清風 2012年8月

テーマ:清風 【住職】
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私のものさし
-簡単に言えば、自分が一番かわいい・正しい
(身も蓋もないと言われれば、そうなのだが…)ということになるでしょうか。
人間には弁解ということがあります。言い訳をするのです。
「実はこういう理由でできなかった。悪く思わないで欲しい」というように。
一生かかって弁明これつとめているというのが、案外、生きるということの中身かもしれません。
今、日本は一億総被害者の国と言われています。
自己の人生の責任者として生きるとは、「私のものさしを問う」とは、
どういう生き方をいうのでしょうか。
「被害者意識というのはやっかいなものです。
私も、被害者なのだから何を言っても許されるという
ある種の全能感と権力性を有してしまった時期があります。
時のヒーローでしたからね。 
(中略)
調子に乗っていた当時の自分を振り返ると、恥ずかしい。
だけど日本社会は今も、あの時の自分と同じように謙虚さを失い、
調子に乗ったままなのではないかと思います。」
蓮池透さん(元「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長
「朝日新聞」朝刊2013・7・13)の言葉である。
「私のものさしを問う」とは、謙虚さを失っているということに気づくということなのでしょう。
しかしそれは、簡単なことではありませんでした。
蓮池さんにとっては、2002年以来の身辺の慌ただしい急変に翻弄された末に、
やっと掴まれた尊い経験だったのです。
私のものさしを問うことがない限り、いつも加害者を作らずには生きていけなくなる
-つまり閉塞感から抜けだせなくなるのです。
その結果、「加害者をやっつけろ」と、他者を認められなくなります。
自分の人生の責任主体を確立しなさい、というのが、
私に被害者意識が起こってくる意味と言えるでしょう。
責任主体が問いとなる時、加害者も被害者も
「自分がかわいい」という点で共通であるという「共なる者(凡夫)」という地平が開かれ、
それぞれの「ものさし」を再吟味する必要に気づかされていくのでしょう。

『正信偈』のはなし 2013年8月

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還来生死輪転家 決以疑情為所止 
速入寂静無為楽 必以信心為能入
「生死輪転の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、必ず信心をもって能入す、といえり。」

法然(源空)上人の説かれたところを、主著『選択集』
(『観経』三心釈)から引用されております。
この『観経』に延べられている三心(至誠心・深心・回向発願心)については、
善導大師が独創的な解釈を加えられ、仏教の正意を明らかにしてくださったと、
親鸞聖人は『正信偈』に「善導独明仏正意」(善導章)と述べられて、
善導大師の徳を讃歎しておられます。
その『選択集』の文章は
「まさにしるべし。生死の家には、疑いを以て所止と為し、
涅槃の城には、信を以て能入と為す」とあり、
この引文の最初には「三心は行者の至要なり」と、
法然上人もこれこそ念仏者の要であると言われているところです。
「ただ念仏」、それが法然上人の信心の内容であり、
念仏・南無阿弥陀仏の中心が、信心、つまり「深く信ずる心」であると。
その「まさにしるべし」という師・法然上人の呼びかけに対して、
その呼びかけにうなずいた決意が「決」と「必」の言葉で表されています。
仏教の宗派はいろいろあり、そこでは様々に教えが説かれていますが、
仏教の課題とするところは、「生死を離れて涅槃を得る」ということでしょう。
「生死」(迷いの人生)とは、つまり、その生は死に向かっている生である…
そういう生しか知らないということでしょう。
比較・相対という生き方、現代の私どもは、とにかく競争社会と言われるように、
較べて他からの評価にさらされて生きています。
生存競争とも言われるように、ライバル、さらに言えば、
そのライバルは敵という意味を常にはらんだ、
孤独な生き方に追い込まれていかざるを得ません。
私どもがこの娑婆を一歩も離れることなく涅槃(寂静無為の楽)を生きることがどうしてできるのか、
その問いに答えたのが「信心を得てこそ」ということであったのです。

