己が明らかになるとは、仏法を聴聞してきた先輩の了解である。
 
私どもの生きるこの時代は、科学に代表されるように、
いろいろな法則を明らかにし、その法則を応用して、
様々な便利で快適な道具を作り出し、
豊かな生活を生み出したということであろう。
しかし、便利さと快適さと豊かさを追いかける生活には、
進歩と進化という言葉がある様に、止まるところをしらない。
 
つまり、知識は人間の欲望を解放したかもしれないが、
「愚者になりて」という世界を見失ったと言えるのではなかろうか。
釈尊の言われる「あなたはあなたに成ればよい。
あなたはあなたで在ればよい」と言える世界のことを。

お庫裡から 2011年12月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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 三人の孫の中で、三年生の開くんは、
読書好きで、レゴを組み立て、大人の想像もつかぬ大作を、
コツコツと作り上げていくのが得意です。
そんなお兄ちゃんをライバル視し、
追いつき追い越せという気概で育ってきた一年生の誓くん。
ここにきて一寸差がついてきました。
そして小さいと思っていた在ちゃんが、兄二人にもまれて、
これ又、誓くんとは対等という態度を見せるので、
最近は、下二人がくっつき、争いも度々、
在ちゃんでは相手にならぬと見るや、誓くんはすぐ
「おばあちゃん、遊ぼう」とやってきます。
私が動きたくないのだと見ると
「じゃあ、将棋の相手をしてあげる。」
何といっても誓くんは、私に初めて将棋の手解きをしてくれたお師匠様。
将棋となると、言葉遣いが違います。
どんどん腕を上げ、いつも
「どうやったら、誓くんに太刀打ちできるのか」と思案するのに、
相変わらず「真似しないで」「考えないで」「早くして」と迫られるので、
誓くんとは連戦連敗。
おぼえたての将棋に四苦八苦している私に、
西宮にお住まいの将棋アマ五段のこうあ先生が、
応援指導に乗り出して下さいました。
三手詰、五手詰、七手詰の問題がFAXで送られてきます。
(これはこれで、又々、四苦八苦なのですが…)
果して、私に成長するということがあるのか、
はなはだ疑問です。
頂く問題の解け口は、まるで光明が見えるようで、とても面白いです。
在ちゃんも横でいつも見ているので、
そのうち相手をしてくれるかもしれません。
成長していく孫達と、一緒に対局を続けていけることが理想です。
衰える一方の中にあって、挑戦できるものがあるのは、
大きな喜びとなっています。

今月の掲示板 2011年12月

テーマ:今月の掲示板

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    人は、他人をだますのがうまいといいますが、
  より以上に、
  自分をだますのがうまいのです。
  それも意識しないで
  自分が自分をだましているのです。     蒲池勢至

  強くなければ 生きていけない
  優しくなければ 生きる資格がない    チャンドラ

  仏法を聞けば
  仏法がわかるのではない
  自分がわかるのだ

  幸福だから感謝できる(のは危ない)。
  感謝できる身とならなければ

  いにしえは こころのままにしたがいぬ
  今はこころよ われにしたがえ     一遍上人

  世界は広くて 人はとっても小さい
  一人で全てを見ることはできない

本堂に座って 2011年12月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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 今月も、先月に引き続き
真城義麿先生の文章を引用させていただきます。
「存在を認める」ことの意味を教えてくださっています。

 
親や周りの大人から
「あなたは基本的に、無条件に意味のある存在なんだよ」
「あなたはどんな時でも、
あなたとして生きている意味があるよ、必要なんだよ」
ということが、ちゃんとメッセージとして届いていて、
そのうえで「上手くいってないね。だったらここをがんばろうね」とか、
「そりゃ駄目だよ。今度はこっちをやってみたらどう」というような、
存在をまるごと認めたうえで訂正するという世界であれば、
また違っていたのでしょうけれども、親殺しをした子どもたちには、
こういうことが一切なかったのです。

(中略)
さまざまな親殺しの事件を、
社会評論家の芹沢俊介さんがずっと追いかけておられます。
芹沢さんがずっと事件を追いかけてみてわかったことは、
親殺しに先行して「子殺し」が行われていたということです。
「子殺し」というのは、子どもの存在そのものを
認めることがなくなってしまったということです。
家庭の中で、自分が存在している必然性、
必要性、意味とか、価値とか、そういうものを子どもが
全く感じられなくされてしまった時、その子どもがどれほど傷つき、
どれほど深い悲しみをいだき、深い憎しみ・恨み・怒りをもつか、
そのことを指摘されているのです。

(中略) 
私が私として生まれて、この私として生きているという、
そのこと自体を「あなたは尊いよ」と
仏さまからいわれているのです。
私たちの中に、必要なく生まれた人は一人もいない。
今生きている人の中に、価値のない人は一人もいない。
生きている意味のない人は一人もいない。
能力があろうがなかろうが、健康であろうがなかろうが、
年老いていようがいまいが、
どの人のどんな人生のどの瞬間も尊いということです。

