清風 2014年5月

テーマ:清風 【住職】

syukoji_09090901.jpg

現実の世界に飢えた人がいたり、戦争で苦しんでいる人がいたりする時、一個の芸術作品を作るという意味が私にはわかりませんでした。
(中略)もっと広く全体にかかわる問題こそが大事なのではないか、と思い続けていたのでした。
飢えた人々は多く、戦争は後を絶ちません。
人類の未来は必ずしも楽観を許すものではありません。
にもかかわらず、そういう世界に対して責任を取るということは、
決してそれに直接参加するという直線的な道があるだけではありません。
むしろ、そういう事態を明らかにすること、その意味を問うこと、それを人間の責任として引き受けることは、
直接参加することと等しい、あるいはそれ以上に困難な仕事といってよろしいでしょう。
無数の要素の交錯する中で、事実をとらえることは決して容易ではありません。(中略)
たとえば、ドストエフスキーの世界、プルーストの世界を通ってゆくと、その後では、私たちの人生は前と同じではありません。
その意味では、ある別の世界が私たちに与えられたといえる。
世界はより豊饒となり、より深みを増したといえるのではないかと思います。
私の見出した小説というものは、ほぼこのようなものであります。
(辻 邦生 著「小説家への道」より『詩と永遠』に収載 1988年6月 岩波書店発行
1925~1999 作家 『安土往還記』『嵯峨野明月記』など)

いったい、仏教に学ぶ、あるいは仏法に聞くとは、私たちにとってどのような意味を持つ出来事なのでしょうか。
現代は、快適さ便利さがまるで至上の価値であるかのごとく追求され、
その結果、技術化・画一化の社会の中で、人と人をつなぐ言葉はどんどん過疎化しつつあります。
しかし、どんな人にも生の貴重さ、生きていることの不思議さを深く味わう人生があるのです。
仏教に学ぶということは、(他でもない、この私の実人生こそが誰とも比較する必要のない)
貴重な人生を実現(表現)している歩みであったと、気づいていくことであると言えるように思うのです。

『正信偈』のはなし 2014年5月

テーマ:『正信偈』のはなし 【住職】

syukoji_09112601.jpg

どうかお前は
敵、味方、ともに救われる道をあきらかにしてくれ
-漆 時国-

かって「アメリカくしゃみをすれば、日本は肺炎になる」といわれたのに、今はどうであろう。
自動車に代表されるように、「肺炎を起こしたアメリカに、日本が手をさしのべる」といった状況が出てきています。
米国から武器(戦闘機等)を購入することによって日米間の経済摩擦を緩和しようとさえしています。
この事実を見れば、ソ連脅威論によって誰が儲けているかという発想が大事だと思います。
このような経済大国で実力を持った日本の動向は、世界の平和の方向を大きく左右する立場にいます。
世界平和のために、日本はどうすべきかという観点から考えていく立場が確立されなければならないのです。
戦争のために(殺し合いをするために)資源を無駄使いできる程、宇宙船地球号は豊かではありません。
奪い尽くすことによって幸せを得ようというのは、生きている事実に反することです。
これだけ日本が豊かになれたのは、日本の国民の勤勉さのたまものでしょうが、アメリカ等、世界各国の人々のお陰です。
アフリカ・アジア等で、まだまだ飢えに苦しんでいる人がいっぱいいます。
日本の能力をもっとこれらの国々の人にお返しせねばならんと思います。
これらの国々での内戦は、ほとんど飢えが原因で起こっています。
対外援助活動のための方法等を総合的に研究する機関を設置して、それぞれの国の事情に応じて、
ヒモ付きでない援助をする研究を今から始めたらどうでしょう。
このようなことを決めた日本を、それでも侵略しようとする国は侵略させたらいいと思います。
戦うよりは、犠牲ははるかに少なくてすみます。
暴走族や受験地獄をくぐり抜けた学生が、何のために勉強するのか、
その意味がわからんといってエネルギーを無駄遣いしているのも、
世界の人々に日本がどういうように役に立とうかということになれば、青年は一人ひとり、
自分の適性に基づいてその能力を伸ばし、生き甲斐を見つけることでしょう。
現代の日本の悲劇は、豊かさに方向が与えられていないということではないでしょうか。
まさしく「何のための豊かさか」であります。
もし、他人の為に役に立つという人間のいのちの本然の叫びにおうた必然の道を見出せば、日本はよみがえるに違いありません。
農地解放も国の政策があってできたのです。
こんなことくらい日本の政府がその気になればできます。
自衛隊の人達も、それぞれ身につけた技術等を活かす道は、これら援助国にいくらでもあるはずです。
米もどんどん作り、これを全部国が買い上げ、アフリカ等飢えた国で、
それらの国の人と相談して立ち上がっていく手立てとしてあげたら、日本がどれだけよみがえるかわからないと思うのですが。
(参考文献『国家エゴイズムを越えて』和田重正 著 柏樹社 刊)
(今回の文章は『清風』107号(S56(1981)年6月号)より再掲しています。)

