清風 2012年9月

テーマ:清風 【住職】

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いくら健康が大事だからといって
人は健康のために生きているわけではない
                  中村仁一(医師)

進歩、進歩という掛け声のもとに人間がしてきたことが、
「人は健康のために生きているわけではない」
ということを教えられるためであったとすれば、
進歩をめざして生きてきたことにも、大切な意味があるのかもしれない。
退一歩という言葉もあるのだから。もしそうでなければ、
進化と言いながら退化しているだけなのかもしれないのだ。
健康は手段であり、目的ではない。
健康になって何をするのか、どうなりたいのか、実はそこを問われている。
人間は、他の動物と違って知恵を頂き、
いろいろな知識を身に付けてきたが、全体が逆さま事をしているらしい。
私ども人類は万物の霊長と自称してはいるが、
一番大切な事も分からずに生きているとしたら、その実、
一番劣ったものかもしれない。
私たち人間は、他の動物にはない知恵をいただきながら、
その知恵の大半を使って、いったい何をしてきたのだろう。
健康に生きても、死は迎えなければならない。
そして最後に「塩を撒いてもらう」ために生きているのだとしたら、
生きていることは全く絶望に終わるしかない。
病気になって何に気づくか。健康のありがたさを知れと、よく言われる。
しかし健康になれば ―2、3日くらいはありがたいと思うかもしれないが―
 健康であることは当たり前になってしまうのではないか。
成ってしまえば、当たり前。病気の時にも、実は与えられている事実がある、
ということを忘れている。
それに気づけない。
「今、いのちがあなたを生きている」ことが分からなくなってしまった。
退化したことの1つであろう。
身は正直に老い、病んでいく。
しかし、それを引き受けられない私がいる。
その事実に気づく。それが意識を持った人間に生まれた者の課題であるようである。
「愚者になりて往生す」(往生=解き放たれていく)
と言われた先人の歩みに学んでいきたい。
(「賢くなりて往生す」とは言うておられない。)

『正信偈』のはなし 2012年9月

テーマ:清風 【住職】

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本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
還来生死輪転家 決以疑情為所止 
速入寂静無為楽 必以信心為能入
「本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、
必ず信心をもって能入す、といえり。」

速やかに、無常涅槃のみやこ(浄土)に入る(生まれる)のは、
如来より回向された信心(まことのこころ)1つによって決定されるのである。
死んだら「ゴミになる」「何もなくなる」と思っている人は、
本当に生きたことにならないのではなかろうか。
生きている間に、死んだら仏にさせていただくと知らしめてもらう、
それが念仏者であったのだろう。
何故なら、念仏の教えを聞いてきた人は、
亡くなった方を「ほとけさん」と礼拝してきたのだから。
ゴミになるという人は、自分の葬儀では、
残された有縁の人々に何を礼拝させているのだろうか。
また、亡き父母をゴミとして拝んでいたのだろうか。
「病気が治るとか、金が儲かるとか言いますが、人間には死があります。
その死について、人間は死んだらゴミになる、あるいは何もなくなる、
この肉体のいのちが全てなんだということだったら、
いざ死ぬとなったら絶望しかないないことになります。
それでは、生きている間に花は咲いたかもしれないけれど、
実りがなかったことになってしまう。」
(『人間 死ねば仏になる』林 暁宇 著)

「信心を得る」とは、私に先立って亡くなられた方
(浄土に還り仏に成っておられる人)に「今遇う」という事である。
その意味から、親鸞聖人も師・法然上人を「阿弥陀如来化してこそ 
本師源空としめしけれ 化縁すでにつきぬれば 
浄土にかえりたまいにき」と讃歎しておられる。
親鸞聖人は師・法然上人の死にあい、
我が身は浄土におわす法然上人に待たれている身であると
受け止めていかれた方である。
「人生では、2度3度と花を咲かせる人がおられるのでしょう。
しかし、花は必ず散ります。きれいな花ほど散り際が汚い。
散った後に実りがあるかないかが大事なんです。」
親鸞聖人と法然上人の出遇いは、
まさにそうした質を決定するような出来事と言える。
また、そういう質を持った人生の出遇いなしには、
生きたことにならない

お庫裡から 2012年9月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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長かった夏休みも、いよいよ終わろうとしています。
この夏も、孫達のお陰で面白く楽しい時間を過ごさせていただきました。
何と言っても一番の楽しみは、毎朝の廊下ふき。
書院、渡り廊下、玄関、庫裡と拭いてきて、汗びっしょりで(大人だけかも)
「ありがとうございました」「ご苦労様」と声をかけ合うのも
体育会系のノリで面白かったです。
そして、それが夏休み中、お出かけ日を除いて
毎日続いたことが何より良かった点です。

