清風 2013年12月

テーマ:清風 【住職】

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ただ、なによりも案ずるのは、私たちが護ったこの国が、
次の時代にいかなる生成をし、発展をするかということです。
戦争直後の疲弊や変調よりも、もっと先の文化が気になります。
(久保恵男 東京大学文学部国文学科学生 昭和18年学徒出陣にて海兵団入団。
昭和20年5月7日徳島上空にて特効訓練中殉職。25歳「きけわだつみのこえ」)


第二次世界大戦においてアメリカなどに宣戦を布告したのは、
1941年12月8日でした。
あれから72年、再びあの悪名高き「治安維持法」に勝るとも劣らないと言われる特定秘密保護法を、
同じ12月に、なぜ今制定しようとするのでしょう。
政府が恣意的に秘密条項を決めて、
国民から知る権利を行使する状況そのものを奪って、
知らしむべからずとする法律を。

日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。
(「日本国憲法」前文)

今の政府は「積極的平和主義」という言い分で、こうした法令を出したのです。
「積極的平和主義」と言えば、現憲法の前文で誓っている上記の精神より
積極的な平和主義はないのではないかと思うのですが…。
11月21日の朝刊によれば、この秘密保護法案を審議する委員会で、
与党の議員がいないじゃないかと野党が指摘し、審議を一時中断したそうです。
国権の最高機関は我々だとおっしゃるのに? 
因みに、この日はテレビの国会中継がなかった日だったそうです。
なるほど、やっぱりこの法案は廃案にし、もっと時間をかけて慎重に審議すべきです。
この法案については、福島県議会が
「福島第一原発の事故情報が適切に公開されないとの危惧」から、慎重な対応を求めています。
以上、異常な事態への老人の繰り言であって欲しいということで。

『正信偈』のはなし 2013年12月

テーマ:清風 【住職】

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本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
還来生死輪転家 決以疑情為所止 
速入寂静無為楽 必以信心為能入
「本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、
必ず信心をもって能入す、といえり。」

『正信偈』の最終章は、源空(法然上人)です。
このことは、釈尊がこの世にお出ましになった意味は勿論、
この最終章に法然上人の事績として書かれていることは
、一代仏教の結論がここには書かれているとも言えます。
なぜなら、親鸞その人は法然上人を、自身が作製・讃歎されている和讃において、
「阿弥陀如来化してこそ 本師源空としめしけれ 化縁すでにつきぬれば 
浄土にかえりたまいにき」と詠われているごとく、
源空・法然上人は阿弥陀如来の化身と讃えておられることから明らかであると言えるからです。
最終章であるここでは、冒頭に掲げた一句
「生死輪転の家に還来ること」、これが仏教の説かれたオリジナル(独自)の意味と言えます。
「生死を超える」とは、仏教の始終なのですから。
その生の終わり(死)を、塩を撒いてしか迎えられない人生
(つまり、死とは穢れたことと了解している人生)を離れること、
それこそが大いなる放棄と言われる釈尊の出家の動機と言えるからです。
「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を併有するものなり」
これは明治の仏教者・清沢満之(1864~1906)の言葉ですが、
釈尊の成道(悟り)の一句は「我は不死を得たり」という言葉であったと言われています。
「不死を得た」、これは生死全体を吾が人生として
受け止めていく立場を得たということだと言われています。
なぜなら、人間はその知(恵)ゆえに生と死を分別し、
生は善きこと死は悪しきことと了解していると言えるからです。
そのため、人間の知恵は生と死を1つのこととして受け止められなくなったのでしょう。
 人間にのみ自死があり、また同じ人間同士で殺し合い(戦争)が存在するのは、
この生死を善きこと或いは悪しきことと分別してしか受け止められなくなったからと言われています。
殺してもいいいのち・殺してはならないいのちがあると、
暗黙の内に分けてもいいことになっているのです。

