清風 2012年7月

テーマ:清風 【住職】

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経済成長率が高い国や、医療が高度な国、
所得や消費が多い国の人々は、本当に健康で幸せだろうか。
先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。

他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは、
人間が安心して豊かな気持ちで生きる上で、欠かせない要素だ。
GDP(国内総生産)の巨大な幻想に気づく時がきている。
カルマ・ウラ(ブータン国立研究所 所長)


福井県の大飯原発の再稼働が決定されるようです。原発はなぜ危険か。
原発での使用済み核燃料の最終的処理方法が見つかっていません。
水をかけたり、化学消化剤で木材の火を消すようにはいかないのです。
使用済み核燃料が消える(完全無害となる)には、
何十万年という時間がかかるということです。

宇宙が誕生してから、地球が誕生するのに54億年、
その地球に生命が誕生するには、およそ8億年かかっていると言われます。
これは、地球が誕生し生命が誕生してもいい環境が整うのに
8億年かかったということです。
その年数は、地球上の放射線量が、
生命に影響がないと思われるように程度になるのに、
これだけの時間がかかったということです。
宇宙で光っている星は、原子核反応によって光っているのです。
ですから、光っている星には生命は絶対にないのです。

  100億年前   46億円前   38億年前     6億年前
  宇宙誕生     地球誕生     生命の誕生     生命体の上陸

原子の火は、人間にとっては点火する技術はあるけれども、
消す方法が全くないという厄介な代物だということです。
人間は今や、トイレのない家に住んでいる…
それが原発から突きつけられている事態と言えるようです。
人知の闇が作り出した火、それが原発であったのです。

原発事故の情報は開示されないのではなく、開示できないのです。
事故を収束させる技術がないのですから。
私どもの生活の快適さを維持するために、
子や孫や子孫の生存までが担保にされているのです。
人知の闇と言いながら…。 
それにしても私どもは、
どれだけエネルギーを使えば満足できるのでしょうか。
(参考資料『科学の原理と人間の原理』高木任三郎)

 

『正信偈』のはなし 2012年7月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】

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本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
還来生死輪転家 決以疑情為所止 
速入寂静無為楽 必以信心為能入
 
「本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、
必ず信心をもって能入す、といえり。」

法然上人は、先月号に記した事件に遭遇されることが縁となって、
やがて比叡山に登り学問修行に励まれたのですが、その学びについて
「法は深妙なりといえども、我が機すべて及び難し。
経典を披覧するに、その智最愚なり」
(『十六門記』聖覚法印)と記されるように、
教えは大変深いことが述べられているが、
日々を生きる力にならなかったと、弟子に語っておられます。
「忙々たる恨みには渡りに船を失うがごとし、
朦々たる憂いには闇に道に迷うがごとし」
―川を渡ろうとして船が見つからないようだ、
深い闇の中で道に迷ったようなものだ、というのでしょう。
そして「黒谷(比叡山)の報恩蔵に入りて
一切経を披見すること、既に五遍に及びぬ。
然れども猶いまだ出離の要法を覚り得ず、
愁情弥々深く、学意ますます盛んなり」と、
その学びの並々でなかったことを記しておられます。
この学びの中から
「一心専念弥陀名号、行住座臥に時節の久近を問わず念々に捨てざれば、
是を正定の業と名づく。かの仏願に順ずる故に」
という善導大師の『観無量寿経』を解釈された
『観経疏』の一節に出遇われ、救いに預かられたのでした。

「救われたい」と思っておられたであろう法然上人は、
かえって「救わずにはおかない」という、
法然上人に先立って立てられていた本願の心、
「本願が名となって自己を表現した」のは「名は体を現す」からでした。
法然上人は、待たれていた自分であったと、
名によって如来のこころに触れられたのです。
「ただ念仏」とは、こちら(私・人間)からの
どんな手出しも解釈も間に合わないということです。
そういう意味からいえば、私が救われないのは、
如来(仏)に手出しをしているからなのでしょう。

お庫裡から 2012年7月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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日頃、自分は今何歳かなんて考えず行動している。
孫達が「遊ぼう」とやって来ると、オセロ・将棋・カルタにチェス。
相撲にボール投げ、闘い等々。真剣に付き合ってきた。

開くんは、運動神経、リズム感が
得意分野ではないなぁと思って見ていたのに、
意外や5月の運動会でやった、エグザイルの
「チューチュートレイン」という曲に「はまった」と言って、
学校から帰るとCDをかけて踊っている。

