清風 2014年12月

テーマ:清風 【住職】

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人間はすでに自然の多くの力を統制することはできたが、自己の性情、その利己的な考え方あるいは欲望は統制できない。
人間がそれを完全に学び取り、またそれを実行するまではちょうど発電機を玩具にして遊んでいる子どもと同じである。
彼はその不完全な知識によって自分自身を破壊させるかもしれない。(中略)
もしわれわれが利己的、かつ貪欲であるなら、われわれの政府も利己主義と貪欲とを基盤とし、
愛と真実に基づくより良い政府に変わることができないであろう。
すべてはわれわれ自身の心からである。(中略)
これまで多くの自然の秘密を発見したのは人間の心の力であったが、われわれ自身の心、性格の秘密を発見したものは稀であった。
ギリシャのデルフォイの神殿には「汝自身を知れ」とある。
(インド高校用教科書『世界文明史概説』より 1973年
出典『戦争の教え方 ~世界の教科書にみる~』別技篤彦著 朝日文庫 1997年7月発行)


人間が初めて地上に誕生して100万年、そして文明が誕生して1万年、誕生してからを100歳とすれば、文明化されて未だ1歳ということになる。
現代の我々はようやく文明の幼児期に到達しようとしているのである。
上の教科書に「自己の性情、その利己的な考え方あるいは欲望を統制できない」と言うのは、
ちょうど赤子が自己を統制できないのと同じということだろうか。
デルフォイの神殿の「汝自身を知れ」という格言は、人類が文明化されていく過程にあるということからすれば、
およそ2500年前に釈尊が出られて「法を灯とし、他を灯にしてはならぬ。
自らを灯として、他を灯にしてはならぬ」という言葉を遺教として残されていることが思い起こされる。
「汝自身を知れ」、それが釈尊のお悟りである「縁起の教え」と深い関わりがあるのだから。
よちよち歩きを始めようかという幼児期の出発点に立ったのが人類の現状と言えよう。
つまりわれわれの課題が、まさにここに記されていると言える。
「自然の秘密を発見したのであるが、われわれ自身の心、性格の秘密を発見した者は稀であった」と指摘しているように、われわれの課題は、もう明らかである。
すなわち「自身を知る」こと、そのことこそが緊急の(そして永遠の)課題としてわれわれの前に置かれているのである。

「教え」に聞く 2014年12月

テーマ:「教え」に聞く



一言で言えば、素晴らしいんじゃないでしょうか。
(佐藤芳之さん(1939~)ケニアで活動している日本人実業家)

今や、我が国では経済成長のみが政治の理念であって、他の理念は考えも付かない雰囲気です。
持続可能な経済成長ということが叫ばれても、原発による発電はクリーンなエネルギーというふれ込みが、いつの間にか主流となりつつあります。
経済成長のための原発が未来の子孫にどれだけの負荷を負わせても、
それについてはとことん議論しないで「見解の相違です」と簡単に片づけられる有り様です。

こんな折、ニュースの時間にテレビから、安倍首相が衆議院の解散・選挙を決めたということが流れてきました。
アベノミクスは失敗ではなかったか、その失敗を棚にあげて…といった後で、
その番組にゲストとして出演していた佐藤さんに「こうした、にわかな総選挙の流れについてどう思われますか?」と問いかけ、答えられたのが上記の一言でした。
「えっ?」と思った瞬間、「選挙ができて、政治家を選ぶことなんて」とコメントは続きました。
「民衆が、もうちょっと変えてほしいと思っても術がないのです」と。
アフリカでは、今も終身大統領制の国が多く、選挙はないという説明でした。

考えてみれば、我が国も選挙権は誰にでも与えられてはいなかったのです。
獲得して70年、「どうせ私1人くらいが選挙に行っても、政治は変わらない」のではなく、
私たち国民が変わらなければ政治はいつまでも変わらないでしょう。
政治を国民・私たちに取り戻す、せっかく与えられたチャンスです。
よく考えてこの機会を活かしましょう。
「残念です、宝の持ち腐れでは」という声が聞こえませんか。
選挙は、実は自分の、またこの国の将来を選ぶことです。
言うまでもなく、この国の主権者は私たち一人一人なんですから。

この国の憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う
(日本国憲法 第12条)