お庫裡から 2013年12月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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まだ子育てをしていた頃、3人の娘たちは、高校・大学生になると、
親しい友人をよく家に連れてきました。
特に三女は、市内の高校だったためか、仲良しさんも市内在住で、
家を出てからは、帰省して「ただいま」と家に入ると同時くらいに、
「こんにちは」と仲良しさんが2人現れ、一緒に食事をしたり、
泊っていったり。学生の頃ほどではなくなりましたが、
その関係が今も続いています。
そのようにして、娘たちが連れてきた友達は、みんなとてもいい娘ばかりで、
気さくに話しかけ、よく手伝い、まるで家族の一員のようです。
そんな娘たちの親しい友達を見ていると、ついつい私は言ってしまうのです。
「あなたは、もしかしたら私の隠し子かもしれない」
「あなたを、私の代わりにあなたのお母さんが産んでくださって、
一生懸命大事にあなたを育ててくださって、
こんないい娘になって私に会いに来てくれた。
ありがとう、私の隠し子ちゃん。あなたに会えて嬉しいわ」
もうすっかり、いい大人になってしまった私の娘たち。
隠し子ちゃんたちも、恋に悩んだり、結婚したり、
家族の軋轢に悩んだり、子連れ離婚をしたりと、人生模様もさまざまだ。
各々が悩んだ時、「おばさん、話を聞いて」と声をかけてくれ、
「あー、相談して良かった」と明るい声で帰っていくと、私もホッとするし、嬉しい。
みんなみんな、自分の人生を精一杯頂いて生きて欲しいと願わずにはおれない。
そしてフッと思う。東京にいる娘2人。
ああ、あの娘たちにもきっと親に言えないことを相談し、
支えてもらう東京のお父さん・お母さんがいるのだろうと。
隠し子ちゃんは、今も確実に増え続けている。
そう考えると、私は大変な子福者、子宝に恵まれていると思ってしまう。

今月の掲示板 2013年12月

テーマ:清風 【住職】

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私たちは、
人間のこしらえたものでは
絶対、たすからない。
無限(人間)が
有限(もの)で
たすかるわけがない。

人知はすばらしいけれど
先を見抜く、見通すということができない。
人生は、想定外のことばかり。

私の好都合は
誰かの不都合の上に
成り立っている。

救ってほしいと思っている間は
救われない。

自分のことが
わかった
と思った時から
歩みが止まる。
わかった、とは
わかると思った私がおるだけ。

出会った全てが
大事なこと。

現在、日本は
年に500万トンの食品を
破棄しているという。
1日にすると、13698.6トン。
それを4トントラックで運ぶと
トラックの必要台数は、3424.6台。
世界には、飢えている人がいっぱいいるのに。

平和をもたらすのは、無我の力でありました。
久しく英雄を待望してきた悪業から目覚めねばなりません。
平和実現には、原子兵器も、民主主義も必要としません。
また、1人の英雄も必要としません。
ただ、絶対に必要なのは、
人間が自分への過信を捨てて、
彼も我も、自分自身への過信に生きているその罪に目覚めて
これこそ罪悪深重の根元であることを知って、
真に敬虔な心となって、合掌礼拝、
仏を仰ぐことです。          米澤英雄

本堂に座って 2013年12月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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先日、お誘いをいただいてキリスト教についての
お話を聞かせていただく機会がありました。
案内文に
「キリスト教は、ひとりひとりのたましいがその個人性を保ちながら
死後も永続すると考える宗教です。
そして、この世に生きる者も、天に帰った者も、
ともに神との交わりを持ち続ける存在と考えます。」
と書かれていたことに関心を持ったのですが、
以下にお話の内容(要約)を箇条書きで挙げてみようと思います。

・キリスト教に限らず、宗教とは個人の価値観を問うものである。
・キリスト教は、4世紀にローマ帝国に国教化されたことで、
本来の教えからねじ曲がってしまった。

・柳田邦男さんの死の捉え方
2人称の死(私と深く関わりのある方の死) …私が変わる
3人称の死(ニュースの向こうなどの出来事)…人生は変わらない
2人称の死を経験すると、それまでの自分も死ぬ(意味)、罪悪感を感じる
(嫌悪)、死後も継続する交わり(死後の世界への親近感)…が生じる。 
・私たちは白紙の世界に生まれるのではない。
社会・文化・経歴による「当たり前」
(男として、女らしい、日本人、社会性、いい歳して、ふつうは、みんな)…がある。
しかし、本当にそうなのか?
・宗教とは、相対化する力である。

・旧約聖書…創造神と堕落神話(人間の不完全性の自覚)
アダムとイブの話=神の要請を守れない人間の姿を表現している
「罪」とは的外れな努力のことである。
・新約聖書…人間全ての罪を帳消しにするイエスの愛(悪人正機説との類似)
みんな的外れである。思い通りにはできない。
普遍主義…条件によらず、全てを救う。
神の真理は、社会の常識と反する。
義人(正しい人)は、理解されない・苦しむ・殺される

