清風 2012年10月

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歴史は二度くりかえさない。人が、それを繰り返す。   ことわざ・警句

今年の8月15日以降、韓国とは竹島、中国とは尖閣諸島を巡って、
領土の主権争いが再燃している。
なぜ、韓国・中国という隣国との間で、
今もこうした火種が残っているのだろうか。
いろいろな視点があるのだろうが、ここでは戦後責任から考えてみたい。
ドイツが侵略した周辺の国(例えばポーランド、フランスなど)に対する、
敗戦(1945年)後のドイツの歩みを知るにつけ、
日本の戦後の歩みは非常に没主体的な歩みではなかったかと
思わずにはいられない。
ドイツでは、戦後責任を政府及び国民のレベルで追求してきた。
ナチスの主張を認めた人、
そして追随していった人々にだけ責任があるのではなく、
戦争が終わった後の者にも等しく責任があるというのである。
2度とナチス(日本ならば国民主権・平和主義・基本的人権に反する勢力)の
台頭を許さないという責任があり、そのために、過去のドイツ自身の歩みを、
つまり、ナチス時代の歴史教科書を、
フランス・ポーランドと共に編集しているということである。
日本ではどうだろうか。
中国と、韓国と、戦争中の歴史的事実を共有できるような
教科書を作っているだろうか。
日本が中国を侵略し15年間戦場としたこと、
中国に15年間、筆舌に尽くせない被害を与えたことを、
十分に国民に語り伝えてきただろうか。
そして、中国は日本に勝利したにもかかわらず、
日本に対する賠償請求権を放棄したという事実さえも、
ほとんど知られていない(1972年・日中共同声明5項。
今年はその声明40周年の年)。
相手を知らなければ、まず対話はできない。
対話しようとする意欲さえ出てこないと思う。
戦後の日本は、これまでアジアの諸国から信頼できる友人の一人として
迎えられる努力を十分してきたと言えるであろうか。憲法(前文・第9条)は、
中国やアジアの尊い人命を奪ってきた、その犠牲の上に、
日本国民に贈られたものではなかったろうか。
国際政治の現状から逸脱しているのは日本の政治のポリシーであって、
憲法は今こそ、
日本と国際社会の未来を照らすものと言えるのではなかろうか。

『正信偈』のはなし 2012年10月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】

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本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
還来生死輪転家 決以疑情為所止 
速入寂静無為楽 必以信心為能入
「本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、
必ず信心をもって能入す、といえり。」

<真宗教証興片州> 真宗(真実の宗。宗は中心という意味。)について
仏教では「真(真実)」とは「真如」と言われます。
「真如」とは、色もない、形もない、ハタラキそのものということです。
しかし、そう言われても、私どもには理解のしようがありません。
愛情もそうではないでしょうか。
愛情そのものをどんなに説明されても「愛情がわかった」とは言えません。
愛情は、懺悔を伴わなければ感得できないものです。
親鸞聖人が「真宗」といわれていることは、
中国の善導大師の次の言葉を背景にしておられます。
「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、
常に没し常に流転して、出離の縁あることなし。(機の深信)」
〔私は、今現在も、流転(私自身、どこに向かって生きているのか、
どうなりたいのかわからない)のままに、罪と悪を畏れ、
我が都合に適えばほんの一刻のみ喜び、
我が都合に適わなければたちまちに人をのろい、
この世を浮き草の如くとしかいいようのない、
実ることのない虚仮の人生を生きている者にしか過ぎない。〕
しかし、このような自分の生き様は、実は、
仏教が「真如」と伝えてきた真実のハタラキに出遇ってこそ
告白できる境涯なのです。
自分の生き様は、自分の「自我」というものに振り回され、
一刻たりとも安んずることができないということなのです。
つまり、私が私の主(あるじ)であると思っていたが、あにはからんや、
実は私は私の「自我」の奴隷にしか過ぎなかったという告白でもあるのです。
「真如」とは、私の闇(愚かさ)を照らし出す光(教え)として
語られてきました。
光とは譬喩的表現であり、私の闇(無明)を前提として語られているのです。
ですから「機の深信」とは、私が初めて私(自己)に出会った告白であり、
その慙愧と感動の表現でもあるのです。

