清風 2014年2月

テーマ:清風 【住職】

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過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目となる。

1985年5月8日、ドイツ敗戦40年にあたっての
ヴァイツゼッカー西ドイツ大統領の演説から。

靖国に参拝するしないは外国からとやかく言われる筋合いではない、というのが安倍首相などの歴史認識の様ですが、さてどうでしょう。
靖国に祀られているのは日本のために犠牲となった人で、英霊と言われています。この英霊という呼び方には問題がはらまれていると言われてもいます。国内では問題はないのでしょうか、どうでしょうか。
太平洋戦争の末期、太平洋全体に戦線を広げた日本軍は、補給が間に合わなくなってきました。1942年、ミッドウェーの海戦で日本軍は初めて敗れ、以後敗北が続き米軍がガダルカナル島に上陸、以降、日本軍はアッツ島で全滅(当時、報道では玉砕と表現された)。学生動員決まる。1943年、スターリングラードのドイツ軍降伏、日本と同盟を結んでいたイタリア降伏。1944年、サイパン島の日本軍全滅。サイパン島より米軍の本土爆撃始まる。日本制空権・制海権失う。本土で竹槍訓練・学童疎開始まる。
1943年、3ヶ国同盟の国、イタリア降伏、ドイツの敗退。この段階で当時の政府が敗北を認め連合軍に降伏を決していれば、太平洋上に展開していた多くの日本軍の兵隊の命は勿論、日本本土の空爆、広島・長崎の原爆も防げたかもしれなかった。政府並びに軍の責任者は戦争の処理を誤り、戦線を拡大しすぎて補給も及ばない各地に軍を進め、結局は無策のそしり・責任を逃れるべく、戦後も無駄死にさせた兵を英霊と呼び続けて、責任を隠蔽し続けている。かって「全滅」を「玉砕」と表現し、「敗戦」を「一億総懺悔」と表現したように。
特定秘密保護法を十分国会で審議もせず強行採決した後、その英霊を祀る靖国へ参拝し「恒久平和を誓い」「戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくる決意を込め、不戦の誓いを立てた」(平成25年12月26日)と、現在の政府のトップは記者団に語った。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する。」(憲法前文)を銘記したい。

『正信偈』のはなし 2014年2月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】

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譲りあえば、たりる。奪いあえば、たりない。
武器を持った国から、武器を持たない国へ。
或いは、武器を持った民主主義ではなく、武器を持たない民主主義へ。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、
政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
「日本国憲法」前文

日本の国は、1945年・第2次世界大戦の結果、
世界に先駆けて戦いによらず国と国との問題は外交交渉によって処理することに決し、
軍隊は持たないことを決意しました。
他国を無視しない、隣の国にも同じ人が住んでいる、
という当たり前の感覚を大切にするということです。
国と国においても、やはり利害が各々違い、
その利害を戦争に訴えて処理するのではなく、
話し合って解決の糸を探るということでしょう。
このような憲法の理念に立って、アジアに相互信頼と平和の基盤を作る外交努力を、今からでもしなければならないのです。
米国への過剰期待と依存だけでは、我が国は立ちゆかなくなるに違いありません。
終戦後45年間、冷戦後もなおこの惰性を打ち破ることもせず、日本はアジアで戦争中何をしてきたか検証し和解の努力をする、独自の外交努力をしようとはしてきませんでした。我が国の行為について検証する行為を自虐史観と蔑称し、自ら反省する努力を放棄したまま来ました。
最近、日韓・日中の関係が急にぎくしゃくしてきています。世界の政治環境、アジアの状況もすっかり変わっているのに、冷戦時代と同じ立場で、つまりアメリカの鼻息のみをうかがって、政治家は事にあたろうとしてきたからでしょう。今や、その同盟・アメリカからも我が国の政治動向が不安視され始めている始末です。「日本が日米同盟で中国の脅威を封じ込める」いわば冷戦時代の「ゲーム」を展開している間に、米中は対立の要素を持ちつつも戦略的対話の対象として、認識し世界での影響力を拡大しようとしているのです。
憲法の願いを深化させ徹底する、これが我が国の外交の基本姿勢であるべきでしょう。日本は主体的にアジアに相互信頼と平和の基盤を作る外交努力をする絶好の時代を迎えつつあります。いがみ合いでは、お互いどれだけ武器を持っても不安は解消されないのですから。(この項続く)
先回から「わが国憲法前文と第九条から仏教に学び、仏教の学びを憲法の上に確かめる」という関心をもって記しています。

