今日も快晴!?2013年2月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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1月に「性教育講座」を受ける機会がありました。
午前中2時間は保護者向けの講座。
午後は、未就学児向けの時間&小学生向けの時間
(こちらの40分を長男と受講)でした。
午前中の講座がとても面白かったので、少し内容を紹介したいと思います。

☆性教育は、健康・安全・科学という視点で語られる。
子どもが一生健康で生きていくための情報である。
性の話が出来る家庭は、他のどんな話も出来る。

☆学校では、4年生あたりで性の話をする時間があるが、
性器の名称も教えてくれず
(教員は言葉に出してはいけないことになっている)、
企業の試供品のナプキンを配って終了。

☆正しい知識を教えられないと、
自分の体の変化を受け入れることが出来ず、
月経や夢精などが起こった際に「自分は病気なのではないか」、
「自分は変態ではないか」と子どもが悩むことになる。
「月経は赤ちゃんを産む準備が整ったことで、すごく素敵なこと」、
「夢精は健康な証拠」と教えられていたら、
余計なことで悩まなくて済む。

☆現代は、ゲーム機などでインターネットで簡単に接続でき、
ポルノ画像なども簡単に手に入る。
アメリカでは、「インターネットはリビングでパソコンで」が常識。
日本のように、子どもたちがゲーム機や携帯、
スマホで個別にネットに接続できるのはおかしい。

☆5年前にパケ放題がスタートし、ネット犯罪が増えている。
それまでは料金で歯止めが掛かった。
携帯の所持率を下げることが、犯罪やいじめの発生率を下げることに繋がる。 

☆モバケー・グリーなどは無料ゲームサイトではなく、
出会い系サイト。
自分のプロフィールをネットに掲載することで、
次々に誘いのメールが届くようになり、犯罪の被害に遭う。
女の子は体の被害、男の子は借金の被害に遭う。
…米国では、性犯罪の加害者が、かつて被害者だったケースが多い。
被害者を作らないことが、加害者を作らないことに繋がる。

☆携帯、スマホは「みんなが持っているから」、
「部活の連絡で必要だから」、「家族で持てば安いから」
と勧められても、不安だったら持たせない。
部活の連絡も、電話や家のパソコンを使えば特に困らない。
持たせる時は、「なんのために持たせるのか」
「どのような機能が必要なのか」をきちんと子どもと考える。等々。
私自身は、子どもたちに
「お父さんとお母さんが心から愛し合って結婚し、
あなたたちを授かった。
それはとても喜ばしく嬉しく素晴しい出来事で、
あなたの存在をお父さんとお母さんは心から喜んでいる」、
「あなたという存在はかけがえながなく、他の誰でもない、
あなたがあなたとして存在していることが素晴しい。
どんなあなたであっても、お父さんとお母さんはあなたのことを愛し、受け入れる」
ということを伝えることが性教育の第一歩だと思っています。

性教育講座の講師の先生が「性教育とは自尊感情を育むこと」
と表現されていたのは、多分同じ事だと思います。
現在日本の政権は、「戦争をしたい」と考えているので、
「性教育を行う」=「自尊感情を持った子供を育てる」ことにつながり、
「自尊感情を持った子供」は、「お国のために命を捧げる。
自分の感情を殺して銃を持ち、敵と戦う人間」にはならない。
それは、戦争をしたい政治家にとって都合が悪いので、
日本では性教育を積極的には行わないのだそうです。

『正信偈』のはなし 2013年1月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】

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本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
還来生死輪転家 決以疑情為所止 
速入寂静無為楽 必以信心為能入

「本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来(かえ)ることは、
決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、
必ず信心をもって能入す、といえり。」

法然上人の、人間が人間らしく生きる上での必須条件は
「ただ念仏」のみである、という表明は、当時の人々に影響を与えました。
法然上人が、人間が生きるうえで大事な視点を提起してくださったからでしょう。

翻って見れば、今や信頼できるのは貨幣(お金)のみというのが、
先進国日本の現状です。
人間はおろか、信頼すべきものは何もないという状況です。
領土のためならば若い人々を戦場にやってもいいと、
大声で“暴走老人”の政治家が叫び、それこそが美しい国、
日本の政治だというわけです。
領土といえば、福島は日本の歴然とした領土です。
しかし、福島を含む多くの地域は、
これから何年経ったら安心して住める領土になるのでしょうか。
チェルノブイリから2000キロも離れた英国のウェールズ地方では、
25年たった今も、いまだに放射能汚染による羊の出荷規制が行われているそうです。

こういう国にあって領土を護るとはどういうことを指すのでしょうか。
今や、もう日本では、領土は領土でなくなっているのかもしれません。
国民が住めなくなっているのですから。
地震国日本に50を超える原発があるということは、我々は逃げ場がないということでしょう。
人間は生きるために、いったい何を本当に必要として、何を必要としていないのか…
我々が考えなければならないのは、まさにそのこと、
つまり文明論的な課題をそれぞれが考えなければならないという地点に立ち至っているということです。
それを法然上人は、「ただ念仏」という言葉で提出されているのです。
 上に挙げた文章で言えば、「決以疑情為所止」と語られる所以でもあります。
(この項つづく)

