清風 2014年9月

テーマ:清風 【住職】

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人間の英知は、科学の成果を正しく使いこなすほどに進化しているか。
            ピエール・キュリー(1903年・ノーベル賞受賞演説から)

20世紀は、科学の成果を応用することが必ずしも人間のために ―というか、
我々の住む地球にとっても― 好ましいことではないということが分かってきた世紀と言われています。
その中でも代表的なことは、太陽のエネルギーをこの地球で解放したこと(核融合・核分裂)だと言われています。
具体的には、今回の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故ではっきりしました。
技術には必ずプラスとマイナスがあります。今回の福島の事故から教えられたことは、
使用済み核燃料について最終的に処理できる方法が未だ見つかっていないということでした。
要するに、薪を燃やした後の灰は肥料として使えますが、
原子力発電に使用したウランは使用後の最終処理については方法がないということです。
つまり、灰がどんどん貯まってゆき、処理の仕方としては、
日本では下北半島の地下3,000メートルに埋めていく以外方法がないということです。
ここも満杯になり、今では一時野積みにされているということです。
最終処理できない(人間にとって無害とできない)のが使用済み燃料であることを知りながら、
過疎地に「まぁ、ようするに金目でしょう」と名目をつけた迷惑料を払ってその場をしのぎ、
この後も埋め続けるのでしょうか。
私どもも使用しているエネルギーを供給しているのが、各地に作られている原子力発電所なのです。
都市部からは見えない過疎地に。私たち「人間の英知は」、原子力発電所という
「科学の成果を正しく使いこなすほどに進歩しているのか」と今、P.キュリーから問われているように思うのですが、
どうでしょうか。
現世代の欲望を満足させるために、次世代に負荷を先送りする今のエネルギー政策は、
どこか間違っているのではないかというのが、偽らざる私の気持ちなのですが…。

「教え」に聞く 2014年9月

テーマ:「教え」に聞く


石も土も、木も草も、鹿も鳥も虫も、人間も神も、すべて森の客としての振るまいをしなければならぬのであって、
何者といえども森の主になることはできない。
森ははじめからあったのである。一切に先だって森はあった。
木も草も鹿も虫も、そして人間もあとから森にやってきた。神といえども後から森にやってくるのである。
(ピグミーに伝わる言い伝えより。 ピグミー … アフリカの原住民の一種族)

最近の科学の知見によれば、地球が誕生し(46億年前)、生命がその地球上(海)に誕生して(38億年前)、
更に人類が誕生(500万年前)して、現代人が誕生(15万年前)したと言われている。
ピグミーの伝説が語るように、人間は最後にこの地球に参上したのである。要するに新参者である。
その人類が、万物の霊長(ダーウィンの進化論の影響?)と勝手に自称して、この地球の主人のごとく
、主(あるじ)のごとく振る舞っておよそ1万年、そして近代文明…いわゆる科学の成果をフル活用して、
たかだかこの300年、人類は、地球始まって38億年ほど掛かって作られた化石燃料をあと数百年で使い果たすと言われ、
その燃料の代わりとなる次世代燃料として、1面にも記したように、完全に安全に処理できる方法もない核燃料を使い、
代替エネルギーと位置づけ、使用してきた。
そして、今回の福島の事故である。
今、わかった事は、福島の被害が終息できるあてもないままに、被害終息宣言がされているということであった。
アンダー・コントロールと。あらためて、右肩上がりで経済成長を続けなければならないという常識を、
少しく考えてみてはどうだろう。かつて「満州は生命線」と言って戦争を始め、
アジア全域に被害を広めてしまった経験にかんがみて。
今や日本は、世界第3位の豊かな国である。
しかし誰も、その豊かさの中にあっても安心できないでいることも事実のようである。
つまり、生活の豊かさのみで、こころ豊かに生きることは困難なことらしいという課題を突きつけられたのが、
21世紀の日本(そして、人類)であったとは言えないだろうか。
1面に紹介したP・キュリーの指摘する「英知」とは、生活の「豊かさ」は人間の生きる目標なのか?
それは手段ではないのか?という問いを我々に投げ掛けるものである、ということであろう。

