清風 2014年6月

テーマ:清風 【住職】

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仲良くしたい
個人にしろ 国家にしろ
みんな仲良くしたいと
思っているのです
それなのに どうして
できないのでしょう
自分流のやり方で
仲良くしたいと
思っているからです
相手に言う事を聞かせて
仲良くしたいと
思っているからです
 『共に』浄福寺・寺報より


さる5月15日、安倍首相は記者会見し、
他国のために自衛隊の武力を使う集団的自衛権の行使に向けて踏み出そうとする構想を発表した。
それも<積極的平和主義>という旗印のもとに。
首相は会見で「国民の命を守る」という言葉を21回使用した。
首相が命を守るという裏側には、自分ではない誰かの命がかけられている。
現にアフガンで30年農水路の建設などを支援している「ペシャワール会」(NGO)の中村代表は、
「自衛隊がここへ来たら、私は逃げねばならない」と。
なぜか。「武力を使う日本に対する敵意が、アフガン人の間に生まれてしまう」からだと。
「現地の人たちは、日本が平和憲法を持ち、現地での戦闘に直接関わってこなかったことを理解している」と。
「攻められたらどうするか」という意見もあるだろう。
しかし、9・11のニューヨークの世界貿易ビル事件が、非常に象徴的とはいえないだろうか。
圧倒的な軍事力を持つアメリカさえ、あんなふうにやられてしまった。
どちらにしてもリスクはあるのだろう。アメリカの経験に学ぶ時ではなかろうか。
どういう選択肢をとるのか。リスクを力で押さえ込もうとすればするほど、かえってリスクは高くなるということを。
だとすれば、別の方法で安全保障を考えなくてはならないだろう。
例えば、靖国参拝で緊張関係を深めるような愚かな行為はやめて、東アジアの中で信頼関係を粘り強く作っていかねばならない。
積極的平和主義とは?
平和とは、相手があること。自分流を通すことではないはず。
相手を怒らせて、「ドアー・イズ・オープン」では、相手がドアーを開いてはくれないだろう。

「教え」に聞く 2014年6月

テーマ:「教え」に聞く



日本の安全保障は、唯一軍事力増強(戦争へ)の道しかないのか?

安倍政権には、勢いに乗っての政治決着ではなく、国民的な中身のある議論を期待したい。
一方で、安倍晋三首相自身がかねて抱いている自己愛に偏した歴史認識については心配している。
(略)中国、韓国と関係改善の環境ができつつあると思っていたら、安倍首相は昨年末に靖国神社に参拝した。
首相は、過去の戦争について「我々は悪くなかった」という思いが強いようだ。
結果的に、中韓との関係を再構築ではなく、悪化させてしまった。
(略)靖国参拝は国内の一部の人を喜ばせるだけで、国際的に日本の評価を上げる行動ではなかった。
(五十籏頭 真 元防衛大学学長 朝日新聞2014・5・16朝刊)

 首相の靖国参拝が、なぜ中国・韓国から抗議されるのか。
そして、アメリカからもヨーロッパの国からも失望したと言われるのか。
それは、東京裁判でA級戦犯と判決を受け戦争責任を問われ死刑に服した人を、後に英霊として靖国神社が祀ったからです。
敗戦国・日本が国際社会に復帰するために侵略の責任をとらせた人(戦争の最高責任者・戦犯)が英霊として祀られている神社に、
その国の責任者である首相が参拝すれば、何も反省していない行動と、侵略された国・国民からすれば映るでしょう。
「自己愛に偏した歴史認識」は、いわゆる「おともだち」には通じても、
厳粛な国際社会には許されない信義違反ということなのですから。
慰安婦問題にしてもそうでしょう。
世界中どこの国でも慰安婦問題はあったし、戦争すればそれはついてまわるものだ…
つまり、慰安婦問題を日本だけが問題にされるのは心外だ・世界の常識だ、ということを、
例えばNHKの会長(安倍首相が任命)が発言する。
これではまるで、小学4年生くらいの子が、僕だけではないよ、A君もB君もみんなやっているよ、
という弁解をしたのと同じレベル。赤信号、みんなで渡ればこわくない、と。
 自分の過去の行為について、事実に立って検証すると「自虐史観」と言ってそれをさせないようなことは、
もうそろそろ「自己愛に偏した歴史認識」で、おともだちの間だけの不毛な論理であることに、
目を覚ましてもらわねばならないのであろう。
わが国が国際社会に通じる道義をわきまえた論理を尽くして、東アジアに友好関係を呼びかけるリーダーになろうとするなら、
少なくとも靖国参拝に固執しない覚悟を安倍首相は持たなくてはならないのではなかろうか。
 

