清風 2015年2月

テーマ:清風 【住職】

syukoji_09090901.jpg
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果とわが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(日本国憲法 前文の冒頭部分)


 ご存知、日本国憲法の前文の言葉です。前文の中でもこの部分は、その冒頭に出ている文言です。そうしてみるとこの文言は、前文は1000字ほどですが、憲法の核心をなす重要な文言と、制定当時の人々は位置づけていたと言えるのだと思います。
 是非、前文だけでも通して読んでみたいものです。

 この前文の冒頭に注意したいと思います。「日本国民は」とあり、「日本国は」ではありません。勿論、この憲法の主体・主語は国民、われら一人一人なのです。そしてその国民は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、(略)この憲法を確定」したのです。
 法学の常識では、憲法は内閣を縛るもの、法律は国民を縛るものだそうです。
 政府はこの半年の間に、
(1)先ず、第9条の内容を全く無意味とするような解釈とするために、それまで
   の法制局の憲法解釈を引き継ごうとした法制局長官の首をすげ替えるという
   姑息な手段を使い、
(2)その上で、閣議で解釈変更し、現行憲法を変更しなくても他国と戦争ができ
   る、集団的自衛権の行使が認められていると、
全く憲法の理念の中心をないがしろにしてしまいました。

 さて、どこの国でも、他国を今から(他国の人を殺すために)侵略すると言って戦争を仕掛けるということはあり得ません。「自衛のため」と称して、理屈をこね上げて戦争を始めます。アメリカがイラクに核兵器があると理屈をつけて戦争を仕掛けた時も、それらしきものは無かったと後からわかったことでした。今もその戦争で非戦闘地域へ派遣された日本の自衛隊の中で無事帰国できた隊員の内、帰国後20人を超える隊員が自殺したと伝えられています。心的外傷ストレス障害(PTSD)が疑われているそうです。

「教え」に聞く 2015年2月

テーマ:「教え」に聞く



歴史は2度と繰り返さない。人がそれを繰り返す。

人間は間違いをするものなのだろう。例えば、政府は税金を使ってイラクへも派遣したのだから、その税金を使った結果について、国民に検証結果を報告する必要があるのだろう。2度とこうした間違いを起こさないようにするためにも。核兵器は無かったのにあると言ったのは、国民に嘘をついたということだから。
しかし考えてみると、国民の側にもこうした事態を見過ごしている、つまり結果から言えば、その事実(自衛隊のイラク派遣)を認めてしまっていると言える。
戦前の国家においては、国民の自由は大幅に制限されていた。治安維持法などによる恐怖政治下で国民は「見ざる、聞かざる、言わざる」の閉鎖集団にならざるを得なかった。
しかし戦後はどうか。2000年頃までは、戦争の惨禍を経験した人々が残っておられ、戦争を2度と起こしてはならぬという世論と、辛うじて第9条がどんな大きな犠牲の上に立案されたものかを知る人がおられた。
そして2015年の現在はどうか。基本的人権は、風前の灯火とはいえ、未だ残されている。しかし、風前の灯火であることは間違いない。前頁で述べた、閣議決定で第9条の骨抜き解釈が行われたように。
「日本国民」が、今こそしっかりしなければならない時かもしれない。
自国の過去の過ちを自分たちで考え続けることは、実に気が重いことである。しかし、国際社会から孤立しないためには避けて通れない課題なのではあるまいか。
小生は今から30年ほど前、中国やアジアの国から日本が戦争中にそれらの国で行ってきたことについて恨みを聞かされた国会議員の「幾度あやまればいいのか」という投げやりな言葉を新聞報道で知った。過ちを犯した日本の側においても世論調査などによれば、戦争の記憶は空襲・強制・食糧難など被害者の立場での記憶が多いと聞く。過ちを犯した側でも被害の記憶が強いのである。まして「殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす」という三光作戦が全土で15年間繰り広げられた中国などアジアの国々では、被害の記憶が強いのは当たり前と言えよう。
そういう記憶を忘れていく、あるいは忘れさせるのは、再び同じ過ちを次の世代にさせることになるに違いない。
今、ヘイト・スピーチを繰り返す人たちは、まさしくその例と言えよう。

お庫裡から 2015年2月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
syukoji_09090902.jpg