私はエグザイルも知らないし、その曲も知らない。
「おばあちゃん、知らんの、教えてあげる」
お風呂で何べん聞いても、それが曲だとはとても思えない。
せめて歌詞だけでもと思っても、横文字が多く、
何を言っているのかすら分からない。
さて、踊りも一緒に、「まず、見本ね」開くんが踊って見せてくれる。
「それ、ちょっとリズムに合ってないんじゃないの」
「ううん、この曲は速いから、速く動かなくっちゃいけないんだよ」
「そうお。こうかな」
「違う、おばあちゃん、その動き違うよ、こうだよ」
「エー、難しいねー。こうかな」
「そう、その後で、これをやるんだよ」
「ちょっと待って。そんなに速く足が動かない」
「あー、楽しいね、おばあちゃん」
汗だくになって、開くんは何度もCDをまわす。
とてもついて行けぬ私。
誓くんも在ちゃんも、側にいてすっかり歌を憶えたのに、
私の歌えるのは最後の「チューチュートレイン」だけ。

こんな時、孫との年齢差、自分の歳が思い知らされる。
今月の清風に480という数字を書き込んで、初めて知った。
清風が満40年目の発行となったのだ。

「仏法は生活の中に」
その事を深くうなずかせて頂く年月であったと思います。
読者の皆様が、ここまで引っぱってきてくださいました。
ありがとうございます。
孫と競おうとする根性が健在、皆様、もう少しお付き合いくださいませ。

今月の掲示板 2012年7月

テーマ:今月の掲示板

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未来のことばかり考えているから
現在はいつも「準備中」
ひょっとしたら 今を知らないかもしれない

いくら長生きしても 十分な条件の中にいても
「おかげさま」が思えないなら 一生が不幸だ

通夜は、娑婆の卒業式
葬儀は、浄土の入学式

我々のなすべき事は、
生活のあり方を見直し、
自分自身と、
自分自身が心から愛する人々の生活を、
身体が、愛情や喜びを自ずと感ずるような
そういう方向へ変革することです     安冨歩

自己の敵が 自己の中にある
という気づきこそ 聞法の歩み    安田理深

自力というは
わがみをたのみ
わがこころをたのむ
わがちからをはげみ
わがさまざまの善根をたのむ   一念多念文意より

浄食に
不浄の器を用うれば
器 不浄なるをもってのゆえに
食 また不浄なり       教行信証 証の巻より

本堂に座って 2012年7月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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今月も、安冨歩さんの『生きる技法』から
「自由」について書かれている部分を紹介します。

自分が自立しておらず、不自由だと感じている人は、
往々にして「選択の自由」を手に入れて、
それによって自立を確保しようとします。
今はこうやって屈辱的な状態にあるけれど、
出世して、あるいはお金を手に入れて、
自立して自由な人間になり、好きなものを手に入れ、
好きなことをするのだ、と思うのです。
 しかしこの考えは、成り立ちません。

【命題6】自由とは、選択の自由のことではない
では「選択の自由」が自由でないとしたら、
そもそも自由とは、何なのでしょうか。
それはたとえば、植物をイメージしてみればよいと思います。
ここに何かの種があるとしましょう。
その種を、十分に肥えた日当たりの良い土地に植えて、
適当な湿り気を与えたならば、どうなるでしょうか。
種はやがて芽を出して、スクスクと成長するでしょう。
そうやって伸び伸びと展開している植物を見れば、気持ちがいいものです。
私はこの伸び伸びと育つということが「自由」だと考えればよいと思います。
自分自身の「種」を、その思う方向に伸ばすこと。
それが植物にとって自由であるなら、
人間にとってもこれが自由だと思って間違いないのではないでしょうか。

【命題6-10】自由とは、思い通りの方向に成長することである
自分が伸びたいと思う方向に自分を伸ばすためには、勇気が必要です。
自分が「悪い子」であると思い込んで自己嫌悪に苛まれていては、
決して自由を守ることはできません。
自分が伸びようと思う方向は、
周囲の人の都合に必ずしも合致しませんから、ここに軋轢が生じます。
そのとき、自分は悪い子だ、と思い込んで怯える人は、
すぐに伸びるのをやめてしまいます。

【命題7】自由でいるためには、勇気が必要である
自由であるためには、
自分自身が伸びたい方向に向かって成長する必要があります。
しかし、これは自分ひとりで決意してできることではありません。
なぜなら、人間は誰かと関わることなしにはいられないからです。
自由に成長するためには、それを受け入れ、
支えてくれる多くの人を必要とします。
多くの人に支えられている人こそが自立していますが、
そういう人は自立しているばかりでなく、自由でもあるのです。