お庫裡から 2014年2月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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近年、アジアの各国へ旅するたびに、驚かされることがあります。
韓国、中国、台湾、ベトナム、カンボジア、ラオス、
タイ、ミャンマー、マレーシア、インドネシア。
どの国に行っても、第二次世界大戦時に日本の兵隊がそこに足を踏み入れているということです。
現在は飛行機で行きますが、それでもかなり遠いところです。
そこを日本の兵隊が銃を持って侵入したという事実です。
私は戦後生まれですから、戦争は知りません。
しかし、報道、書物等で3月10日東京大空襲、
6月23日沖縄戦、日本がどんなひどい被害を受け、
どんな悲惨な状況で敗戦を迎えたか、よく知っています。
やられたことはよく知っていますが、日本兵がアジアの国々でどんなことをしてきたのか、ほとんど知りません。
旅行に行った先の国々の人達は、みんなとても親切でやさしいです。
しかし1度、中国の曇鸞大師の修行された玄中寺へ向かっていた時、
もう少しで国道を左折して玄中寺という所で、国道が工事で通行止め、
集落の中へ迂回しなければなりません。
集落の入口はゲートが下りていて村役さんが出てきました。
その時ガイドさんが「私は今から皆さんを韓国からの仏跡参拝の団体と言って交渉します。
日本人というと通してくれないということもありますし、
日本語とわかる人がいるかもしれませんから、車内でなるべくお話しないでください」と言い置いて、
バスを降りていきました。
交渉は成立し、無事玄中寺に参拝できたのですが、私にはかなりショックな出来事でした。
その時は、母も一緒でしたが、日本とはスケールの違う中国を見て
「日本は何と思ってこんな大きな国と戦争したのかねー」
「何、考えとったんやろねー」と言いづめておりました。
自虐史観と言い捨てず、1度、日本という国がアジア各国でしてきたことを、
きちんと知るべきだと思います。
日本ばかりでなく世界中で、戦争で被った莫大な犠牲者達から、
戦争にもっていった政治(政府の行為)のあやまりを学ぶべきだと思います。
主権は国民(私)にあります。

今月の掲示板 2014年2月

テーマ:今月の掲示板

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元旦や 弥陀成仏のこのかたは   一茶

きめんこっちゃ(ナンマンダブツの極意)  高光大船

他人の事を 自分の事のように考えよ
自分の事を 他人のように考えよ      ゲーテ

自分は 自分の主人公
世界で ただ一人の自分
自分は 自分を作る責任者    東井義雄

人間は、5千通りの可能性を持って生まれる。
たくさんの可能性の中にあって
この宇宙の根源で
私のために、ハタラキづめにはたらいている
大きな願いに目覚め、この願いに生きる以外に
自分を本当の自分に育てる道はないのです。    東井義雄

障害者は、決して
他の障害者の手本を目ざして頑張っているのではない。
そのような成功例と言われる人の陰に
厳しい現実を生きるしかない人がいる。

障害者は不自由だが、不幸ではない。
障害があることで、生きられない社会こそ不幸である。  難波教行

小さくても いいのだよ
あなたにしか
咲かせることのできない
あなたの花を
力いっぱい
咲かせておくれよ         東井義雄

自分の荷は
自分で背負う
たった1度の
人生だから            東井義雄

本堂に座って 2014年2月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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「尾木ママ」の愛称で知られる、教育評論家の尾木直樹さんが、
ご自身の経験を通して個性・自己肯定感について語られた文章を紹介したいと思います。 
お話は「教育に関して、日本は『世界の孤児』だと尾木さんは言う。
教育改革の名のもとに、教育現場に競争原理が持ち込まれ、成果主義をもたらした。
数値によって成果が計られる。
柔らかな心、多数な個性をもつ、伸び盛りの子どもたちの一人ひとりの表情が見えにくくなっていくことを、
尾木さんは心配する。」…というリード文から始まります。

