清風 2014年11月

テーマ:清風 【住職】

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もし、あなたが詩人であるならば、この1枚の紙のなかに雲が浮かんでいることを、はっきりと見るでしょう。
雲なしには水がありません。水なしには樹が育ちません。
そして樹々なしには紙ができません。
ですから、この紙のなかに雲があります。
この1ページの存在は、雲の存在に依存しています。紙と雲は、極めて近いものです。
(中略)この小さな1枚の紙の存在が、宇宙全体の存在を表しています。

(『仏の教え ビーイング・ピース』中公文庫 P68~70抄出
ティク・ナット・ハン(1926~)ベトナム生まれの僧侶)

 

この文章は、仏教の核心である縁起の教えについて分かりやすく説かれたものです。
(縁起の教え=宇宙間に存在する千万無量の物体が、決して各個別々に独立自存するものではなく、
互いに相依り相待って一つの組織をなしていること)
日本国憲法の前文・第2段落には次のように書かれています。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
おととしの総選挙にあたり、現行の我が国の憲法について「みっともない憲法ですよ」と語った人がいました。
また、昨年7月に「ナチスの手口に学んだらどうかね」と言った人も、内閣の一員として在席しています。
この政権は、歴史からの教訓を学ぶのはナチスの手口のみのようで、日本を積極的平和主義という名のもとに、
再び世界の孤児へと導くつもりらしいのです。
ヘイトスピーチ(2面参照)は、この方たちの仲間の人から今も際限なく発し続けられています。
恐ろしいことです。
日本は日本独りでこの地球にあるのではなく、東北アジアに韓国・朝鮮そして中国と隣り合わせで、
今までも、これからも存在していかなければならないのです。
この憲法前文のメッセージは「みっともない」どころか、今も少しも色褪せたものではなく、
「専制と隷従、圧迫と偏狭を除去して」この東北アジアの今後を開いていく、
更には「縁起の教え」という実に豊かな内容を持ったものと言えるのです。

「教え」に聞く 2014年11月

テーマ:「教え」に聞く


経験を欠いた欲望は無闇に昂進する。戦闘経験を持たない者の戦闘意欲は、
実態の過酷さという抑制の根拠を内部に持たないために、徒にひたすら燃え上がるばかりである。
(藤田省三著 『全体主義の時代経験』みすず書房)

今、日本の都市(東京・京都・大阪など大都市)で行われているヘイトスピーチ
(差別扇動表現。人権原則の核心である人間の尊厳と平等を否定し、
個人や特定の集団の社会的評価を貶めるべく、他者に向けられる形態のスピーチ。
国連人種差別撤廃委員会の定義)について、この委員会が日本政府に法規制の必要を何度も勧告してきています。
例えば「良い韓国人も悪い韓国人も殺せ」といった内容の言葉が、連日ネット上の書き込みで飛び交っているのです。
こうした人間の心と社会を傷つけるヘイトスピーチは、ジェノサイド(人種絶滅)への第一歩であることを歴史は証明しています
(ジェノサイド … 例えば、第二次世界大戦下、ナチスが国家の事業としてユダヤ人をガス室で数百万人も殺したことを指す)。
在特会(在日朝鮮人の特権を許さない会)のデモは、ハーケンクロイツ(ナチスの籏印)の籏を持ち、
ガスマスクをして「殺せ、殺せ、朝鮮人」から出発して「新大久保を更地にしてガス室を作れ」などと叫んで白昼にデモをしています。
ドイツやフランスなら、その場で逮捕だと言われています。
朝鮮大学の前では「おい、お前ら出てこいよ。殺してやるから」とやっている現場に警官がいるのです。
現行法でも、これは脅迫になるのだから逮捕してもいいのに、日本の警察は動きません。
こうしたデモのビデオを見る限り、「差別主義者たちが警官に付き添われているとしか見えない」のが事実です。
私どもの言葉は、心の表現なのでしょう。
ヘイトスピーチを大勢で徒党を組んで、しかも大声でしなければならないその孤独さに、
今の我が国を取り巻く閉塞感というか、その閉塞感を他人が恐怖を持つような言動でしか解消できないことに無残さを感ずるのは私だけではないと思います。
「実態の過酷さ」、つまり在日韓国・朝鮮人の人が何故我が国に存在しているのか、
そしてまた、徒党を組んだ人たちから一斉に「殺せ、殺せ」と叫ばれることがどんな恐怖感を与えることになるのか、
想像もできないとするなら、そしてそういう人たちを我が国の司法が抑制できないとするなら、
その雄叫びは「徒に燃え上がり」、この国を滅ぼしていくに違いありません。