お庫裡から 2014年9月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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 平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう
               なかにし礼
 
 二〇一四年七月一日火曜日
 集団的自衛権が閣議決定された
 この日 日本の誇るべき
 たった一つの宝物
 平和憲法は粉砕された
 つまり君たち若者もまた
 圧殺されたのである
 こんな憲法違反にたいして
 最高裁はなんの文句も言わない
 かくして君たちの日本は
 その長い歴史の中の
 どんな時代よりも禍々(まがまが)しい
 暗黒時代へともどっていく
 そしてまたあの
 醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
 戦争が始まるだろう
 ああ、若き友たちよ!
 巨大な歯車がひとたびぐらっと
 回りはじめたら最後
 君もその中に巻き込まれる
 いやがおうでも巻き込まれる
 しかし君に戦う理由などあるのか
 国のため? 大義のため?
 そんなもののために
 君は銃で人を狙えるのか
 君は銃剣で人を刺せるのか
 君は人々の上に爆弾を落とせるのか
 若き友たちよ!
 君は戦場に行ってはならない
 なぜなら君は戦争にむいてないからだ
 世界史上類例のない
 六十九年間も平和がつづいた
 理想の国に生まれたんだもの
 平和しか知らないんだ
 平和の申し子なんだ
 平和こそが君の故郷であり
 生活であり存在理由なんだ
 平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
 戦争なんか真っ平ごめんだ
 人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない
 たとえ国家といえども
 俺の人生にかまわないでくれ
 俺は臆病なんだ
 俺は弱虫なんだ
 卑怯者(ひきょうもの)? そうかもしれない
 しかし俺は平和が好きなんだ
 それのどこが悪い?
 弱くあることも
 勇気のいることなんだぜ
 そう言って胸をはれば
 なにか清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか
 怖(おそ)れるものはなにもない
 愛する平和の申し子たちよ
 この世に生まれ出た時
 君は命の歓喜の産声をあげた
 君の命よりも大切なものはない
 生き抜かなければならない
 死んではならない
 が 殺してもいけない
 だから今こそ!
 もっともか弱きものとして
 産声をあげる赤児のように
 泣きながら抵抗を始めよう
 泣きながら抵抗をしつづけるのだ
 泣くことを一生やめてはならない
 平和のために!

今月の掲示板 2014年9月

テーマ:今月の掲示板

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この世の中で
一番かわいいのは、私だ
だから、自分を大事にしている
しかし、自分を大切にしたいならば
他の人も大事にしなければならぬ   釈尊

我というのは
心の中へ自分を作る
だから
私が私と思っている私と
他人さんから見られた私とは
全然違う           仲野良俊

人の上に立つ人が尊いのではなく
人を拝める人が尊いのだと
仏教は教えています

人と人がいがみ合わずに
仲良く生きるために必要なのは
「信ずる」ことと「敬う」ことです

幸せとは満ち足りることだ
「これで十分」という満足がなければ
感謝も幸せもありません

人生に満足するか、空しく終わるかは
自分がこれまで何を得てきたかということではなく
何を目指し、どこへ向かって生きたのかという
方向の問題なのでしょう

人は一体何によって満足するのか
要求の人生を続けていれば
満足を知らないまま死を迎えます
それを空過といいます

喜びも満足も知らず
いつも誰かのせいにして不平を言っていることが
情けないのです
それにきづかせてくれるのを仏さまの智慧といいます
その智慧は
私たちがつまらないと思っているところに
隠されています

本堂に座って 2014年9月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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夏休みに限らず、子どもたちには「(小学生のうちは)9時には寝なさい!」と言って、9時消灯を目標にしています。
自分が同じようにしていた、というのが一番の理由なのですが…。
そんなこともあってか、夜遅めの時間に外で子どもの姿を見かけると、「あれ、いいのかな?」と感じることがあります。
まさにそのことについて書いてくださっているお話がありました。