・キリスト教の屈折
排他・エリート主義(仏教的には自力)
聖書自体に含まれる問題(イエスの言っていないことが多々書かれている)
・本来性の回復
「全ての罪は赦された」「私を信じる者は、死んでも生きる」
人間的な善悪を超越する神の他者性…ものさしでは評価できない
この世での時間は皆尊い。総ての人があらゆることから「赦される」。
・「いまここ」を生きる。先に行った方を抱きながら今を生きる。
今の自分はここにいる(事実)。
小さな1つひとつの出来事・メッセージが生きていることの証である。
(伊藤高章先生のお話の聞き取りを、抜粋し箇条書きで掲載しました)

この他、「私たちは物語を作りながら生きている」と話される中、
その物語中の(私の経験する)出来事について、何が善悪かの決まりは無い、
<まっとうな>という思い込みや社会の要請に従わなくてもいい、
という価値観への問いかけは、仏教の教えに照らしてみても、とても興味深いお話でした。

今日も快晴!?2013年12月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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秋は落ち葉シーズンですが、我が家は紅葉やケヤキや落葉樹が多く
11月に入ると毎日のようにはらはらと落ち葉が降り注ぎます。
お寺で毎月一回「寺っ子クラブ」と言う育児サークルを主催していますが、
そちらで数年前から「庭掃除&焚き火&焼き芋」というプログラムを、
この時期は定期的に行っています。
子どもと一緒に落ち葉を集め、火を焚いて、焼き芋を頬張る…。
最近は火を焚く場所も制限が多い中、懐かしい昭和の風景が、
我が家では当たり前のように見られます。
最近は寺っ子メンバーも慣れたもので、サツマイモをはじめ、
りんごやカボチャ、魚やパン、ピザなど色々なものを焼いて楽しんでいます。
そうして定期的に庭掃除や焚き火をしていると、お参りに来られたお檀家さんが
「なんだ!焼き芋か!それならわしのとこの畑の芋をやるぞ!」と持ってきてくださったり、
近所の方から「焼き芋に使ってもらえると思って…」と
サツマイモを沢山頂いたり、それを焼くためにまたみんなで集まる…
という素敵な循環が生まれています。
このあたりはまだまだ昔ながらの田舎の雰囲気が残っていて、
家を出れば顔見知りのご近所さんに
「あら?ありちゃん、行ってらっしゃい」と声を掛けていただいたり、
「開くんは挨拶が出来て偉いねぇ」と褒めていただいたり、
「誓くん、こないだの学芸会上手だったね」と自分の孫と同じように可愛がって頂いたり、
本当にありがたいと思えます。
ご近所の方たちとの繋がりの中で子どもたちが育つということは、
子どもたちが家の外でも愛情に包まれて育つと言うことで、
こういう環境がどれだけ子どもたちに心の安定をもたらしていることだろうと思います。
こればかりは、親だけがどれだけ頑張っても子どもに与えてやれないものなので、
こういう環境に恵まれたことは本当にラッキーだったなぁと思えます。
そうして頂いたお芋で焚き火をしていると、時にはお芋が大きすぎてなかなか火が通らず、
何度も火バサミで取り出しては
「まだ固いわ~。もうちょっと燃やそうか」とまた掃除を始め、
落ち葉を集め…と、気がついたら4時を過ぎてもまだ焚き火を続けていることもありました。
どんなによく出来たゲームでも、朝から6時間以上続けてやることは出来ないんじゃないかと思います。
大人も子どもも全然飽きずに一日過ごせるなんて、
やっぱり本物の体験はすごいなぁと感動します。
この週末は、長男が同級生のお友達何人かに声を掛けて、
10人ほどの小学生の男の子たちと一緒に焚き火をしました。
集まった男の子達は、みんな礼儀正しく思いやりがあり
、一緒に集まった低学年の子たちの面倒を見たり、熱心に掃除をしてくれて、
見ていて気持ちの良い子ばかりでした。(
ああ、うちの子どもはこういう子達と普段学校で一緒に過ごしているんだなぁ)と、
とても安心しました。
「開くんのお友達はみんな良い子ばかりだね~」と言うと、
長男は「でしょ?」とにやりと笑っていました。
豊田市中から集まるサークル仲間、地元の繋がり、
同級生の輪・・・焚き火から色々な繋がりに気づくことが出来ました。
お寺でよかったなぁ。守綱寺でよかったなぁと心から嬉しく思います。

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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