お庫裡から 2014年11月

テーマ:お庫裡から 【坊守】

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11月は、守綱寺の境内が一番華やぐ月です。
門前の五本の大欅をはじめ、桜・紅葉・満点星等の木々が赤や黄色に葉を染め上げ、
南天や千両が実を赤く色付かせる。自然の織りなす妙趣に毎年畏敬の念をもって眺めます。
春、門前の欅の芽吹きは一様ではありません。
同じような場所に生えていると私は思っているのに、どこかの条件が微妙に違っているのでしょう。
市の名木になっている欅は、他の欅が芽吹いてきても、いつまでも裸木のままです。枯れてしまったのかと心配していると、
他の木の葉が出揃った頃ようやく芽吹いてくるのです。
その事左様に、紅葉も一律ではないので、毎日毎日、少しずつ変わっていく色模様を見るのが楽しみの一つなのです。
そして、ふっと思いました。
春に誕生し芽吹いた葉は、夏の太陽の下精一杯働き、いのち終わる最後に自分を一番きれいに染め上げて、
満足して、そうして土に還っていく。
これは人間の一生と同じことだ。境内の木々が私に問いかけます。
「お前はどうだ。人生の終わりが近いぞ。お前の紅葉は満足の色か?」と。
生活は思い通りにならぬことの連続、その中で腹を立てたり、悲しんだり、
時には思いもかけぬことに出会って喜んだり、嘆いたり。
そうしていること全体が、とても有り難い、かけがえのない大事な私の時間。
その事に手が合わさります。南無阿弥陀仏。

 

今月の掲示板 2014年11月

テーマ:今月の掲示板

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大地に立つ
あてはずれ
あてはずれ
あてはずれつづけて
あてはずれてもいい
大地に立つ

障害
いろいろと
覚えたばっかりに
愚者にもなれず
身動きがとれません

旅人
人はだれもが
真実を求め
自己自身の問いを
担って歩く旅人か

苦と楽と
地獄とは
楽を求めて苦しむ世界
極楽とは
苦を転じて楽しむ世界
そのどちらにもつけず
苦じゃ楽じゃと
迷うている私

宝もの
いかり はらだち そねみ ねたみおおく ひまなく
もてあましとる
この煩悩が
かけがえのな  
宝ものとは・・・・・

幸福を探して
幸福を見つけた人は
いない

人間ならば誰にでも
すべてが見える訳ではない
多くの人は、自分の見たいと
欲する現実しか見ていない

「老いる」ということは
老成する
成熟するということ

豊かそうに見えるこの日本で
心の飢えはないのでしょうか
(中略)
心の貧しさこそ
一切れのパンの飢えよりも
もっともっと貧しいことだと思います
豊かさの中で
貧しさを忘れないでください

本堂に座って 2014年11月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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以前からずっと気になっていたのですが、ようやく『永続敗戦論』(白井聡 著)という本を読みました。
先の戦争の「敗戦」を「終戦」と言い換え、事実としての「敗戦」に向き合うことを避けてきたことが
今の社会状況(領土問題・拉致問題・日米関係など)を作り上げている…として、事実に基づく論評が記されています。
どの部分も興味深い内容なのですが、一部分だけ紹介します。

今日表面化してきたのは、「敗戦」そのものが決して過ぎ去らないという事態、
すなわち「敗戦後」など実際は存在しないという事実にほかならない。
それは、二重の意味においてである。
敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、
敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)という
日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。
無論、この二面性は相互を補完する関係にある。
敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、
深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。
かかる状況を私は、「永続敗戦」と呼ぶ。
永続敗戦の構造は、「戦後」の根本レジームとなった。
事あるごとに「戦後民主主義」に対する不平を言い立て戦前的価値観への共感を隠さない政治勢力が、
「戦後を終わらせる」ことを実行しないという言行不一致を犯しながらも長きにわたり権力を独占することができたのは、
このレジームが相当の安定性を築き上げることに成功したがゆえである。彼らの主観においては、
大日本帝国は決して負けておらず(戦争は「終わった」のであって「負けた」のではない)、
「神洲不敗」の神話は生きている。しかし、かかる「信念」は、
究極的には、第二次世界大戦後の米国による対日処理の正当性と衝突せざるを得ない。
それは、突き詰めれば、ポツダム宣言受諾を否定し、東京裁判を否定し、
サンフランシスコ講和条約をも否定することになる(もう一度対米開戦せねばならない)。
言うまでもなく、彼らはそのような筋の通った「蛮勇」を持ち合わせていない。
ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、
自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、
かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。
敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く――それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である。(中略)
自己目的化した対米従属を相も変わらず追求する先輩たちに対して批判的立場をとる彼ら(「戦略的親米」家)の姿には、
戦前の革新官僚や青年将校を髣髴とさせるところがある。
そして、戦前の彼らが先行世代を批判しながらも、
軍拡――そしてその必然的帰結としての戦争――というさして新しくもない答えしか見出せなかった点において
想像力が貧困であったのと非常によく似て、現代の「安全保障サークル」の若手住人も永続敗戦の構造に目を向けようとはしない。「米国の言いなり」どころか「米国の言いそうなことの言いなり」になることによって、日米以外の諸国との関係において何を失うことになるのか(一体そのような国を世界の誰が尊敬するというのだろうか)、彼らは考えもしないのである。日米関係という世界の外の世界は、彼らの想像力の外にあるものと見受けられる。
(『永続敗戦論 戦後日本の核心』白井聡 著 太田出版発行 より抜粋して掲載しました)

