『正信偈』のはなし 2012年1月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】

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本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
還来生死輪転家 決以疑情為所止 
速入寂静無為楽 必以信心為能入
 
「本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、
必ず信心をもって能入す、といえり。」

先回から源空(法然上人)の徳を述べられている段に入りました。
法然上人といえば、まず記さなければならないことは、
その少年時代(9歳)の父(漆間時国)の突然の死という悲劇と、
父がその死に臨んで子の法然に残した言葉でしょう。
父・時国は所領を巡って明石貞明との間に争いがあり、
ある時、時国は明石の夜襲に遭い、深い傷を負い、死に臨んで、
次のように言われました。

「われはこのきずにて、身、まかりなんとす、しかりといふとも、
ゆめゆめかたきをうらむなかれ。
(略)なを報答(仕返し)をおもふならば
流転無窮にして世々生々にたゝかひ、
在々所々にあらそひて輪廻のたゆることあるべからず、
おほよそ生あるものは死をいたむ、われこのきずをいたむ、
ひとまたいたまざらんや。
わが身にかへてひとのおもひをしるべきなり。
(略)なんじもし成人せば往生極楽をいのりて
自他平等の利益をおもふべしといひおわりて、
こころをたゞしくし西方むかひて高声念仏しつゝ
ねぶるがごとくにしてをはわりぬ。
          (『拾遺古徳伝』第3段 趣意)
この法然上人の父(漆間時国)の遺言は、釈尊の言葉
「実にこの世においては、怨みに報いるに恨みを以てしたならば、
ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」
                  (『ダンマパダ』第1章No.5句)
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう。
―このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
                   (同No.6句)
の教えを踏まえたものでもありました。

敵・味方ともに助かる道を求め、
法然上人は比叡の山に登られることとなったのです。

お庫裡から 2012年1月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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コーラスが大好きな私の長年の憧れは、
ベートーベンの第九交響曲第四楽章「歓喜の歌」を
一度は歌いたいということでした。
2011年12月11日、
豊田市制60周年・市民文化会館30周年記念第九交響曲演奏会に、
お友達の後押しをいただき、出演させていただくことができました。
半年前の6月に結団式があり、練習が始まりました。
ソプラノのあまりの高音の連続とドイツ語の暗唱に気後れしつつも、
毎週の練習に必死についていき、
演奏会当日はオーケストラを前に180人のコーラスの一員として、
歌い終えることができました。

演奏会直前の練習の中で、最後高らかに歌い上げる個所を、
「あの光り輝くところ、あそこに神がおられるに違いない。
いや、きっとおられるはずだ」、
そう歌っているのだから、その気持ちを込めて歌えと指導され、
キリスト教と仏教の違いを感じました。
僭越ながら、私がそこに歌詞をつけるなら、
「私はすでに御手の真中。
それを私の思いが壁を作り、闇の中に自分を閉じ込めていた。
その壁が破られてみれば、こんなにもあふれる光の中にいたものを!」
と歌うのではないかと思いました。

人間だけが持つ、言葉となった自意識。それの持つ闇。
存在そのものから光となり智慧となって闇を破る
ハタラキを仏さまと擬人化した呼び方をする。(仏=ブッダ=目覚めた人)
ベートーベンという全くの異文化に触れることにより、
又々、私のいただきを確かめさせていただきました。
死に向かう生の中におりながら、
(別れは、つらく悲しくはあっても)ちっとも暗くない。
むしろ明るさを感じるのです。
成仏、浄土、往生、今までと違う輝きをもって私に響いてきます。
今年はどんな歩みをさせていただけるのか、楽しみです。。

今月の掲示板 2012年1月

テーマ:今月の掲示板

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  本当の私は
  ほめられても増えず
  そしられても減るものではない

  ほめられると 増えたように
  そしられると 減ったように見えて悲観する
  これは、本当の私でないものを
  私としている 証拠です

  人生 ゆきづまったと、よく言います。
  しかし、考えてみると
  人生がゆきづまったのではなく
  私が、ゆきづまったと思っているだけなのです。

  「私なんか ダメです」
  一体、ダメだというのは どこで決めたのでしょう

  世界も 自分も
  本当でないようにしているものの正体、
  それは 妄想です

  そう思う
  その思いの中に
  自分を暗く閉じ込めている

  人間には 必ず
  持てば 持ったものを握って離さん(執着)という
  病気があります

 (今月のことばは
   『大きい字の本 正信偈講話』仲野良俊著 東本願寺発行
                        よりいただいています)

本堂に座って 2012年1月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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 毎年12月4日~10日は人権週間です。
子どもたちは学校で人権に関するお話
(今年はいじめについて、だったようです)を聞かせてもらったそうですが、
今年は大人(親)も人権について学ぶ場を設けよう…ということで、
学校のPTA行事としての学習会に参加しました。
豊田市では子どもの権利を学ぶために
「子どもの権利学習プログラム<おとな版>」
というプログラムが用意されていて、
市の職員の方が講師として来て下さいました。
タイトルは固い感じがするのですが、内容はとても楽しく、
また考えさせられるものでした。
以下に簡単に紹介します。