お庫裡から 2013年8月

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韓国人のガイドさんが教えてくれました。
「私の国の健康法、壱、拾、百、千、万です。
壱は一日に何か1つ他人のために良いことをしましょう。
拾は一日に10回大きな声で笑いましょう。
百は一日に百字は書きましょう。
千は一日に千字は読みましょう。
万は一日に一万歩は歩きましょう。
これが、壱、拾、百、千、万の健康法です。」
それを聞いた隣の人は、
「万は毎日ウォーキングしているから、もう少し歩く距離を延ばせば何とかクリアできるかなー。
千も毎日新聞や雑誌を読むから、これも何とかやれんことはないね。
百は、うーん、この頃ほとんど字を書くことはないからねー、百字ねー。
毎日百字を書くのは難しいわ。次は一日に10回笑う。
これはとっても難しいわ。おじいさんと2人暮らしだもの。
けんかすることはあっても、笑うということがないからねー。」
それを聞いた、その隣の人から
「あなたはまだ2人で居られるのでしょ。
けんかするお相手がおられて、いいじゃないですか。
1人になった私は、どうすればいいのですか。」と合いの手が入る。
「壱も、一日に1つ、他人に喜んでもらうことをする。
これも難しいね。最近は、親切のつもりで何かやっても、
プライバシーの侵害だとか何とかで、うっかり声をかけると、
逆ににらまれたり、手を出すと何か目論見があるかと疑いの目で見られたりで、
下手に手が出せないしねー。難しいねー。
こうやって考えてみると、この健康法、位が下になるほど、やるのが難しいねー。」
こんな会話に、私はすっかり考え込んでしまいました。
病んでいる。
人間が病んでいる。
私もまたその1人だ。犬や猫でなく、人間しかかからぬ病。
その病を見つけていくところに、人と生まれた尊さがあるのだろうか。
意義があるのだろうか。

今月の掲示板 2013年8月

テーマ:清風 【住職】

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現在の私たちは
明治時代より4.4倍の豊かさを生きている。
だから4.4倍幸せを感じて生きているかといえば
そんなことはない。

進歩って、人間がだんだん道具になっていくようです。
自分の身を道具としてみると
あらゆるものが全部道具としてしか見られない。

人間、
2倍豊かになれば煩悩は4倍
4倍豊かになれば煩悩は8倍
8倍豊かになれば煩悩は16倍
どれだけ与えられても
満足が得られない生きものらしい。

あの人を生きても、この人を生きても
あなたはあなたを生きたことにならない。
それは、評価を自分としているからです。

本当の自由を教えましょうか。
評価は他人にまかせることです。
比べている限りは
どんな人生であっても空しい。

人の身になって考えるということがね…。
これがなかなか、口で言うのはやさしいのだが…。(池波正太郎)

乳児は肌を離すな。
幼児は肌を離せ、手を離すな。
思春期は手を離せ、目を離すな。 (精神科医)

本堂に座って 2013年8月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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今年の7月は、僕の周りでは参議院議員選挙の話題で持ちきりでした。
原発をどうするか、憲法を変えるのはどうか、TPPに参加する影響は…。
インターネットで選挙に関する情報をやりとりできる様になったこともあって、今まで以上に、様々な意見、候補者の方の声・主張が届いてきました。
そんな中、「緑の党」から出られていた三宅洋平さんという方が演説会(というほど堅苦しいものではなかったですが)で話されていた内容が、とても心に残りました。

信じ切っていいんですよ、自分のセンスを。
間違いだらけの自分が間違いないっていうことを信じて。
100点満点の、なんかこう、「神様~!」みたいなのを押し付けられるんじゃなくて。
ギリシャ神話にも日本の古代神話にも、浮気をして嫁に怒られ、
食べるなと言われたものを食べて追放され、親父の言いつけを破っていわにはり付けにされ…みたいな、
それが神様なんですよ。
じゃ、俺らのことやん、それ。
めちゃくちゃ。その欠点だらけの人たちが、
5 0年後・100年後・1000年後の孫子の時代に、もっとよりいい時代を作ろうっていう、
一縷(いちる)の愛が勝(まさ)つてれば大丈夫なんだよ。
私は何もしてません、あるいは、忙しくて何もできないって言う声をいっぱい聞<んだけど、
生きてるだけで営みの連続。
食べて、飲んで、洗って、捨てて、取って、耕して、出かけて、乗って、働いて、
もうこの一挙手一投足の全部のチョイスは自分に掛けられてるから、
そのクオリティオブライフをちゃんと上げること。
自分で考えて。答えは俺もいっぱい持ってるけど、
みんなもいっぱい持ってる。 (中略)
人間だからね、人間らしい言葉で語って、人間らしい社会をちゃんと作りたい。
で、今まで産業なり金融なり軍事で潤ってきた人たちに、
その過去を突きつけて、それを奪い取るんじゃなくてね。
だって俺たち、特にバブル以降に育った若者は、無い経済・回ってこない富の中で、気づいちゃったんだよ。
「ああ、金が無くても俺たちは結構幸せになれる。金じゃない豊かさはいっぱいある」つていうことを。
だからね、俺たち若者に金を回さなかったのは、凡ミスですよ。
「くっそー、ひもじいー。」つて思いながら十何年、耐えに耐えて生きてきたら、
もう俺たち平気になっちゃったんだよね。
もう違う世界が見つかっちゃったんだ。こっちのが楽しいよって。
だから教えに行くさ、それを。
その代わり、大企業とか国とかっていう大きな単位じゃないとリードできないこともいっぱいあるんだよね。
そこをね、彼らのやってきたこともリスペクト(敬意を示す)して、ちゃんと使わしてもらいたい。 
「王様なら王様らしくしてくれよ」って話。
別に、あなたが王様であることを引きずり倒そうって言ってんじゃない。
「王様なら王様らしく、民を思えよ!」って話なんだよ。
そこが問題だから、俺は言いに行<。
(2013年7月15日開催一三宅洋平さんの選挙フェス(演説会?)の動画より
引用・書き起こしさせていただきました。)
全体の内容としては「選挙に向けたアピール」だったのですが、
その中にはここに挙げたような「生き方」にふれる話もたくさん聞くことができました。
選挙(政治)は一定期間だけの特別なモノではなくて、
日々の生活の延長線上にあるんだ…ということがよく伝わってきます。
仏教も同じだな、と感じていたら、蓮如上人の「仏法は、しりそうもなきものがしるぞ」という言葉に遇いました。
いろんな方からいろんな形で学ばせていただけるものだな、とあらためて感じました。