お庫裡から 2014年6月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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長年私は、周りの花粉症やアレルギーに苦しむ友人に「大変ね」と言いつつ、田舎育ちの私だから大丈夫と高を括っていました。
その私が、昨年のお正月の頃から、顔に痒みを伴う湿疹に悩まされるようになりました。
月1回の通院(睡眠導入剤をもらっている)の際、そのことを話すと、「アレルギーの薬を出しましょうか」と言われ、「エ!これアレルギーなんですか」と反応してしまい、
「あー、顔のことだから皮膚科に行って」とあしらわれ、皮膚科ではアレルギーには触れられず、2種類の塗り薬だけ。
痒みの強いときだけは熱心に塗って後は忘れるの繰り返しで、夏の初めにはすっかり薬と縁が切れていました。
ところが今年も、お正月頃から同じように顔が痒いのです。
目の周りもただれてきました。皮膚科の塗り薬も一向に効き目がありません。
私の顔を見た友人が、「あっ、それ、うちの94歳のおばあちゃんと同じだ。おばあちゃんは眼科へ行っているよ。
あなたも眼科へ行ってみたら」と勧められたのです。
94歳のおばあちゃんと同じと言われたことに抵抗があったのですが、目の周りの痛痒いのに負けて眼科へ行きました。
「アレルギー性かなー。まぶたの中も少し切れているし、目薬と塗り薬を出しましょう」何とこれが、とてもよく効いたのです。
一難去ったらまた一難。
4月の中頃より、外気が乾燥しているためか、口の中、喉の奥まで水分が切れて、喉がくっつきそうな、息ができない様な、物が言えないような、強烈な渇きが連日続いたのです。
ふと、母が昔、「口の中がカパカパ。水を飲んでもすぐかぱかぱ。飴が手放せん」とよく言っていたのを思い出しました。
あの頃、母は何歳くらいだったでしょうか。きっとこんな状態だったのでしょう。
年を重ねてきて、免疫力が低下し、身体にトラブルが起こってきているのですね。
きっとこれは、とても順調な年の取り方なんでしょう。
梅雨が近いためか、口の中の渇きも少し治まってきたようです。
はてさて次なるトラブルは、どこに来るのでしょうか。生きてみればこそ、体験させてもらえます。

今月の掲示板 2014年6月

テーマ:今月の掲示板

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精密であることは、つくりものだ。
いのちは全部違っていて
マニュアルは間に合わない。 鶴見俊輔

現在日本の国民総生産高(GNP)は
フランスの2倍、カナダの3倍です。
便利で快適を求めて
もっともっと
日本人はどこまで行けば満足できるのか。

人生50年が
70年にのびたのは
仕上がるのに
手間ひまかかる難物がふえたからでは。 浅田正作

正義がどちらにあるか
決めつけてはいけない。
押しつけない。
抑えつけない。
決めつけない。
美化しない。  鶴見俊輔

はかることのできるいのちは
はかることのできないいのちに
支えられている

欲望を満たしていく幸せは
満足が得られない
だって、手に入れたら(明日には)古くなるものを
追い求めているのですから

今がいつも
未来の手段である人生
それで一体
満足が得られるのであろうか

他人はうらやましい
しかし、他人を生きても
満足は得られない
だって、
自分を生きていないのだから

本堂に座って 2014年6月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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先月は「ほめる」ことについてのお話を紹介しましたが、
今月は「叱る」ことについてのお話を紹介します。