「いじめ問題は、今、4回目のピークを迎えています。
国立教育政策研究所の調査によると、2010年~12年の3年間でいじめられた子、
いじめてしまった子はそれぞれ90パーセント近くいて、
ほとんどの子どもたちがいじめを経験しています。
つまり、いじめは日常化しているんです。
教師から見ると遊びなのかいじめなのか分からない。
これをぼくはいじめの<透明化現象>と呼んでいます。
そもそもいじめの問題は、人権侵害の問題。
道徳教育をやったからといっていじめがストップするわけじゃない。
人間は一人ひとりが違う。
百人いたら百通りの人格があり、百通りの個性がある。
そこを大前提で認め合っていくことが大切ですね。
民主主義社会の現代の世界的視点からいっても、それが常識なんです。
一人ひとりが尊重されて、自分を愛することができるようになる。
自己肯定感ですね。
自分を愛せれば、他者をも愛するようになってくる。これは道理だと思います」
 父は気象台の予報官で、律儀でまっすぐに生きた人だった。
尾木さんは小学校の教員だった母親の影響を受けて育ったという。
「母はものすごく交渉能力が高くてね。
たとえば、買い物している時、おやじはだまされて高く買わされても全然気づかない。
ところが母親は、『ご主人、これ、もう負からんよね』とか言って、初めから白旗をあげるんです。
『こんないい商品だもの、これで十分安いもんね』
『かなわんな、もう奥さんは。じゃあちょうど1200円にしとくわ』
『もっとくっきりならんの』
『もうかなわんな、いいわ。1000円にして、こっちのナスも付けてあげる』
こんな具合に、自然と相手に負けさせてしまう。
商売を外れて、コミュニケーションのレベルにもっていくんですね。
そうすると相手のほうもそれで楽しんじゃう。
父と母のこの違いは何かというのを、ぼくは子どもながらにじっと観察しました。
そして、人生をどうせ生きるなら、母親タイプでないと損だと思ったんです。
母親がよく言ったのは、
『直樹ね、負けて勝ちとりなさい』勝とう勝とうと思ったら駄目だと。
負けることも大事で、後からふっと振り返ったら、
あれ、自分が勝っていたということになるかもしれないと。
だから、ぼくも初めから白旗をあげるような感じ。
そのほうが相手も安心してくださるし、いい結果に到達するんです。
ぼくは高校入試に失敗をし、それから高校の編入試験に失敗したから、高一を2回もやっています。
大学入試も失敗し、試験という試験が6回、全部敗北ですもんね。
おまけに、教員採用試験まで落ちている。
おふくろはぼくに『直樹、あなたは大器晩成型なんだから』と言っていて、
うまいこと言うわと思っていたら、63歳になっていきなり『尾木ママ』になっちゃって。
だから、おふくろの言うことはみんな当たっていたんですね、不思議と」
(「サンガ 2014年1月号」東本願寺 真宗会館発行より抜粋して掲載しました。)

競争・成果ばかりに目を向けていると
「勝つこと・できること」が「個性」と言われてしまいますが、
「自分が尊重されている」と感じることができれば、
できる・できないに関わらず「自己肯定感」が高まる…。
当たり前のことが見えなくなっているのが、今の状況なのかもしれません。

今日も快晴!?2014年2月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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我が家の子どもたちは絵本が大好きです。
最近の絵本にまつわるエピソードですが、ある日の食事の最中に、
長男が「胡椒が欲しい」と言うので取ってやると、
長男が「目つぶしにこしょうをふきつけ・・・」と言うのです。
(ははぁん!)とピンときて、「仕上げはラッパ銃?」と言うと、
次男がすかさず「まっかな大まさかりだよ!」。
・・・何のことかというと、トミー・アンゲラー作の
「すてきな三にんぐみ」(偕成社)という絵本の一シーンなのです。
長男や次男にこの絵本を読んでやっていたのは小学校の低学年くらいまでだと思うのですが、子どもたちの心にしっかり絵本の言葉やシーンが残っているんだと、改めて驚かされました。
また別の日の食事の時、お皿に残ったおかずを片付けてしまおうと、おはしでかき集めていたら、次男が
「お母さん。『こなばこ ごしごしかいて』みたいだね」と言うので、
「ああ、『おだんごぱん』ね」と言うと、
「うん。『こなばこ ごしごしかいて~、あつめてとって~、それにクリームたっぷりまぜて~』だよね。
ねえ、お母さん。『こなばこかく』ってどういう意味?」、
「粉箱に残った小麦粉をかき集める、じゃない?」、
「ああ!そっか!」。
・・・こちらの絵本(「おだんごぱん」ロシア民話 福音館書店)は、昨年の3月に守綱寺絵本の読み聞かせ会で子どもたちが劇を上演した作品なので、印象に残っていたのだと思いますが、子どもたちが目の前の現実から絵本の世界へ自由に行き来している様子が伺えて、本当に嬉しくなってしまいました。
「こしょう」とか「おかずを集める」というのは、
それだけを取り上げてみれば何でもない、ただの「もの」や「行為」です。
それが、子どもたちの頭の中で無限の広がりを持って、
色んな物語の世界に繋がっているのです。
この2冊はいずれも、ロングセラーの絵本です。
良質な絵本は、時代を超えて子どもの心にすっと届くのだなぁと思いました。
最近の子どもたちは「これをしたら、どうなるかな?」、
「これを言ったら相手はどう思うかな?」と考える「想像力」に欠けている・・・という批判を目にすることがありますが、
やはりそういうものは、ボタン一つで敵が死んだり生き返ったりするゲームでは身につかないのではないかと思えます。
久しぶりに、(絵本って、やっぱり素敵だな~!)と心の底から感動した出来事でした。
今は長男や次男に読む回数はずいぶん減ってしまいましたが、
寝る前に布団で娘に絵本を読んでいると、隣で自分たちの好きな本を読みながら
「ぼくたち、聞いていませ~ん」という顔をしている息子達が、
私が読む絵本に合わせてくすくす笑ったり、
「そんなことあるわけないじゃん!」と突っ込みを入れてきたりします。
素直に「絵本読んで~」と言ってくる時期は過ぎたけれども、
(やっぱり聞いているんだな)と思えます。
子どもたちと絵本を読む・・・時々面倒くさくなる時もありますが、
大切な時間を頂いているんだと思いました。

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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