 

お庫裡から 2013年1月

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年頭にあたり、来し方、行く末をつらつら考えてみる。
「何故、私は私に生まれてしまったのか」と、
自分を否定し、苦しんだ時代があったのに、
今は、「私が、私である」ということが、
大変有り難く、嬉しく、大きな喜びを感じている。
では、毎日ニコニコ暮らしているかと言えば、そんな事は勿論無い。
少々の事にでもすぐ腹が立つし、怒りは込み上げてくる。
思い通りにならぬと不平不満もすぐ顔を出す。
日替わりメニューどころか、時間割メニューのように、
ひょいひょいと顔を出す
そんな私であるのに、何故、私が私を喜べるのか。
まず、私は孤独ではない。腹立ち、怒り、
不平不満は大抵にして自分の周りの者に向けられる。
それは、自分が常にその人々に囲まれているという事である。
という事は、その人々に支えられ、助けられているという事の最大の証拠だ。

次に、「袖すり合うも多生の縁」という言葉があるように、
私が知り合え出会えた人々は、
同時代に生まれ合わせ、生き合わせたという事で成立する。
だから出会えたと思えば、「ようこそ、ようこそ」と口をついて出る。
そして、生きているという事は、目があり、耳があり、
鼻があり、舌があり、身体の感触があり、心に思うという事があって、
私というものが成立している。
そう、私は今、生きているではないか。

ピリピリする冷気の境内に出ると、秘かに「コンコンコン」と音がする。
「コンコンコン」「コンコンコン」その音をたどって見上げ、目を凝らすと、
大木の楠の下枝の中程で小さな啄木鳥が虫を探して木をつついている。
「あー、あんただったの」啄木鳥は、私に構わず無心で木をつつく。
そんな事も私の心を暖かくしてくれる。
やっぱり、私が私であることは、無上の喜びだ。南無阿弥陀仏。

今月の掲示板 2013年1月

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楽と苦と
2つ有るように思うておる。
一切は苦だ。
楽があると思うておるから、苦しいのです。
楽なんか無いのだ。
それをはっきりすることが、
本当に楽を開いていく道だ。

ああ、このまま
これでよかったというのが如。
如を失う所に不安がある。

現実の一点一画も変更する必要がない、
という悟りを如という。

ああでなければならない、
こうでなければならない、
というのは、如ではない。
不如という。

われわれは、
そこから生まれてきて
そこに支えられて生きており
そこに帰らなければ
安心も満足もない
大きな力(ハタラキ)、如を
具体化したものが、
本願であり、
光明であり
名号だ。

野菜も魚もないのに
包丁がいるか。
煩悩という材料を料理するのが
智慧という(仏さまのハタラキ)包丁です。

仏のご恩というのは、
無事とかなんとかにあるのではない。
本当に迷い心を破ってくださって
明るく、どういう事をも引き受けていけるような
身にさせて頂いたことが
大事な仏さまのご恩だ。

自分を見失うような出来事にあって
それを縁として自分に立ち返る。
どちらに転んでも無駄が無い。
これが、念仏です。

自分を大事にしていく道というものは、
他を愛することなしには開けてこない。

人間関係がつかめず、孤立しているのは、貴族。
日本人は現在みな、貴族になってしまった。
庶民は、生きる事に精いっぱいで
助け合わなければ生きられない。

本堂に座って 2013年1月

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世間にはさまざまな意見がありますが、
一般的な考えや多数を占める意見が「正しい」「常識」と
されている様に思います。
内容よりも声の大きさやウケの良さ…
ばかりに目がいっている様にも感じますが、
あらためて「常識」について考えさせていただけるお話を
紹介させていただきます。

このような(東日本大震災により甚大な被害を受けた)事態に対し、
ニュースなどでよく聞かれたのは「未曾有」という言葉でした。
この時以来、どれほど多くの人たちが「未曾有」という言葉を使ってきたことでしょう。
しかし、この言葉の使い方そのものに問題があるように思います。
「未曾有」は、一般的には「これまでになかったほどの出来事」
という意味で用いられています。
ところが、本来は「未曾有なる仏の教え」というように
「驚くほどすばらしい」という強い讃歎の意味で用いられてきました。
それがいつの間にか、私たちの「常識」としては、
「未曾有の災害」「未曾有の悲しみ」というように、
人間では測り知ることのできない出来事を表す言葉として
用いられるようになりました。
では、そういう使い方であっても、
災害や悲しみは「未曾有」だといえるのでしょうか。
人間は本当にこうした可能性を予測できなかったのでしょうか。
そうではないでしょう。
この度の震災では、人間の責任を回避する言葉として、
「未曾有」が多用されたのです。
このように、「未曾有」という言葉の使われ方を見ても、
現代社会の「常識」というものが、
いかに頼りないものであるのかがよくわかります。
では「常識」はいつでも「常識」であり得るのかというと、
状況や環境によって「常識」と「非常識」は容易に入れ替わります。