【命題7-4】自由人は自立している
自分が自立しておらず、不自由だと感じている人は、
なによりもまず、人と繋がる必要があります。
本当に困ったときに助けてくれる人を、
1人でも増やすように努力せねばなりません。
それはギブ・アンド・テイクの関係ではありません。
それでは与えなければ助けてもらえないからであり、
本当に困って与えるものがないときには見捨てられてしまいます。
本当に何も与えるものがなくとも、困っているなら助けてくれる友だち、
そういう友だちを作らなければならないのです。
もちろん、そんな友だちは一朝一夕にできるものではありませんが、
そのような結びつきを求めることが、自立と自由とへの第一歩です。
(『生きる技法』安冨 歩 著 青灯社発行より抜粋して掲載しました)

「自由」の解釈にはいろいろありますが、この本では「自由」とは、
一般的に思われている「好きなように」とか「思い通りに」ではなく、
「伸び伸びと」「勇気を持って」「自立(依存)」することだと
書かれています。
よい友だちとの結びつきが自立と自由をもたらしてくれる…
そんな関係を作っていきたいものです。

今日も快晴!?2012年7月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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以前から、ブログで読み聞かせ会や育児サークルの情報を
発信してきたいと考えていたのですが、子どもが家にいる間は、
(子どもの前で携帯電話やパソコンの画面ばかり見ている親になりたくないなぁ)
という気持ちがあったので、はやる気持ちを押さえつつ、
在ちゃんの入園を待っていました。
そんな時に、たまたま友人からFacebookの誘いがあったので、
(まずはこっちで練習・・・)という気持ちでスタートしてみました。
これが思いがけず性に合っているようで、毎日楽しく投稿を続けています。
しかし、「顔見知りの友達との情報交換」が基本のFacebookでは、
(近隣の交流館などに掲示している読み聞かせ会ポスターや、
配布しているチラシを目に出来ないけれども、
守綱寺みたいな場所を探している人に情報を届けたい・・・)
と言う当初の目標からは外れているのがまた悩みどころです。

さて、そんなとき、ふと「THE BIG ISSUE」と言う雑誌の
記事が目にとまりました。
この雑誌は、ホームレスの仕事を作り自立を応援する雑誌です。
誌代300円のうち、160円がホームレスの販売者さんの
収入になると言うシステムです。
豊田では販売員さんがいないので、
福山に住む友人が読み終わると送ってくれます。
これが、内容が実に読み応えがあって面白く、
何年も家において繰り返し読んでいます。
(Aちゃん、いつもありがとう♪)
気になったのは、
「走り去るコトバ たたずむコトバ」と題した谷川俊太郎さんの文章です。
「誰もが自由に自分を表現できると言うことは素晴しいことです。
メール、ブログ、ミクシィ等は確かに
これまでにない新しい豊かな世界を広げました。
…でも、そういうコミュニケーションの方法が、
面と向かって一対一で顔を突き合わせて話し、
聞く機会を少なくしている可能性がある。
私たちはコトバだけによって世界を認識しているわけではないし、
コトバだけによって他人と通じ合っているわけでもありません。
表情や手の動き、泣くこと笑うことなど
いわゆるノンヴァーバル・コミュニケーションは
コトバによるコミュニケーションよりも、ときにははるかに切実で深い。
…生の体は体温を持ち匂いも気配も持っています。
人間全体を感じ取るには映像や文字や言葉だけでは不可能です。
メールでは分らなかったことが、
実際に面と向かって分るということはよくありますよね。
…どんな言葉にもそれを発した個人がいるはずです…。
ぼくはすべての言語活動を一対一の基本でまず
イメージしたいと思います。」

これは、自分が情報を発信する上で本当に気をつけたいと思えました。
人と人のつながりがまず先にあり、ブログもFacebookも、
それを補うためのツールなんだと胆に命じておかなくてはと思いました。
また、この文章の最後はこんな文章で締めくくられていました。
コトバを大切にする詩人の谷川さんならではの、
素敵な人生のヒントだなぁと思います。
「走り去るコトバから自分にとって大切なコトバを見つける能力は
その人の体験から生まれる人生観次第で、
…自分の人間としての器によってコトバは立ち止まりもするし、
走り去りもする。
自分の器を作るのはコトバだけではありません。
コトバよりも大事なもの、
カラダぐるみの行動が必要ではないでしょうか。」

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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