お庫裡から 2014年12月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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11月20日、その日も私たち夫婦は、午後にはお茶を点て、
散歩もし、孫達とお夕事を勤め、夕食を摂り、いつもと変わらぬ一日を終えるものと思っていました。
午後8時半頃から、夫は激しい吐き気に襲われ、胃は空っぽになったと思われるのに、強い吐き気は一向に治っていきません。
途方に暮れるばかりです。
嘔吐物に胃液臭が無いことが不思議でした。
午後10時頃、下血が始まり、迷わず救急車を呼びました。
病院でこれまでの経緯を話すと、「検査しますから」と私は外の待合室に出されました。
救急車で運ばれて来るところですから、中からはわめく声やうめく声、医者の大きく呼びかける声も聞こえてきます。
夫はどうなっているのか、どんな治療をしてもらっているのか、待合は私1人、不安が募ります。
午前3時、ようやく呼ばれました。
「大腸と小腸のつなぎ目あたりにポリープがあります。
そのあたりで、大腸の中に小腸が10センチくらい入り込み、狭くなった腸をポリープが栓のようにふさぎ、今の症状を起こしています。
病名としては腸重積と言います。
まれにスポッとはずれる場合もありますが、ポリープがあるとまた同じことが起こります。
手当としては腸が重なっている部分をポリープごと切除する手術。しないとこの症状のままです。
手術なら朝一番、8時からですが、どうされますか?」
あまりに明快な説明に、2人とも「お願いします」と頭を下げました。
病室に入っても、やはり吐き気と下血は襲ってきます。
朝になるのがどんなに待ち遠しかったことか。8時に手術室へ。
切ってみれば、ポリープは脂肪腫、盲腸まで引っ張り込んで、腸はかなり傷んでいたが重責ははずれており、リスクが少なくて済みました、とのこと。

今月の掲示板 2014年12月

テーマ:今月の掲示板

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足もと
なにもかも
当たり前にしている程の不幸が
またとあろうか
如来(ほとけ)はつねに
足もとの幸せに気づけよと
仰せくださる

聞信
この私の間違いを
聞かしてもらい
仰せに頷く
そのほかに
信心なんて 私にはない

執心
くだかれて
くだかれて
無限の成長があるというのに
私は
わが思いを固めることに
かかり果てている

大きなお世話
自分で自分を
なんとかしようとする
この大きなお世話
なんとか止まないものだろうか

三悪道
世の中が便利になって
ものがあり余り
念仏が忘れ去られて
聞こえてくる言葉は
あさましや
地獄、餓鬼、畜生の三悪道
仏はただ念仏せよと
古き時代の言葉を思いおこせよと
呼びつづけてくださる

問題
如来さまのくださる問題は
答えを要求されたのではなかった
問題から
逃げなければよかったのだ

呼びかけ
“一寸先 闇じゃ、おまかせより ない”
聞きたくなくても聞こえていた
古い時代のことば
それが
呼びかけだったと
しみじみと思う

選び
定められた運命など どこにある
人は おのれ自身の宿業を引き受けた時、
自らの選びによって
未来を決定していくのだ

本堂に座って 2014年12月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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秋も深まり、すっかり紅葉も色付く季節になりました…と思っていたら、
突然に衆議院の解散・総選挙という話が持ち上がってきました。
最近になって友人と「そろそろ政治の話題をみんなと話したいね」と言っていた矢先のことで、
先を越された(?)感がありますが、あらためて政治の現状について先月紹介した
『永続敗戦論』(白井聡 著)から見直してみたいと思います。

核兵器をめぐる事態は、少しも驚くべきものではない。
それは、「非核三原則」の下で実際には沖縄に米軍による核兵器持ち込みがなされていたことが驚くべきことではないのと本質的に同じことである。
沖縄の核についての密約の存在が公に認められたとき(2010年)、われわれのうちの一体誰が、
そのようなことは「想像だにできなかった」と言えようか。
それは、実際誰もが「薄々知っていた」ことが公式に認められたにすぎなかった。
その証拠に、いくつかの段階を経て密約を政府が認めるに至ったとき、それはほとんど何の衝撃をも社会に与えなかった。
(中略)仮に驚くべきことがあるとすれば、それは、「平和憲法と非核三原則を掲げた世界唯一の被爆国」においてこれらの出来事が生じていることにわれわれが本当は気づいていたこと、そしてその無意識的な認識を否認し続けてきたことである。

戦後日本の象徴たる憲法第9条に対する解釈改憲、事実上の海外派兵(イラク戦争)といったかたちで、
歴代保守政権は「戦後レジーム」の実質的変更を進めてきた。
しかし、それにもかかわらず、「戦後」という歴史区分がいまに至るまで継続することを彼らは許容してきた。
否むしろ、後に見るように、この歴史区分を継続させることによってのみ、日本の保守勢力は「戦後の総決算」云々といった観念を弄ぶことを許されてきたのであって、それゆえ保守勢力による権力の独占は、「戦後を終わらせる」どころか「戦後」の際限なき継続を必当然的にもたらした。言い換えれば、「戦後を終わらせる」という意思の表明は、それを実行しないことによってのみ可能であった、という逆説がここには横たわっている。