夜、スーパー銭湯のような場所へ行くと、夜の10時になろうとするのに小さな子どもを連れて来ている人がいます。
子どもは眠いのでしょう、ぐずってなかなかお父さんの言うことをきかず、叱られたりしています。
また、サウナに入ったり水風呂に飛び込んだり、走り回る子どももいます。
子どもへの虐待だと言っていいと思います。
幼い子どもたちに夜の睡眠が、どれほど必要かを知って欲しいものです。
大人の夜型生活に付き合う形で、夜遅くまで起きている子どもが少なからずいます。
日本では、いつの間にか睡眠が軽んじられて、長く起きていた方が得だと考えられているのでしょうか。
現在、日本の子どもは(大人も)世界でもっとも睡眠時間が短いそうです。
結果、翌朝はぎりぎりまで起きられず、排泄や朝食が不十分なまま登園、登校することになります。
途中の乗り物の中でまた眠り、完全に目覚めないまま校門をくぐります。
教室でも、ぼーっとして居眠りをしたり集中できなかったり、落ち着かず不注意で怪我にもつながります。
人生で一番いきいきと活動する時期に、魂の抜け殻のような顔で、
うつろな眼差しをしているのは、もったいないを通り越して、成長期のあり方として致命的だとさえ思います。
私たちが、例えば数学の時間に新しい解法を学び、英語の時間に新しい文型を習います。
それらは、翌日には過去に学んださまざまな知識や解法と、知らないままに結びついています。
あるいは、1日に経験した無限とも言うべき出来事は、夜眠っている間に知識に変えて整理されたり、
不要な情報が棄てられたり、過去の知識と統合されてその人独自の知恵になっていきます。
夜眠っている間に、知識は定着し、総合的な知力が向上し、それによって直感が豊かになります。
つまり、夜の眠っている時間が一番頭が良くなり成長していく時間なのです。
それは、脳内のことだけでなく、情緒の安定や、免疫力アップや、肉体的成長に極めて重要なのです。
損傷した肉体の回復にも、夜の眠りが必須です。夜しっかり眠って、朝日とともに目覚めて、1日が有効にすぎていきます。
人間には、昼も夜も必要なのです。
深夜のテレビやゲームが、脳の活性化を妨げていると知るべきです。
「早寝、早起き、朝ご飯」が知能指数や偏差値にどれほどいい影響をもたらすかは、最近よく報道されているとおりです。
ただし、寝過ぎが良くないのは言うまでもありません。
(「十五、子どもは夜の睡眠中に成長している~睡眠の時間帯と質が重要~」
真宗大谷派難波別院発行『今、教育の現場では…』真城義麿著 より掲載しました。)

 夜更かしが良くないのは、単に次の日に影響するから…くらいに思っていましたが、
睡眠にはそれ以上に「成長」と深い関係があることを教えていただきました。
学年が上がってくると、どうしても宿題などで就寝時間が遅くなりがちですが、
子ども本人のために(!)早く寝られるような習慣を、僕らの方も心がけたいと思います
(その後の大人時間のため…とは思っていても、今後はあまり言わない様にします…)。

 

今日も快晴!?2014年9月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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8月9日、被爆から六十九年の原爆の日を迎え、長崎市松山町の平和公園で市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれました。
被爆者代表の城台(じょうだい)美弥子さん(75)が語られた内容は、本当に素晴らしいものでした。
以下、一部を抜粋して紹介します。
「原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。
今強く思うことは、この恐ろしい非 人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。
そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。
被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。
しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。
今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。
日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。
武器製造、武器輸出は戦争への道です。
いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。
日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。
被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。
福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、
仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。
小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。
このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。
使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。
被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。
小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。
この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。」
少し前に目にした元自衛隊員の方による集団的自衛権の反対の声も、なるほどと思えました。
「いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。
日本を守る話ではないんです。 売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。
売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。
それが集団的自衛権なんです。他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。
当然ですよ。
だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。
…みなさん、軍隊はテロを防げないんです。 世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。
ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。
米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。
自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。
そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。どうしたと思いますか。
軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。そういうものなんですよ、戦争というのは。
…私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。
使い方を間違ったら、取り返しがつきません。
…戦場は国会とは違うんです。 命のやり取りをする場所なんです。
そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。」

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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