お庫裡から 2012年10月

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小学校の読み聞かせボランティアも2年目に入り、
今年度は、誓くん・開くん両方のクラスへ行かせてもらうことになりました。
2年生の誓くんのクラスは、決まった時から
「じごくのそうべえ」にしようと決めていました。
これは、桂米朝の上方落語、「地獄八景亡者戯」が
絵本になっているのです。
孫達も大好きな本で、何度も読むことをせがみ、
読み手の私も何べん読んでも飽きない面白い本です。
私の関西なまりが活かせるか
(関西ことばは関西弁でなくっちゃネ)とも考えたのです。
そうして6月に無事終わりました。
さて問題は開くんのクラス。4年生は何を読むのか?
芥川龍之介の「鼻」「蜘蛛の糸」「杜子春」なんかはどうだろうと考え、
龍之介の全集(ちくま文庫)全6巻、お陰で再読はできたのですが、
どれも15分以内に読み切れるものではありませんでした。さて困った。
何にしようと心に掛かるので、ついつい開くんの読む本に目が向き、
7月~9月にかけて、開くんの借りてくる本を片っ端から
競争のようにたくさん読ませてもらいました。
それでもなかなか決まりません。
思案しながら子ども部屋の本棚をのぞくと、
下段の隅の方に落語絵本「そばせい」「たのきゅう」の
2冊が立っているではありませんか。
私はずーっとこの本を見落としていたのです。
手に取ると、川端誠さんの絵も漫画チックで面白く、
話も落語なので面白くないはずはありません。
これはこれはと手を打ちました。
開くんも、これらの本は「読んでもらったことは無い」と言うので、
早速、この2冊の本を読み聞かせに使うことを決めました。
読み手が面白いと思う、それが相手に伝わるかどうか。
落語家のように威勢よく軽快に読めるといいなと思います。
ボランティアは10月1日です。

今月の掲示板 2012年10月

テーマ:今月の掲示板

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人間はタドンみたいなものや。
洗ったらきれいになるとか
ダイヤモンドのように光るということはない。
タドンにはタドンにしかやれないことがある。
それはタドンのままで、自身、赤々と燃え輝き
生き切っていく道である。
その時、周りも明るさと温もりをもらっている。

われわれの経験の一切は言葉になる。
言葉で迷い、言葉で苦しんでおる。
その人間を開く唯一の言葉が
南無阿弥陀仏です。

みんな幸福を求めている。
しかし、現代の幸福は、
どれだけ幸福になっても不安がつきまとう。
何故なら、手に入れてしまえば、それをすぐ当たり前にしてしまうから。
あなたは、本当の幸福を知っていますか。

念仏の教えを聞いて
私がどんな者だったか知らされるということが
回心ということ。

自分も持てあましているくせに
人様のことまで引っぱり出して苦しんでおる。
煩悩も忙しいものです。

〇〇らしい、〇〇らしく という心が
他人を縛り、自分も縛っていく。

本堂に座って 2012年10月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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先月、幸福を感じるには「自己肯定感」を持つことが、
「自己肯定感」を持つには親子関係が大切だ…と書きました。
ところが、この親子関係が「自己嫌悪」を生み出してしまうかもしれない、
と指摘してくださっています。
先月に引き続き、安冨歩さんの書籍から引用させていただきます。

【命題12】
「自分は悪い子だ」と思い込まされていることが、自己嫌悪である
このような思い込みは、子ども時代に生じます。
なぜなら、子ども時代の経験によって人間は、
世界に対する態度を決定するからです。
この時代に、自分の感情を受け入れてもらう経験が少なく、
逆にその感情を拒絶される経験を積むと、
人間は自分の感覚を信じられなくなります。
こうなった時、子どもは「自分は悪い子だ」と思います。
なぜなら、感じてはならないことを感じてしまうからです。
ここで注意すべきは、「自分は悪い子だ」という感情が、何か、
子ども自身の落度の結果として生じるのではない、ということです。
ところがひとたび、この感情にとりつかれると、それは、
通奏低音のように、常に鳴りひびきます。
親の期待に応えて、何かをうまくやった時に、ほめられると、一瞬だけ、
この通奏低音が聞こえなくなるだけです。
うまくやれなかったことが「原因」で「悪い子」と感じるのではないのです。
「自分は悪い子だ」という態度が、
その子自身が生涯背負う態度となって固着化してしまいます。
これが自己嫌悪の発生です。
そしてその人が、自分が自分自身から隠してきた事実に目を向けない限り、
この「自己嫌悪」という態度が、基本的な態度となり続けます。
この感情を抱いていると、自分の感覚が信じられなくなります。
なぜなら「悪い子」が嬉しいと感じることは、悪いことなのですから。
自己嫌悪の原因は、いくら考えても、自分では見えないのです。
それゆえ、自分ひとりで、自己嫌悪の原因について考えるのは難しい、
ということになります。
それでも、自分で考える以外に、道に踏み出すことはできません。
そうやって道に踏み出すには、勇気が必要です。
その勇気を得るためにも、また、原因を発見するためにも、
他人の助けを必要とします。
【命題12-9】
あなたが自己嫌悪を乗り越えようとすると、憤激して妨害する人は、
あなたを利用している人である
もしあなたが踏み出そうとして、恐ろしい目にあったら、
それは「失敗」なのではなく、「成功」です。
というのも、あなたが踏み出そうとしているのを見て、こういう人が憤激する、
ということは、あなたが正しい道を歩み始めた、ということの指標だからです。
そこで怯えては全てはおしまいです。勇気を持って、踏み出してください。
【命題12-10】
自己嫌悪を乗り越えるには、友だちと共に勇気が必要である。
もしあなたが、勇気と友人とに恵まれ、
自己嫌悪を乗り越える道に踏み出した、としましょう。
そうすると、その瞬間に、あなたは自己嫌悪から抜けだしているのです。
というのも、自己嫌悪というのは「態度」ですから、
その態度を抜けだそうとすれば、
それは結局、もはやそういう態度をとらない、ということだからです。
それゆえ、踏み出した瞬間に、もう、闘いは終わりです。
【命題13】
自己嫌悪を乗り越え自分を愛する様になることが、成長をもたらす。
自己嫌悪こそが、破壊と破滅と失敗と不安と恐怖との原因である。
(『生きる技法』安冨歩 著-自己嫌悪について-より引用させていただきました。)