(中略) 
「あなたはそのままで尊いよ」と
存在をまるごと肯定したうえで伸ばしていくということです。
そのような存在の肯定をする発信のことを、
ストロークメッセージといいます。これは言葉とは限りません。
顔の表情や接し方、あらゆるもの全部です。
赤ん坊は生まれてから当分の間、言葉なんて何にもわからないのです。
何もわからないけれども、
このストロークメッセージをどれだけ浴びるかということが、
とても大事になってきます。
生まれたての赤ん坊でも、親が発しているメッセージが
ストロークメッセージなのか、反対にディスカウントメッセージなのかは、
とても敏感にわかるそうです。
ディスカウントメッセージというのは、ストロークメッセージの反対です。
存在を否定する。ディスカウントですから、価値を下げる。
「お前なんか」といって価値を下げる。
生まれてから当分の間の赤ん坊が、
ディスカウントメッセージを浴び続けると、心が壊れるといわれます。
ですから、ここのところがはっきりしていれば、
厳しく注意をしなければならない時にも
その生徒との間に信頼関係が成り立つわけです。
「君が大事だから、
そんないい加減な言動を許すわけにはいかないのだ」
というところに立つということです。
(『安心してがんばれる世界を』真城義麿 著
東本願寺出版部発行より抜粋して掲載しました)

 子どもと接する時には「子どもの立場に立って」…と思いながらも、
結局は、その場の感情やこちらの都合をぶつけてしまっています。
私は、どういう立場で、何を「大事」だと言っているのか、
あらためて考えさせられました。

今日も快晴!?2011年12月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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小学校3年生になり、そろそろキャラが立ってきた
(本好き、工作好き、米好きetc)開ですが、
先日、突然「お母さん!僕、将来何かの物質を発明する人になりたい!」
と言い出しました。
(物質?それはもうすでに存在しているから、
新たに発明するのは難しいんじゃない?道具とか機械の方が・・・)
と思いながら、
「いやいや。別にやりたい仕事や
、興味のある勉強があるなら、どんどんやればいいんだよ。」
と言いつつ聞いていましたが、直後に開が
「あっ!でも、僕にはお寺があるからダメか~」とがっくり来ていました。
今はまっている大河ドラマ「江」でも、世継ぎの問題が出てきていますが、
お寺は現代でも数少ない「跡取り問題」が発生する職業です。
私は、開に対して一度も「あなたは長男だからお寺を継ぎなさい」
と言ったことはなく、むしろ
(お嫁さんと同居するのは大変そうだから、
在ちゃんにお婿さんをもらってもらえないかしら~?)
と思っているくらいなので、
(ああ、彼がこんなプレッシャーを感じていたんだ)と、ちょっと意外でした。
 
私自身は、別の職業を経験して、
(ああ、やっぱりお寺は大事だな。親鸞聖人のお寺で良かったな)
と思えたので、子どもたちにはたとえ
「お寺に生まれた」と言う前提はあったにせよ、
「自分でこの職業を選んだ」と感じてもらいたいなぁと思っています。
(やりたくもないのに、お寺の息子なんかに生まれちゃったから・・・)
と渋々継ぐのも不幸だし、
(お寺のせいで自分のやりたい勉強や仕事が出来なかった)
と思いながら生活するのでは、せっかくの人生を無駄にしてしまいます。
一旦腹をくくれば、お寺の仕事はとても楽しいし、
やりがいはあるし、可能性がいっぱいある素敵な場所だと思います。
 
子どもを授かってから、(お寺って良いな~)と感じることが増えました。
先日も1年で一番大きな行事「報恩講」が勤まりましたが、
お寺に足を運んで下さるお檀家さん達が、「開くん、誓くん、在ちゃん」と
子どもたちの名前を覚えて下さり、
「大きくなったね」「しっかりお手伝いが出来るね」
などと子どもたちに声を掛けて下さります。
親や、親戚以外の大人にこんなにも親しく声を掛けていただき、
関心を持ってかわいがってもらえるなんて、
子どもにとってどれだけ幸せな事かと、しみじみと感じます。
「自分一人で子どもを育てている」のではなく、
皆さんにお育て頂いているんだなぁと、本当にありがたく思います。
 
子どもたちも、最近では色々手伝いが出来るようになり、
「偉いね」「ご苦労様」と声を掛けてもらえるのがとても嬉しいようです。
「自分の役割がある」「認めてもらえた」と言う経験は、
子どもにとってとても良いことだと思います。
親だと、「早くしなさい」「邪魔だから、あっち行ってなさい」
と言ってしまうところが、
お手伝いに来て下さるベテラン主婦の皆さんは
、子どものやりたいようにさせて、温かく見守って下さります。
法要の受付席では、色んなじぃじが誓の将棋の相手をしてくれたり、
お茶席では在にもお運びをやらせてくれたり、
色々な大人の人に関わってもらう事が、
子どもの社会性を育てている気がします。
現代は、人との繋がりがどんどんなくなって
「個」に向かう時代だからこそ、
人の集う場があるのはありがたいことだと思えます。
子どもにも、そんなお寺の良さが伝わっていると良いなと思います。

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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