この本で論じられている内容は、「事実としては知っている」ことが大半を占めていますが、
それらを「視点を変えて見る」ことや「他の事実と関連づけて見る」ことで、
今まで気づかなかった受け止め方を提示してくださっています。
内容の面白さは言うまでもないですが、その「視点・見方」についても深く教えられる本だな…と思いました。

今日も快晴!?2014年11月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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とある私立幼稚園の副園長先生が、
「黒子のバスケ事件(※人気マンガ「黒子のバスケ」作者・藤巻忠俊氏や、作品の関係先各所を標的とする一連の脅迫事件)」の犯人の「最終意見陳述書」を読み、「衝撃を受けた」と、その一部を園便りに抜粋・掲載されていました。
副園長先生は、「率直に言って、これは、子育てや教育に関わる人にとって、『読むべきテキスト』だと思いました。
この意見陳述にあるのは
『このように育てられ、このような教育の場に置かれ、このように大人に接せられた子どもは、こうなってしまうのだ』という、
ある意味『不適当な子育ての「被害者本人」による自己分析』なのです。
『負の子育てテキスト』と言えるものです」と言っておられます。
私も読んで衝撃を受けました。
意見陳述書はA4で44枚もあり、園便りに掲載されたものも非常に長いので、ほんの一部を紹介させてもらいたいと思います。
以下、あさひこ幼稚園「くろぐみだより」より。
「(犯人は)小学校に進学して物凄くいじめられました…両親に助けを求めましたが、基本的に放置されました。
担任教師も状況を知りながら、何もしてくれませんでした。
…自分(犯人)は運動神経がとても悪い子供でした。
小1の時の運動会に徒競走は8人中ビリでした。母親はビリだった自分をなじりました。
翌年の小2の運動会では8人中3位でした。
体育の授業での課題を自主的に練習していて、それが影響したようでした。
自分は喜び勇んで結果を報告しましたが、母親は無反応でした。
その翌年の小3の運動会で、やる気を失くした自分は再びビリになりました。
母親はもちろんビリだった自分をなじりました。
徒競走に限らず、両親はいつもよい結果を無視し、悪い結果には怒りました。
自分にとって努力とは怒られるなどの災禍を回避するための行為であり、努力の先に報いがあるとは思いもしませんでした。
…自分の小学校の卒業遠足はディズニーランドでしたが自分は参加していません。
風邪をこじらせて寝込んでいたからです。
母親は自分に「遠足の積立金がもったいない」と繰り返しましたが
「遠足に行けなくて残念だったね」とは一言も言いませんでした。」
「・・・両親との心理的な交流がないと子供は何が好きで、何が美味しくて、何をガマンしないといけないのかが、
よく分からないままに育ってしまいます。
つまり自分の意志を持つことが困難になるのです。これが「心理的ネグレクト」です。
これを受けた子供は原因を把握できないまま物凄い生きづらさを抱えることになってしまいます。
…「生きる力」とは何か?自分はここまで堕ちた人間ですから、それが何かがはっきりと分かります。
それは根源的な「安心」です。「安心」があれば人間は意志を持てます。
自分の意志があれば人間は前向きになれます。
「安心」が欠如し、強い対人恐怖と対社会恐怖を抱き、肯定的な自己物語を持てない人間が「生きる力」がない人間です。
子供に「生きる力」を授けられるのは両親かそれに代わる養育者のみです。」
親の課題を突きつけられた気がしました。興味のある方は是非ネット等で全文お読み下さい。
これほどの文章力を持つ人が犯罪者として生きる事しか出来なかったのかと、残念に思えてなりません。

 

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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