寺部の住人になって36年目、今、町は大きな変化をとげつつあります。
寺部の中を東西に走る県道が、中央分離帯のある4車線道路になる、その工事に先駆けて、
道路の南側の区画整理を行い、住宅移転の工事が始まったのです。
田んぼがどんどん埋め立てられ、新しく家が建ち、日に日に様相が変わっていきます。
この36年間、のどかな農村だったこの地に、豊田北高校ができ、広大な豊田スタジアムができ、橋が架かり、
駅からまっすぐスタジアムの横を通って外環状までの道路が出来と、大きく変化してきましたが、
この度行われようとしている事業は、それよりもっともっと大きな変化をもたらしそうです。
市役所や豊田駅(名鉄)に我家からでも2Km強の距離にあって、今まで開発という事業から縁遠かったのも、
先祖からの農地を大切に守っている人々がおられたからでしょう。
その方々も老齢になり、後継がサラリーマンになり、家を離れて暮すという現実の中では、時代の波に逆らうことはできないのでしょう。
孫の通う小学校も、移転先の工事が始まりました。
今計画されている事業が何年先に完成するのか、道路が広くなって寺部に信号機がつくのはいつのことなのか、さっぱりわかりません。
無事に生きていたとしても、免許証を取り上げられているかもしれません。
目の黒いうちに見られるものには限りがある。ならば尚子よ、何をするべきか。
阿弥陀様の問いは、いつも厳しい。

今月の掲示板 2015年2月

テーマ:お庫裡から 【坊守】

syukoji_09090903.jpg

今月のことばは、『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(文春文庫)より渡辺京二さんのことばをいただいています。

  人間というものは
  生んで頂いた以上、
  生まれてきた以上、
  生き通す責任があります。

  人間がいなければ
  美しく咲いている花も
  美しいと見る者がいないじゃないか。

  自然が
  自分自身を認識して
  感動するために
  人間を作り出したのだ。

  自分が生きていくということ
  これが一番大事で
  何故そうなのかというと
  この宇宙
  この自然が
  あなた方に「生きなさい」と
  命じているからです。

  この世の中に
  存在意義がない人間なんか
  一人もいない

  人類誕生以来
  どれだけの人間が
  生まれて来たと思う?
  全く同じ人間が
  一人もいないというのは
  これはすごい事実です。
  それが個性です。
  個というもの
  自分というものです。

  最初から
  自己は実現しているのだから
  その自分に沿って生きていく。
  それでいいのです。

  自分からまず出発する。
  自分をどうするか考える。
  自分をどうするかと考えると
  そこではじめて他者が出てくる。
  つまりそれが
  社会のために役立つということにつながる。

本堂に座って 2015年2月

テーマ:本堂に座って 【若院】

syukoji_09090904.jpg
インターネットで様々な情報に触れていると、時々「おっ!」と思うものに出会うことがあります。
少し前に【僕らがやめるべき7つのこと】という書き込みを読みました。
ここには「給料を増やす方法を考えるより、出費を減らす方法を考える」ことを軸として、7つのことが挙げられています。
 1.都会暮らしをやめる 2.一人暮らしをやめる 3.外食をやめる
 4.浪費をやめる    5.所有をやめる    6.依存をやめる
 7.便利をやめる
それぞれの生活の中ですぐにできないことも多々ありますが、この中からいくつか具体的な内容を紹介したいと思います。

4.浪費をやめる
浪費をやめることについては、外食をやめることやその他にも繋がります。
これは、地方での暮らしというよりも、旅での暮らし、農家での暮らしの中で学んだ部分が多い。
都市にいた時は、エネルギーや資源を相当無駄にしてしまっていました。
これは、都市という環境もそうさせているのかもしれません。
夏に一度、夜横浜に帰省した時、その街の明るさに驚きました。これはヒドい…。
浪費は、電気や水道、使い捨てのものやお金、全てにおいてです。自転車旅の中では、所有することに限りが出てくるので、 常に "足りない" ギリギリの生活を続けます。
1Lの水、10分間のコンセントの電気によって、命が繋がるような経験を繰り返します。
自然と共存する環境にいると、植物や動物においても、自然と考えるようになります。これはいる場所・環境によるものが強いのだと思いますが、感覚の変化を僕は感じました。
浪費は地球を破壊する。浪費は人間を破壊する。
生むのは、経済ベースにおけるお金とカンフル剤の様に打ち込むその場の満足感だけか…。
どれだけ有限の資源を無限だと勘違いしていたか。どれだけ欲任せの生活をしていたのか…反省の日々がありました。
5.所有をやめる
人間、生きている限りモノを持って暮らすのが常。ただ、モノが溢れている世の中があるのもまた一方。
必要以上を持たない暮らしを心がけることで、"浪費をやめる" にも繋がりますが、必要以上の無駄な出費は削減できます。
感覚的なイメージだと、物を買えば・持てば、そのぶんそれ以上の物を買わなくなる・持たなくなる…と思いがちですが、むしろその逆で、物を持たない暮らしを心がければ、増えることはなくなっていきます。
元々アパレル出身なので、所有をする人生でした。今でもとても履ききれない靴や服が実家には溢れていますが、それがなくても健康的に、幸せに暮らせている日常がここにあります。
価値観を見直すタイミングなのかもしれません。
以前読んだ心理学の本でも、「クローゼットがあるから、物を増やしてしまう。」という深層心理の一節がありました。
単純にコレクションを始めてしまう…という感覚もあると思いますが、スペースを埋めようとする心理もあるそうですね。
習慣や環境によって、行動や選択は大きく変化していきます。浪費集団・浪費環境にいるときには、なかなか気付けないことです。
考え方・価値観を変えていくと、欲や生き方そのものも変わっていきます。 "無理をしている" 感覚ではなく、 "心から" モノを持たない生活を望む日が来るかもしれません。
"貧困" という表題のベクトルで考えると、とても健康的な感覚だと思います。
(「日本にいながら、月3万円で暮らす方法。【やめるべき7つのこと】佐藤翔平さんのブログより引用させていただきました。)