いま必要なことは議論の目新しさではない、「真っ当な声」を1人でも多くの人が上げなければならない、という思いに駆られて私は本書の執筆に取り組んだ。
もちろん、私の上げる声は何の効果ももたらさないかもしれない。
昨年(2012年)末の衆議院選挙の結果を目撃し、対外関係をめぐる幼稚で無知なわめき声
(「主張」と呼べるほど立派なものではない)を耳にすると、はっきり言って、暗澹たる気持ちになる。
だがそうした客観的に悲惨な状況は、私にとって究極的にはどうでもよいのだ。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」(ガンジー)
3・11以降2年の月日が流れたが、ガンジーのこの言葉は私を支えてくれているし、
この間この言葉を実践している有名無名の少なからざる人々の姿は、私に勇気を与えてくれている。
「侮辱のなかに生きる」ことに順応することとは、「世界によって自分が変えられる」ことにほかならない。
私はそのような「変革」を断固として拒絶する。
私が本書を読む人々に何かを求めることが許されるとすれば、それは、このような「拒絶」を共にすることへの誘いを投げ掛けることであるに違いない。
(『永続敗戦論 戦後日本の核心』白井聡 著 太田出版発行 より抜粋して掲載しました)

本の中では、拉致・領土問題などについても書かれていますが、その元にあるのは「その時の為政者(とアメリカ)の都合」ばかりです。
ガンジーの言葉を支えに、今できること・しなければならないことを考えてみようと思います。

今日も快晴!?2014年12月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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子どもを3人授かってから、私の子育てのテーマは「真ん中の子をすねさせないこと」でした。
母が3人姉弟の真ん中だったこともあり、
「出来の良い姉と弟に挟まれて、私は手を掛けてもらえなかった」といまだに恨み言を聞かされるので、
(長男は、頑張りを認めてたてよう。次男はちょっと余計に手と目を掛けよう。
長女は、女の子だからといって甘やかすのは絶対やめよう)と心がけてきました。
先日のことです。次男と娘が夕食の前に派手な喧嘩を始めました。
どうやら、娘が「3段ボックスの中身の入れ替えをして、真ん中の段が誓くんの場所になったよ」と教えたところ、
次男が「テーブルの真ん中の席が誓くんの場所になったよ」と聞き間違えたようで、
彼が食卓のテーブルに真ん中の席に座り、そこは元々娘の席と決まっていた場所だったので、
娘が「誓くん!どうして私の場所に座ってるの!?」と大声を出し、
次男も「はぁ!?だって在ちゃんが『誓くんの場所は真ん中だ』って言ったじゃん!」
「違う!そんなこと言ってない!」という行き違いから始まった喧嘩のようでした。
娘は(お兄ちゃんに自分の席を取られた!)と思い込み、「誓くんが私の席を取った~!」とヒステリックに泣き叫び、
次男は「おまえがそう言ったんだろ!ふざけんな!」と妹を完全無視して引こうとせず、
部屋から出てきたじぃじが「うるさいぞ!」と怒鳴り、大騒ぎになりました。
よくよく二人の言い分を聞くと、どうやら最初に行き違いがあったようなので、
「誓くん、在ちゃんは本当はこういうことを伝えたかったみたいだよ。聞き間違いだったね」「あっ、そう」。
娘には「在ちゃん、誓くんに上手く伝わってなかったみたいだよ。
それに、ちょっと言い方が良く無かったんじゃない?あんな言い方されたら、みんな嫌な気分になるんだよ」「…」と、
お互いの言い分を聞いた上で、そもそもの原因と、互いにちょっと良くなかったところを伝え、その場は収まりました。
その夜、寝かし付けの時です。最初に娘が寝たので、次男の隣に移り、二人で話をしました。
「誓くん、お母さんさぁ、在ちゃんが悪いことしても誓くんに『お兄ちゃんだから我慢しなさい』とか、
言ったことないと思うんだけど、どうだろう?」
「そうだね~。言われた覚えな~い」、
「一番下だから、女の子だからと在ちゃんに甘くしたりせず、悪いことしたらちゃんと叱っているつもりだけど…」
「そう思うよ~」。
「お母さんさぁ、誓くんが真ん中だから、『ぼくだけ手を掛けてもらっていない』ってすねないように…
と思って気をつけていたつもりだけど、どうかなぁ?」「うん。ぼく全然すねてないよ~」。
次男は3年生の初めまでおねしょが続き、同じ頃までおっぱいを欲しがりました。
いまだに夜中に必ず私の布団に潜り込んできます。
どう考えても一番次男に手が掛かっていますが、次男の「ぼく全然すねてないよ」の言葉で、
今までの手間暇が全部報われた気がしました。そして、妹だからと娘に甘くしなかったためか、
娘は妙にたくましくなってしまいました。
兄を兄とも思わぬ物言いとか態度の大きさとか、母に守ってもらえない分、強くなりすぎてしまったようです。
これからは、娘の天狗の鼻をへし折ることが子育ての課題になるかもしれません…。
実は、単に母親似というだけでしょうか…?

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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