 1.簡単な4択の質問に答える(場を和ませるため)。
 2.グループに分かれて、1人ずつテーマに沿った発言をする。
   私の好きなもの・嫌い(苦手)なもの…など。
   この時、「話を聞く態度」について、
    話す人の顔を見る・話を遮らない・否定しない・腕を組んで聞かない…
    などの注意があった。
 3.子どもの長所をできるだけたくさん書く。
 4.子どもの短所を書く。
 5.書いた短所を、長所に捉え直してみる。
    資料として「リフレーミング(捉え直し)辞書」をいただいた。
   例)うるさい → 明るい・活発な・元気がいい
     口が悪い → 率直な
     口が軽い → うそのつけない・社交的な
       けじめがない → 物事に集中できる
      けちな  → 経済観念のある
      消極的な → ひかえめな・周りの人を大切にする
      短気な  → 感受性豊かな・情熱的な
      生意気な → 自立心がある
      のんびりした → 細かいことにこだわらない・マイペースな
      人づきあいが下手 → こまやかな心をもった・心の世界を大切にする
     負けずぎらい → 向上心がある
     面倒くさがる → おおらかな
      乱暴な → たくましい
 6.ミニ劇を行う。
(今後受けられる方があるかもしれないので、
劇についての詳細は省略します。)

権利を学ぶ会…ということだったので、具体的に「権利とは?」
といった話を聞くのだと思っていましたが、
実際には上記のような内容の会でした。
楽しかった反面、意外な感じもしたのですが、後々振り返ってみて、
権利を大事にするというのは、
「相手の話をきちんと聞く」ことと「相手を尊重する(否定しない)」
ことから成り立っているのかな…と思い当たりました。
難しい概念ではなく、毎日の生活の中での接し方がどうなっているのかが、
子どもの権利を大切にする(大人の権利も同様だと思います)ために
重要なことなんだと気づかせていただけました。

今日も快晴!?2012年1月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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子どもたちの最近の愛読書は「はだしのゲン」です。
私も小学校の頃夢中になって読みましたが、
今、久しぶりに子どもたちが借りてくるのを一緒に見ていると、
昔は分からなかったその内容の凄さに圧倒されます。
有名な漫画なので細かい説明は省略しますが、
ゲンたちが経験した全てのことは、多分あの時代に日本で、広島で、
実際に起こっていたことなのだと思います。
ゲンのものを考える視点は全く正常で、言っている言葉の一つ一つに
「ふんふん」と肯けます。

例えば、戦後、「天皇の皇居に向かって敬礼をしろ」という教師に向かい、
ゲン「な、なんじゃ。これじゃ戦争中とおんなじや。あほか。
もう日本は戦争に負けて、新しい憲法が出来て、軍隊は一切持たず
平和な国作りをするんだと先生は教えてくれたじゃないか。
わしらを戦争で、ピカでさんざんひどい目にあわした
戦争責任者の天皇をなんでいつまでもわしらに押しつけるんじゃ」
先生「このばかたれっ」  
ゲン「わしゃ先生はきらいじゃ。戦争の反省をせん大人はきらいじゃ」

また、戦後、態度を大きくした朝鮮の人に
「く、くそ。朝鮮人がいばりやがってしゃくにさわるのう」と言う隆太に対して、
ゲンは「日本は、戦争で朝鮮人をバカにしてこきつかって
多くの人を殺してきたんじゃ。朝鮮人がいばる気持ちは分かるわい。
広島や長崎のピカでも、無理矢理連れてこられいっぱい死んどるんじゃ。
朝鮮人をバカにするな」と諭します。

そして、孤児の隆太を心配しているゲンに向かって
兄の昭が「しょうがない」と突き放したときのゲンの台詞です。
ゲン「あんちゃん、その言葉は、やめぇや!わしゃその言葉は嫌いじゃ。
…戦争で息子や父ちゃんを殺され、ピカでみんな殺され今も苦しんでいるのに、
みんなしょうがないとあきらめて本当のことにしらん顔じゃ。
父ちゃんが言っとったじゃないか。ひとにぎりの金持ちが儲けるため、
国のためじゃ天皇のためじゃというて戦争を起こして、わしらや隆太を苦しめているんだ。
戦争を起こした犯人と協力してぬくぬく生きている犯人がいるんじゃ。
ピカを落とした犯人がいるんじゃ。
その犯人をしっかり叩きつぶさんといけんのじゃ。
今にまた同じ事をくりかえすわい。そしてしょうがないと泣くんじゃ。
わしゃしょうがないとあきらめるのはきらいじゃ。
そんなええかげんな男になりとうないわい」
昭「わりゃえらそうなことを言うな。
わしらにはどうすることもできんじゃないか」
元「だからしっかり考えてくれというとるんじゃ」

読んでいる内に、
(あれ?これって「ピカ」と「戦争」を「原発」にしてみたら、
まるで今と同じじゃないの!?)と思えてしまいました。

「本当のこと」に知らん顔していたり、
「しょうがない」と思考停止していたり・・・。
「しっかり考えてくれ」と言うゲンの台詞は、
今の私たちにも言われているみたいです。
一握りのお金儲けをしたい人が起こした戦争、作った原発。
それを「しょうがない」と受け入れてしまう私たち。受け入れたくないと、
出来る範囲で「反対」の意志を表明しているつもりでも、
敵はあまりにも強大です。
治安維持法で捕まることがないだけ現在はましかもしれませんが、
そんなところも「はだしのゲン」と共通しているようです。

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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