「常識」というのはすなわち、時や場所、
あるいは社会や体制にとっての都合を個人に押し付けるものでしかありません。
個人の方は、その「常識」を受け入れる姿勢を示すことによって
社会や体制にへつらうという構造になっています。
権力者が人々にものを押し付けるために使うのが「常識」という判断基準です。
私たちのような被権力者は、それを受け入れることが、
善い子であるという「常識」になっています。
私たちは、いろんな知識を学び、知恵を得て、
次第に人間としての自我に目覚めてきます。
一般の道徳的な「常識」の中では、
この人間としての自我をどんどん積み上げていくことを善というように考えて、
それを成し遂げた人を完成者と呼びます。
しかし、本当の意味で私たちが自由人になるためには、
一度この積み上げられた人間としての自我が
、否定的な自己発見によって打ち砕かれないといけないのです。

現代の社会では、「勝ち組」「負け組」という言葉が当たり前のように使われていて、
一度も負けることなく勝ち組になることが
善い生き方だと教える環境が無批判に評価されています。
そして、彼ら成功者たちが善人と呼ばれているのです。
そのような人たちの背後には、その何十倍、何百倍の、
どうやっても「勝ち組」になれなかった人たちがいます。
その人たちの負ける姿こそが、人間のありのままの
「いのちの相(すがた)」なのです。
破れた人たちに、「私たちこそ自由な人間として真実に出遇い、
自由に救われていくチャンスを持っているんだ」というような、
本当に自由な世界を見出し、喜びに充たされていくような環境を作ることこそが、
今の世の中には必要ではないかと思います。
(『非常識のススメ』浅野玄誠 著 東本願寺発行-より引用させていただきました。)

私たちは、テレビや新聞から知らず知らずのうちに「常識」を植え付けられて、
何の問題意識も持たずに過ごしています。
時には、「何が本当に正しいのか?」「物事の本質がどこにあるのか」を
考えてみるのも大切なことだと思います。

今日も快晴!?2013年1月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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なんとなく違和感を感じながら、
きちんとその理由が説明出来なかったインフルエンザや
子宮頸ガンのワクチンについて知りたかったので、
先日「ワクチン講座」を受講しました。
「テレビで繰り返しCMが流れるから、
子宮頸ガンワクチンは打った方が良いのかな?」、
「接種券が配られたら、予防接種は打たないとダメなのかしら?」
と考えている方に是非聞いていただきたい内容でしたので、
ざっと自分のレジメに記録したことを紹介してみたいと思います。
(※は、私の個人的意見です)

○ワクチンではインフルエンザなどは防げない。
しかし、そういうマイナス情報は社会に出てこない。
そういう社会の仕組み(=経済優先の社会構造)になっている。
(※インフルエンザワクチンをみんなが接種すれば、製薬会社が儲かる)
○マスメディアは製薬会社がスポンサーになっているから、
スポンサーの意に沿うように番組が作られている。
(※テレビで「インフルエンザが流行しそうですので、予防接種はお早めに」とは言うけど、
「打っても効かないから止めておいたらほうが良いですよ」とは言わない。
スポンサーのデメリットになる情報は、テレビでは伝えない)
○タミフルは、全世界で4500万人が使用したが、
そのうち3500万人は日本人(※異常な数字ですよね?)。
タミフルは急激に体温を下げるので、幻覚など見えて危険。
○子宮頸ガンワクチン・・・子宮頸ガンを予防できないどころか何の効果もない。
さらに、不妊になる可能性がある。
○インフルエンザの予防接種には防腐剤として水銀が含まれている。
近年増加している自閉症やIQの低下と因果関係があるのではないか?
どうしてもインフルエンザワクチンを打たなければいけない場合、
「水銀無しで」とお願いした方が良い。
等々。講座を聴いて思ったことは、要するに、
原発やら精神薬の薬害やら、構造は全部同じだなぁと言うことでした。
経済優先の社会構造があり、「金儲けがしたい」と考える企業が
大手メディアのスポンサーになり、
歪んだ情報(=スポンサーにとってメリットになること)を
テレビなどで伝え、真実(=スポンサーに不利益なこと)は一切報道されません。

講師の方が言われていた
「マスメディアの情報を鵜呑みにしない&常識を疑う勇気を持とう」
と言うのは、本当にその通りだと思いました。
「テレビで言ってるから正しい」とか、
「国から接種券が届くから予防接種は打つものだ」とか、
『考えることを放棄する習慣』をまず止めなければ、
私たちは大手企業の思うままの
「都合の良いお客様」にされてしまうのではないでしょうか?
この講座で紹介されていた
「インフルエンザワクチンはいらない」(母里啓子著)も、
非常に面白い内容でした。
母里さんの「(インフルエンザワクチンの小学校での集団接種はなくなったものの、
高齢者のワクチンが公費負担になったことについて)公費負担になるということは、
打つ方向に統制されるということです。
公費負担になって、ありがたいのでしょうか?
『ただ』ということは、考えることを麻痺させること。
公費になった物は全て良いことだと信じ込ませることであり、
...選択の余地を無くすことなのです」と言う言葉が身に染みました。

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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