今日も快晴!?2013年8月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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この原稿を書き上げ、新聞が発行される時にはもう結果が出ていますが、今回の参議院選挙は今までになく関心を持って見守ることが出来ました。
ひよんなご縁で、「緑の党」から立候補された尾形けいこさんと知り合いになり、読み聞かせ会にも足を運んでもらえたのです。
せっかくなので、その場にいらっしゃった方たちと「グリーンカフェ」という座談会を開きました。
尾形さんは、自己紹介で開口一番、
「私は3才の孫がいるおばあちゃんです。
高度経済成長を謳歌し、原発をいくつも作ってきてしまった世代の人間です。
それを皆さんに謝りに来ました。本当にごめんなさい!」と、深々と頭を下げられたのです。
原発を作り続けてきた政党が、素知らぬ顔で「日本を取り戻す!」などと言っているのとは対照的なその姿は、とても新鮮で本当に清々しく感じました。
その場に集まった若いママ達が、自分の思いや質問をぶつける一つ一つに
「ごめんなさい。そのことについてはまだ勉強不足で分かりません。これから勉強します」とメモを取り、
「若い人たちの意見が知りたいのです。教えて下さい」と真剣な表情で耳を傾けてくれました。
また、同じく「緑の党」から立候補している三宅洋平という人の選挙チラシには、
以下の9項目の政策が書かれており、どれもこれも「その通り!」と頷くことが出来ました。
  【三宅洋平・政策9ヶ条】
1.文化を最大の輸出品に
2.復興から保障へ
3.除染から廃炉ビジネスへ
4.送電線から蓄電技術へ
5.消費増税から金融資産課税へ
6.大規模農業から家庭菜園へ
7.官僚主権から住民主権へ
8.破壊から再生の公共事業へ
9.憲法9条を世界遺産に
彼の「選挙フェス」という演説会に足を運びましたび、(ここは野外ロックフェスの会場かしら?)と思うくらい、集まっている人たちの雰囲気が若くておしゃれで、
これまでの「選挙」のイメージとは全く違っていました。
三宅さんは、「金じゃない豊かさはいっぱいある!
…戦争?古い!何億もお金を使って戦闘機を買うくらいなら、俺たちに、文化の方にお金を使わせてくれ!
…自民党は『日本を取り戻す』って言うけど、緑の党は『地球を取り戻す!』」と叫び、ギターをかき鳴らして歌いました。
会場を埋め尽くした人たちの心には、「希望」と言う文字がはっきり浮かんでいたと思います。
私は今まで、「選挙に積極的に関わるのは格好悪い。
投票には行くけれど、選挙活動なんてちょっと勘弁!」と思っていました。
でも、こんな格好良い人たちが出てきてくれたのなら、これは応援しないわけにはいかないぞ!?
そんな気持が沸々と湧いてきました。
以前、村上春樹さんのエッセイで、「ぼくが野球でヤクルトを応援していると、
『やっぱりアンチ巨人ですか?』と言われるけれど、
ぼくはアンチ〇〇ではなく、純粋にヤクルトが好きなんです…」というような内容を読みました。
自分も今までは「この政党に政治の実権を握らせたくないから、対抗馬として××に入れておこう」
という感じで投票していたように思います。
けれど、今は「純粋に、この党が、この人が良いと思うから入れたい」と思っています。
アンチ〇〇ではなく、自分が「良い」と思っているものを純粋に応援する。
それって、単純明快で気分爽快!
一回では変わらないかもしれないけれど、何度でも挑戦し続けるのを応援し続けたいと思います。

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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