お庫裡から 2014年5月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
syukoji_09090902.jpg

地元のひまわりテレビから「10回目の筍コンサート、取材させてもらっていいか」と電話があったと聞き、主催する側なのに「ああ、もう10回になるのか」と驚くと共に、「10回もやってきたのか」と感慨深いものがありました。
コンサート活動は、平成元年から始めました。
「親と子の音楽とお話の夕べ」を10回、引き続いて「お寺のコンサート」を11回、
裏の広場の70本ほどの桜が見事に咲くのを見てもらいたい、
薮の筍をバザーに出そうよと「花まつり チャリティー 筍コンサート」が始まりました。
みんな素人の手作りコンサートなので、試行錯誤しながらの歩みでしたが、ここまで本当にたくさんの方々の惜しみない支援、援助をいただいて、こんなに続けて来られました。
これまでに関わってくださったすべての皆さまに、厚く、深く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
今年は、オープニングに守綱寺ファミリー合唱団が「ほとけさま」「花まつり」を元気に歌ってくれました。
本堂前には花御堂を飾り、甘茶をかけてもらいます。
今年はたくさんの方に入っていただける様、客席の作りを変えました。
70脚ある椅子は堂内を取り囲むように並べ、その中に座布団を100枚敷きました。
座布団は横に5枚ずつ並べましたが、前後・椅子との間など、通路もしっかり確保してあります。
(余談ですが、この客席の他に、舞台は外陣と礼間(約2間。守綱寺の本堂は本当に広いです)
当日は小寒い日で心配しましたが、たくさんの方に足を運んでいただきました。満堂です。
寺部大正琴の皆さん、みのりコーラス、住職の「仏さまのお話」も20分、
そして高橋誠さんのヴァイオリンに魅了され、その後のバザーも大盛況、筍も大人気。
呈茶は、石川家の三姉弟が着物姿でお運び、みんなの目を和ませてくれました。
バザー終了まで見届けたひまわりテレビの人が
「お寺に取材に行って、こんなに楽しんだの初めて。楽しかったー」と言って帰って行きました。
本当に嬉しい一日でした。皆さまありがとうございました。
また来年、頑張りたいと思っています。

今月の掲示板 2014年5月

テーマ:今月の掲示板

syukoji_09090903.jpg

自分とは
自分の思うままになるもののことであって
自分の思うままにならないものは
他人であります。

満足する道を知らないものが「求めたから」とて
得られるものではない。
満足は探すものでなくて、来るものです。
今、満足する道を
今、知らねばならぬ。

自分に必要なものは
自分には不充分だと思っている。
「充分でない」ということは
「自分を充分する能力のない自分だ」ということです。

自分さえ充分にできない自分が
外の物、他の人を
自分の意のままに出来るはずがありません。

自分が自分だと思っているものが
果して、自分の思うままになるであろうか。
まず、身体。
身体は他人ではないが、少なくとも他者のもの他力のものであります。
では、心。
心もまた、思うようになりません。