スタジアムのプールへも出かけました。
行く度に泳ぎが上達していくのが驚きでした。
そうそう、駅前へ氷を食べにも行きました。
生協のおもちゃ屋さんにも行きました。
孫達の手にする物を買ってやるのは簡単なのですが、
孫達は、母親の反応を思い浮かべ、
あれでもないこれでもないと散々迷ったあげく、結局手ぶらで、
相方我慢できたご褒美のアイスクリームを食べて帰ったのも
思い出深い出来事でした。

その他に、いっぱい詰まった予定の中に、ポッと空いた所在ない時間に、
「おばあちゃん遊ぼ」とやってきた孫と、将棋、オセロ、トランプ等で、
楽しい時間をもらったことは言うまでもありません。
そうしてもう一つ、開くんの机に積んである
少年少女文学全集の山を1冊ずつ持ち出し、
ストーリーの展開に胸躍らせて完読できたことです。
読後、開くんと読後の感想を語り合うのも楽しい時間でした。

身体は老人になりつつも、精神は孫とまだ同列の様です。
夏休みの締めは、廊下拭きのご褒美ラーメン。
おじいちゃんと孫3人、5人で出かけるラーメンは、
格別おいしいことと期待しているのです。

今月の掲示板 2012年9月

テーマ:今月の掲示板

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あなたという人間は
世界中探しても ここにしかいない
みんな それぞれ
誰とも代わることができない
自分のいのちを 生きている
だから 今日からあなたは
自分のいのちの 主人公になりなさい
人に言われて生きるのではなしに
自分が 生きるのです       肥田舜太郎

現在が 未来のための手段なら
今を生きていることにはならない

仏法を聞けば 自分がわかる
自分がどこに立っているか それがわかる

どんな人も
目覚めた者になるという課題において
平等です

すくわれるとは
自分の心の執着から解放されること

欲望は無限
無限なものを有限なもので満たせはしない

我執は、自分を甘やかしているばかりのものではありません。
自分でも我執と気づけぬようなものです。
我執は否定の形すらとる、善の形すらとる、奉仕するような形もとる
自分を投げ出すような形で、自分を拾うのです。

本堂に座って 2012年9月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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このところ、身近なところで
「心が不安定になってしまうのは、親子の関係を上手く作れているか
(自己肯定感を持てているか)が、大きく影響しているんじゃないか?」
という話をする機会が多くありました。
このことについて、安冨歩さんがとても分かりやすく
書いてくださっているので、以下に紹介します。

(アリス・ミラー『才能ある子のドラマ』より抜粋)
幸福な、保護された子ども時代を送ったと信じ、
そのイメージをもったまま心理療法の門を叩く人の数は
驚くほど多いのです。
そのような患者さんは、成長後の現在も可能性豊かで、
才能を発揮している人も少なくありません。
その天与の才と成し遂げた仕事に対して賞賛を受けている人もいます。
この人たちはほとんどの場合、一歳でオムツがいらなくなり、
一歳半から五歳のときにはちゃんと上手に
弟や妹の世話を手伝うような子どもでした。
一般に信じられているところに従えば、
このような―両親の誉れとも言うべき―人たちには、
強靱で安定した自信があるはずなのですが、
実際には話はまるで逆なのです。
その人たちの手がけることは、すべてうまく行き、
素晴らしい結果に終わって、
その人たちは賞賛されたりねたまれたりします。
成功することが大事な場合に失敗することはありません。
けれども、何をしても駄目なのです。
すべての成功の裏に憂うつ、空虚感、自己疎外、
生の無意味さが潜んでいます
―自分は偉大な存在だという麻薬が切れたり、「頂点」でなくなったり、
間違いなくスーパースターとは言えなくなったりすると、あるいは突然、
何らかの、自分の理想像に合わなくなってしまったと感じたりしますと、
隠れていたものが即刻頭をもたげます。
それが始まると、不安発作や猛烈な罪悪、
ならびに恥辱感に苦しめられるようになるのです。
これほど才能に恵まれた人たちが、これほど深い障害を負っているのは
なぜなのでしょう。