モノが「十分にある」環境で過ごすことで、返って必要以上に使ってしまったり、モノを「持っている」ことで、返ってモノを増やしてしまったり…
佐藤さんは自らの経験から「感覚・価値観」を見直していかれたことがわかります。
まったく同じ経験をすることは難しいですが、大事な指摘と受けとめていきたいところです。
こうして「浪費・所有をやめる」、と書くと、「ぜひ実現して!!」という声がごく身近なところから聞こえてきそうですが…(恐)

今日も快晴!?2015年2月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
syukoji_09090905.jpg

また今年も3.11が近づいてきました。
衝撃的だった津波の映像、地震後の原発事故。
(何かしなければ!)という震えるような気持ちも、時を重ねる内にふと忘れかけている自分がいます。
そんな昨年の秋に、かさこ監督の「シロウオ~原発立地を断念させた町~」というドキュメンタリー映画を観に行きました。
事前の情報があまり無いまま出掛けたのですが、映画に出演している地元の漁師さん、農家の方、民宿の方たちの言葉が本当に素晴らしかったのです。
「先祖から受け継いだこの土地や海を守らないといけない。子どもや孫等にこの豊かな自然を残さないといけない」、
「原発が来たら道が広がるとか色々言ってくれたけどね。道が広がっても人が住めなんだらしょうがないけんね」、
「原発が来たら、沢山のお金をくれるから、町が豊かになるとか、僕らにも色々な誘惑が来たわけですよ。どれだけお金をもらってもね、やっぱし毎日こつこつ、こつこつ働いて、稼いでお金を儲けたお金がよっぽどありがたい」等々。
その土地で暮らす人たちの生活に根ざした確かな言葉があり、自分たちの故郷、自然、家族、仕事、地域・・・、つまりは命そのものを守りたいというメッセージがありました。
かさこ監督はこの映画が初監督作品だそうですが、元々は原発に反対していたわけではなかったそうです。
お住まいのある横浜は電力の3割を原発に頼っていて、
「危険かもしれないけれど、仕方が無いと思っていた。しかし、原発が止まってからも、特に何の変化もなかった。それなら、何も危険な原発を動かす必要はないんじゃないか…」と思われたそうです。
監督の言われる原発事故の怖さは、『目に見えない怖さ』…福島で、危険地帯に取材に入ったときも、線量計で測らなかったら放射能汚染がひどいかどうかは全く分からない。
気分も悪くならないし、頭痛も鼻血も出なかった。
そして、『風評被害はつきものという怖さ』…どんなに安全だと言われても、原発事故や放射能はブランドイメージを傷つけかねない。
自分たちの住む豊田市は浜岡原発から100km。
事故が起これば、ここで製造されているものも必ず放射能汚染の影響は受けるだろうなぁと思えました。
この映画のテーマは「自立」だそうです。
「原発にすがって生きて行かざるを得ない人たちがいて、原発立地の住民たちが原発に賛成している。そこから脱却しないといけない。『経済を何とかしろ』と国民が政府に言うので、短絡的に原発などに頼る。
しかし、それは一時のカンフル剤のようなもので、打ち続けないといけない麻薬のようなものだ。
たとえば、事故が起きた場合、原発立地が事故の影響を受けた地域に補償金を払うような仕組みにしないと、今は原発が来たらお金をもらえて、事故が起きたら国が全部賠償して…という仕組みになっている。」ということですが、おかしな話です。
また、監督が言われる「反対派の人が熱くなればなるほど、周りの人が冷めて行く。そこをどう折り合いを付けるか、周りを巻き込むかが課題…」というのは、本当にそうだと思いました。
特別な何かをするわけではなく、「普通の人が当たり前のことを言っている」感覚を大切に過ごそう。
少なくとも、4年前にあの映像を見た時の気持ちを忘れずに。保養で出会った友人家族の住む福島を大切に・・・。

アーカイブ

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

ホームページ

このブログの読者

読者になる
読者数:2人