われわれが日常意識の中で
自分だと思い込んでいるものの中から
他人と外物とを引き去ることによって
最後に残るものがある。
それが自分自身だ。
この引き算が、清沢満之の自己省察の方法。

自己一人の“いのち”の自覚こそが
あらゆる社会建設の根本原動力。

汝が汝と思っている汝は
本当の汝ではない。
転倒の汝である。

自己とは何ぞや。
是れ、人生の根本問題なり。 -清沢満之-

本堂に座って 2014年5月

テーマ:本堂に座って 【若院】

syukoji_09090904.jpg

子どもたちと接していると、様々な「声かけ」をする機会があります。
「叱る」と「怒る」の違いも言われるところですが、
「ほめる」ことにも気をつける点がある…というお話を紹介します。

近頃よく「ほめて育てよ」ということが言われます。
間違いではありませんが、どんな場合にもオッケーとはいきません。
そのあたりを少しお話してみたいと思います。
あるところ、ある家に小さな女の子がいました。
そろそろ小学校へというくらいの年で、神経の細やかな優しい性格の子でした。
どちらかというと、他人の目や声を気にするタイプで、ちょっとおどおどしたところもありました。
ある日そのお宅でご法事がつとまりました。
親戚や近所の方々が集まっていました。
その場で、久しぶりにやってきた親戚のおばさんが、みんなのいるところで大きな声で
「〇〇ちゃん、大きくなったね。おばちゃんは、あなたのその、おおらかなところがとっても好きよ。
それがあなたの一番いいところだと思うよ。これからも、そのおおらかさを失わないで、元気に大きくなってね。
おばちゃんは応援しているからね」と言ったのです。
その女性は、よかれと思って、何とかほめようと思ってそう言ったのでしょう。
そのとき現に、その女性の目にはその子の様子がおおらかに見えたのでしょう。
悪意のかけらもありません。
しかし、その子は、そのとき以来ずっと「おおらか」の服をまとって生きるようになります。
誰か一人でも他人がいると、「おおらか」に。
けなげにひたすらに、「おおらか」を演じ続けます。
しかしそのうちに、身も心も動かなくなってしまうのです。
自分に能力があってもなくても、自分は親やまわりから大切な存在として認められているという安心感が確立していないと、
子どもはほめられることで自分の存在を確かめようとするあまり、相手の期待に応えることばかりにエネルギーを使い、
自己を表現したり主張できなくなっていきます。反抗などとんでもない。
つまり期待への過剰反応で、手のかからない「よい子」にはなりますが、それはエネルギーが続く限りにおいての話です。
ほめられ続けないと不安になります。ほめられていても、完全には安心できません。
休むこともできず、ある日、エネルギーが出なくなってしまい、動けなくなってしまいます。
あるいは、濃縮された苦しみや憎しみが爆発して、暴力や暴言となって外へ飛び出してしまいます。
あるいは、それは自分自身へと向かい、自分を傷つけたり、ひきこもったり自殺を図ったりすることにもなりかねません。
この「よい子」は、まわりからは聞き分けのよい優等生として、評判もよく、それこそほめられますが、
本人自身からみると、自分の生き方はどう感じられるのでしょうか。自分のことが好きでしょうか。
いつも「これは本当の自分ではない」という自分を生きようとしているわけですから、
演じれば演じるほど自己嫌悪感が増していくのではないでしょうか。
そして自分のことを嫌いになっていきます。
子どもたちが自分自身の存在に安心できてはじめて、ほめるのは効果を発揮します。
まずは全身で「あなたはどんなときでも大切な存在だよ」と伝えてあげてください。
(「三、あなたは自分が好きですか~自分を嫌いな「よい子」~」
真宗大谷派難波別院発行『今、教育の現場では…』より掲載しました。)