実のところ、自己嫌悪という「態度」をとってしまう…という人は多いと思います。
自己嫌悪を乗り越え、自分を愛する(自らその身を大切にする)ことで、
自分を成長させていく…ここから「自己肯定感」が育っていくのでしょう。

今日も快晴!?2012年10月

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O市にあるとある私立の子ども園の副園長先生が書かれた文章が、
非常に私の思いと合致したので、抜粋して掲載させていただきます。
この方は、「自分の子どもに戦隊ヒーローものを見せたくない」
と言う一念で、家からテレビを無くされたそうです。

日曜日に戦隊ものの番組を見て影響された子どもたちが、
月曜日に子ども園でどんな様子を見せるかというところから
『・・・ヒーローになりきった子どもが、ままごとコーナーなどに入っては
「バンバンバン!」、簡単にいうとその場を荒らし、破壊していきます。
他の子どもはなかなか落ち着いて遊べません。
それで、クラスの友だちを敵に見立てて撃ち殺そうとします。
もちろん、役割分担なんてありませんので、
バンバン殺りあっている子たちは、お互いヒーローです。
または、全然関係ない子を敵に見立てて撃ち殺します。
もちろん、戦隊ものですから、何人かで1人をやっつける、
という構図も当たり前です。
同じように銃を持っている子を見つけて、関係ない子を一緒に撃ちます。
当然その中では、「なにかをやっつけたい」イメージから、
友だちを叩いたり、「悪いことをするやつは殺していい」イメージから、
「悪いことをした」と判断した子をやっつけようとしたり、
ということもよくあります。
それで遊びはいつも同じパターン。バンバンやってやっつける、
だけで、イメージの広がりも深まりもありません。』
・・・(中略)・・・
『園長が、何年か前、ヨーロッパ各国の幼児教育の視察に出かけた際、
スウェーデンの先生から、
「子どもたちを取り巻く日本の暴力テレビ番組をどう思うか?」
と問われたことがあるそうです。
そこで指摘された「暴力テレビ番組」とは
決して大人のアクションや時代劇ではなく、
“○○レンジャー”や“仮面ライダー○○”のことでした。
なぜなら、その内容は常に「殺し」が当たり前で、
「(自分たち基準の)正義のためなら他者を殺していい」
というものだからです。
そしてさらにそのヒーローたちのキャラクターが商品化され、
巨大な市場(おもちゃ・遊園地・イベントetc.)を形成し、
金儲けの構造に家族を巻き込んでいます。
「子どもを楽しませるプロ」たちが作った、暴力に満ちた刺激的な番組。
それはもう何十年も前から続き、「親世代」という立派な土壌を作り、
今や日曜朝の時間を、親が子どもと一緒に楽しみにして、
お父さんも喜んで見て、おもちゃを買い、グッズを買います。
イケメン俳優を使い、女性(お母さん)のファンも増やしています。
ドラマ性を持たせて、大人の鑑賞にも堪えうるクオリティです。
今や、それは「当たり前」に存在するものとなり、大人たちは無感覚になり、
見過ごしているのです。
しかし、それは本当に今、幼児たちに見せるべきものですか?
・・・(略)・・・。
極端に、みなさんテレビは卒業しましょう、とは言えません。
でも、各家庭で考えてみませんか?
お父さんとお母さんで話し合ってみませんか?
この「当たり前」は、ほんとうにこのまま「当たり前」でいいのか?』

我が家は「戦隊ヒーローものは見せない」という選択肢をしたまま
息子たちは2年生と4年生になりました。
「私は見せたくないけど、みんなが見せるから仕方ないのかな?」と
思っていらっしゃる方があれば
「周りに合わせなくても大丈夫ですよ」と伝えたいと思いました。

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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