今回は叱る時の留意点をお話します。
私たちがついやってしまいがちな叱る時の言葉遣いです。
たとえば、何か不都合なことをやってしまった時に、
「こんなことも知らなかったのか?」とやってしまいますが、
言われた側に立って想像してみてください。
どう答えれば、答えとして有効なのか。
「知りませんでした」と答えると、「おまえは〇〇才にもなって、そんなことも知らんのか」とさらに叱られます。
逆に「知っていましたが」と答えると、「知っていてやったのか」と叱られます。
つまりイエスでもノーでも、どちらを答えても叱られる(否定される)のです。
こういうのを「ダブルバインド(両縛り)」と言います。
これを何度もやられると、子どもたちはコミュニケーションをとろうとしなくなります。
答えたって、返事したって、否定されるだけで、意味がないと感じられるからです。
また、質問の形をとった否定の断定も、言われた者の心を逆なでします。
たとえば「何度言ったらわかるの?」という言葉は一見疑問の形をしていますが、
実際は回数を聞いているわけではなく、内容は「何度言ってもわからないあなたはダメね」と断定的に否定しているのです。
「こんなこともわからないの?」とか、「いつまでテレビを見ているの?」というのも、
質問ではなく「わかっていないあなたはダメね」とか「いつまでもテレビを見ているあなたはダメな子ね」と言っているわけです。
こういうのを断定疑問形といって、言われた方は自分が否定されたと受けとめてしまいます。
叱るときは、現象(やったこと)と人格(その人の存在)を分けてしなければなりません。
核(存在)攻撃をしてはなりません。
だらだらとテレビゲームをやめないという行動が問題なのであって、子ども自身が憎いわけではないでしょう。
ですから、まず人格(存在)を認めているということは当然のこととして崩さないで、その行為をとがめる。
「お母さんはあなたを心から愛している(あなたは私にとってかけがえのない大切な存在である)よ。
だけどね、あなたのやったこの行為はよくないことよ」というように。
あるいは「どういうことが原因となってこういうことを引き起こしたのでしょうね」などと、言い方を工夫してみてください。
これは、もちろんプラスの評価をするときも同様です。テストの高得点という成果を褒めるよりも、
その成果にいたる途中の努力や頑張りを認めることで、お母さんの関心は点数よりもこの私自身なのだと安心できます。
叱るという行為は、まず無条件の存在肯定があって、その上ではじめて有効となります。
でなければ、反発するばかりで受け入れることはできません。
それを力によって無理やり聞かせようとすると、子どもたちが学習するのは
「力によって他人を従わせることができる」という原理で、その原理はその子どもが大人になったときに繰り返されてしまいます。
腹立ちまぎれに怒らず一旦停止して、あなたが大切だからこそ叱るのだと、伝えましょう。
(「四、あなたが大切だから叱る~決して存在を否定しない~」
真宗大谷派難波別院発行『今、教育の現場では…』真城義麿著 より掲載しました。)

自分としては「叱っている」つもりでも、出てくる言葉によって子どもを縛る・否定する…ことになってしまっていることが多々あることが、このお話から気づかされます。
ほめることも叱ることも、親子としての関係(お互いを認め合う・肯定する)があってこそ、伝わるものなのだと思います。

今日も快晴!?2014年6月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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なんだか最近政治がおかしいぞ?マスコミもおかしいぞ??
秘密保護法案の強行採決(何をそんなに隠したいのか?)、
集団的自衛権の容認(これで日本も戦争に参加できる国に!)、
漫画「美味しんぼ」の鼻血シーンに対する異例とも思える大臣自らのコメント
(かえってあやしいと思います)&マスコミの強烈なバッシング、
ASKAの突然の逮捕騒ぎ(裏で何か大事な法案がこっそり通過しているのかも?)、
そんなもやもやを感じているときに、インターネット上で面白い詩を見つけました。

明日戦争がはじまる
       宮尾節子

まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる

なるほど、現代社会は、確かに人間的な感性をある意味封じておかないと、
とてもまともではいられないのかもしれません。
感覚を麻痺させ、思考力を停止させ、集団に埋没してゆくことを求められます。
そんなときに目にした、とある私立の幼稚園の副園長先生からのお便りの文章が、
私の気持ちにぴったりはまりました。
A幼稚園のお便りより・・・「戦争反対!・・・ニュース見なきゃ!ともよく言われますが、
我が家は新聞すらとっていません。
どうも、テレビも新聞も、マスコミというのを信用できないからです。
震災以降の放射能・原発に関する情報。
「TPP」に関する偏向された報道
(個人的な意見ですが、TPPなどには絶対参加してはいけない!と思っています)。
これらを見ていると、「まるで特定の誰かの利益になるように・不利益にならないように」作られている報道なんて、
「見ないほうがいい」と思わざるを得ません。
憲法改正・解釈変更、正気の沙汰とは思えない!
僕としては、今の社会情勢の中で、情報というものは「受身で待っていてきちんと与えられるもの」ではない、
それらはもう信用できない、と思っています。・・・(略)・・・テレビの言うことは正しい、
と心底思っている人がどれだけいるのでしょう?現代では、本当に重要な情報は、自分から手を伸ばして探すもの。
だから、マスコミよりもインターネットの情報・ニュースを色々と見て、
「自分の頭を使って」冷静に比較・分析したほうが、ずっとよいと思っています。」
・・・もう一度、なるほど。
自分の頭を使ってものを考えないと、掲載詩のように気がついたら「明日、戦争がはじまる」のかもしれません。

 

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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