ほめられると嬉しい反面、(そのことに対する)まわりの目が気になるのは、大人も同じだと思います。
自己肯定感を高める「関係」を築くことで、まわりの目を気にしない・自己嫌悪感を低める…ことができるのだと思います。

今日も快晴!?2014年5月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
syukoji_09090905.jpg

この4月、娘が小学校に入学しました。
3人兄妹の末っ子で、しかも兄二人(6年生と4年生)が同じ小学校に一緒に通うので、全く何も心配していませんでしたが、案の定何の問題もなく毎日元気に登校しています。
近所のお友達とも毎日のように仲良く遊べて、本当にありがたいことです。
そうは言っても、やはり慣れない小学校生活で疲れているようなので、なるべく早く寝かそうと毎晩お兄ちゃん達より一足先に布団に入るのですが、そのまますんなりとは寝てくれず、「ご本読んで~」が毎日の日課です。
昨晩「今日はこれ読んで」と娘が持ってきた本は、「オバケちゃんとおこりんぼママ」(松谷みよ子作 講談社)でした。
この本は、表紙の色はずいぶんと色あせ、中の紙はシミだらけです。
なぜなら、私が昔大好きだった本で、本棚を整理してずいぶん絵本などを処分したときでも、
(これは手元に取っておきたいな)とそっと残しておいたものだからです。
とはいえ、 (面白かったな)という記憶だけで、細かい中身は忘れていたのですが、今回、久しぶりに娘に読みながら、自分がこの本のどこが気に入っていたのか思い出しました。
主人公の「オバケちゃん」は、ママが大好きです。
夢の中でママの優しい時の声を思い出してにやにやしていると、
「まだ寝ているんですか!」と、ママのがみがみ声が聞こえます。
散々叱られたあと、オバケちゃんは用事を言いつかって出掛けるのですが、そこで出会った人間の女の子がオルガンを習っていて、
「これは、優しいときのママの声よ」と、オルガンの優しい音を鳴らしてくれます。
「ぷー」というその優しい音をオバケちゃんは気に入って、お腹いっぱい食べて帰りました。
オバケちゃんは、ママにその音を聞かせて、「ママ、いつも そういう こえで おはなししてね!」と言うのです。   
「ママっていったいなんだろう やさしかったりこわかったり 
きげんのいいときわるいとき そのときかげん さじしだい ぼくたち こどもは やりきれない」
というオバケちゃんの歌は、そのまま自分の心にもすっと入ってきました。
昔は、私も母の機嫌を見ながら、(今日は虫の居所が悪そうだ)、
(どうして親は、こっちの言い分も聞かずに頭ごなしに叱るんだろう)、
(自分が親になったら、絶対こういう言い方はするまい)と思っていたはずなのに、
オバケちゃんと同じように「ママ、いつも優しい声でお話しして」と思っていたはずなのに、
自分が親になると、なかなかそうも言っていられません。
早く寝なさい、早く起きなさい、早く食べなさい、宿題やりなさい、
学校の準備をしなさいetc・・・娘が入学してから、私が娘に掛けていた言葉の数々です。
(翌朝、起きられないといけない)、(給食の時間までにお腹が空いてはいけない)、
(教科書を忘れていってはいけない)と、全て娘のことを思って言っているはずなのに、
娘から見たら「がみがみがみ!」という乱暴な音にしか聞こえなかったのかもしれません。
「ママ、やさしいこえでおはなししてよう」というセリフを読むとき、娘はそっと私の体を握りました。
 (わたしも同じことを思っているんだよ)と伝えてくれたのでしょう。
入学したばかりで、毎日精一杯頑張っている娘にしてやれることは、
 ダメなところややれていないところを見つけて注意することよりも、
優しい「ぷー」の声でお話することくらいなのかもしれません。

アーカイブ

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

ホームページ

このブログの読者

読者になる
読者数:2人