このようなことが起きるのは、子ども時代に、
ありのままの自分を受け入れられた経験がなかったことに起因する、
とミラーは指摘しています。
(中略)自分自身を受け入れられるというのは、自分の感覚を肯定される、
ということです。
人間の感覚というものには、非常に深い計算が込められています。
そこから人間は意味をつかみとるのです。
それゆえ、人間が世界の意味をしっかりと受け止められるようになるには、
自分の感覚を受け入れられるという経験を積む必要があります。
そうして、世界と自分との関係を養わねばならないのです。
しかし、「才能ある子」はそういうことができません。
「才能ある子」を育てるには、その子の感覚を否定して、
大人にとって社会にとって好都合な感覚を押し付ける必要があります。
これをする方法は、「アメとムチ」です。怯えさせ、利益で釣るのです。
そうやって子どもを徹底的に仕込めば、「芸」をするようになります。
そうやって芸を飲み込む回路を鍛えるのが、
「才能ある子」を創りだす親です。
こんなことは、子どものことを少しでも愛している親には決してできません。
それでは可哀相でたまらないからです。
愛情が欠如していて、それにも拘らず、
自分がこの子を愛している<はずだ>と思い込む強い力を持った親が
「才能ある子」を育てるのです。
それは、やろうと思って出来るような、生やさしいものではありません。
夜叉のような心を持つ者にしかできないことです。
(『生きる技法』安冨歩 著-夢の実現について-より引用させていただきました。)

お話はこの後、「幸福とは感じるものだ」と続いていきます。
幸福を感じられる心は、「自分はこれでいいんだ」と
感じることのできる親子関係があって
はじめて育っていくものなんだろうと思います。

今日も快晴!?2012年9月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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8月に「内部被爆を生き抜く」と言うドキュメンタリー映画の
上映会&鎌仲ひとみ監督のトークショーに参加しました。
とても良い内容でした。
3.11以来気になっていた放射能のこと、内部被爆のこと、
福島に住んでいる人たちの気持ち、汚染の実態・・・。
また、それだけに留まらず、広島、チェルノブイリ、イラク・・・
色んな問題のつながりを一気に知ることが出来ました。
「知る」と言うのは、「全てを理解する」と言う意味ではなく、
今までよく知らなかったこと、何となくこういう問題があるんだろうなぁと
うっすら感じていただけの問題が、現実として「存在している」と
認識したに過ぎないのですが。

昨年3月に福島で事故が起こり、
現実問題として私たちは放射能に汚染された国土に住んでいるわけであり
(風向きにより、放射能は全国的に散らばっています)、
食物の汚染も実際にあり
(一般に流通している全国ブランドの牛乳も汚染されていたそうです)、
放射能汚染の問題は、報道されていないだけで存在しているのであり、
「問題ない」「大丈夫」を繰り返す日本のマスメディアが
いかに正確な情報を私たちに届けていないか。
「知らされていない」と言うのは恐ろしいことだなぁと、
戦時下と似た恐ろしさを感じます。
(公にはなりませんが、原発事故以来東北のとある病院では
死産や流産が4倍に増えていたりするそうです)。

印象的だったのは、「お母さん革命」という言葉です。
この問題を一番敏感に反応できるのは
「我が子を放射能から守りたい」と言う母親達だと。
本当にそう思います。
実際、今回の上映会を企画・運営していたのは、
育児サークルで繋がっている私よりも若い世代のお母さん達でした。
その後、「福島のみんな!遊びにおいでんプロジェクトin愛知
(福島の親子を岡崎に招いて保養してもらおうという活動。
放射能から子どもたちを守るためには、
食べ物による内部被爆を避けることと、
子どもを汚染地域外で保養させることが効果的なのだそうです。)」
にも少し関わりましたが、こちらを企画したのも同じように
岡崎市に住む若いママ達でした。
私の周りでも、「私は放射能のことすごく気になるし、
原発も良くないと思うのだけど、
主人が『そんなの気にしたって仕方が無いじゃないか。
電気がなかったら困るじゃないか』と話にならない」と
言っている人が何人もいます。
男性の方は、仕事に追われてなかなか考える時間が取れないかもしれませんが、
そういう人たちにも是非この映画を観てもらいたいと思いました。

私ももちろん自分の子どもを甲状腺ガンや、
その他の放射能汚染による疾患で失いたくないし、
映画で登場した福島を離れることが出来ず、現地に留まり、
子どもを必死で守ろうとしているお母さん達の行動にも本当に共感し、
心打たれました。
鎌仲監督は、「まず自分の問題としてとらえ、自分の頭で考えること」
とおっしゃっていましたが、
「原発事故は、遠い地域で起きた自分には関係ない問題」ではなく、
「自分の問題だ」と認識することから始まるのかなぁと思いました。
ちょっと調べたらいくらでも情報は手に入るので、
テレビやマスコミの「安全だ」と言う言葉を鵜呑みにして、
本当に大切なものを見逃さないように。
本当に聞くべき声を聞き逃さないようにしたいと思います。
(大手メディアは、大抵電力会社がスポンサーになっているので、
そちらに不利な内容は報道していないようです。)

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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