清風 2015年4月

テーマ:清風 【住職】

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ドイツには、ナチスの時代、ホロ・コースト(ユダヤ人大虐殺)の時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれました。
どうして可能だったのか?
一つは、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう。
さらに当時の大きなプロセスの一つとして、独仏の和解があります。和解は今では友情に発展しています。
しかし、隣国フランスの寛容なる振る舞いがなかったら可能ではなかったでしょう。(中略)
アジア地域に存在する国境問題についても、あらゆる試みを重ねて平和的な解決を模索しなければならない。  
メルケル・ドイツ首相(3月9日来日)講演から

「ドイツは過去ときちんと向き合ったから、国際社会で受け入れられた。」
ドイツの首相からあらためての、日本人に対する重いメッセージである。
私はこのことばを聞くと、これもあらためてであるが、戦後中国の示した寛容な姿勢に日本政府はどう応えてきたか、人間としての宿題を果していないと忸怩たる気分を持たざるを得ないのであるが。
それは、私ども年寄りも含めて、戦後の日本が1945年から1972年までに受けた中国からの破格と言うべき厚意についてである。
蒋介石総統の行った1945年8月15日の「抗戦勝利に際しての蒋介石主席の演説」の一部を紹介する。

われわれは一貫して、正義に背いて戦いを始めた日本軍閥を敵とし、
日本人民を敵としないと声明してきた。しかし、われわれは決して報復を
企図してはならない。ことに敵国の無辜の人民に侮辱を加えてはならない。

この声明の精神により、
○中国に残された日本軍の捕虜を早急に本国へ帰し、「報復を企図」しないという約束が実行された。
○日本は、中国(台湾政権 国民党政権)と、1952年に日華平和条約を締結した。
その条約の「附属議定書」によって、中華民国が賠償を請求しないと宣言。
この国民党政権の賠償請求の放棄は、1972年の中国との日中平和条約の締結にあたっても引き継がれた。

中国が日本に賠償を請求しないということは、その後の日本の復興にとって破格の厚意であったといえよう。

「和讃」に聞く 2015年4月

テーマ:[和讃」に聞く


弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり
盲…道理がわからないこと  冥…闇黒の世界、希望が持てないこと

先月から、「和讃に聞く」というテーマを掲げました。
先月号では、いきなり「法蔵菩薩が師・世自在王仏に出会われ、阿弥陀如来と成られた(成仏)事を考えたいと思います。」と書き始めたのですが、少々補足させていただきます。
最初に「浄土和讃」のよく知られた、冒頭の「弥陀成仏のこのかたは」に始まる4行からなる詩を紹介しておきました。
この詩の直接の説明からは外れることになるかもしれませんが、先月の冒頭で紹介した「蟪蛄(けいこ)春秋を識らず。
伊虫あに朱陽の節を知らんや。」とも関係しますので、少しその事についても記すことにします。
その事というのは、宗教と言えば「救済とか助かること」とするのが常識ではないかと思われます。
そしてまた「救済とか助かる」と言うことについても、それは一言で言うなら「私の希望通りになること、願ったようになる事」と了解されていると言えます。
しかし仏教では、この実人生は娑婆(しゃば)、つまり「雑会」と訳されているように「雑多なことに出会う処」と教えています。
雑多というわけですから、自分の思いに適わないことにも出会っていかねばならないということでしょう。
その意味で、人間は苦悩する者、つまり自分を問題にする者、本当の自分に出遇うことを要求している者、古来の言葉で言えば道を求めているものと仏教は見出したのです。
紀元前5世紀にインドで王家に生まれた釈尊に限らず、つまり、いつか・どこかに・誰として生まれたとしても、人間である限りは同じ課題を持って生まれてきているということを見出したのが『仏説無量寿経』が説かれねばならない理由(釈尊の出世の本懐)であったのです。
人は、人間とも書き表すように、関係存在として苦悩する者、他の動物には見られない普遍的(誰にも共通している)課題を内に抱えた者が法蔵菩薩として登場し、その求道の方向とその内容を成就した成就者・阿弥陀仏の本願が『仏説無量寿経』によって伝えられてきました。

お庫裡から 2015年4月

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春が近づいてくると、草達が元気に顔を出し、家の中にいるよりも外の方が暖かいという日もあって、ついつい外に出て行く日が多くなります。
鳥の囀りを聞きながらの外仕事、草と話したり、鳥と話したり、何と贅沢で幸せな事かと喜んで仕事をしていたのも束の間。
草取りでも庭仕事でも、やればやる程に、やっていない所が見えてくるという不思議。
やり始めると、どんどん手を延ばし、これでよしという事も無い。
「あー、やれやれ」と1ヶ所納得する所を終えると、やっていない他所が苦になる。それに今年は一週間おきに、永代経、結婚式、筍コンサートと行事が続きます。
何か大きなミスをしてしまいそうで、カレンダーの裏に大きく私のスケジュール表を作りました。
予定を書き入れ、準備事項を書き入れ、気付いた事を書き込み、1つひとつチェックして、一日一日を過ごしてきました。
いよいよ行事が近づいてきました。
ほぼ予定通り動いているのに、草は伸びるし落葉は舞う。やれていない事が頭をよぎり、気持ちがどんどんあせり始めています。
きっと身体も疲れているからなのでしょう。
特に外仕事をやって家に入ると、他の家族がのんびりしているように見えて、腹が立ってきます。
家族は決してのんびりしている訳ではなく、各々の役割を果しているのですが、ゆとりの無くなっている私には、それがなかなか見えてこないのです。
ああ、“雑毒の善”とは、これの事だなぁ。
(自分はいい事をしている。私ばっかりがこんなにえらい目をして、こんなに仕事をこなしているのに。ヨレヨレになっているこの尚子様が目に入らぬかー!)
働けるのも、元気でおらせてもらえるからなのに、やっぱり私の根性には毒が混じっておりました。

今月の掲示板 2015年4月

テーマ:今月の掲示板

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  丈夫で長生きして何をするのか。
  私が私の人生の責任者です。
  生涯かかって自分を知ろう。

  自己は生まれた途端に実現されている。
  最初から自己は実現されていた。(渡辺京二)

  人生はいろいろな苦しみに満ちています。
  その苦しみは、
  「我」ということから発しています。(渡辺京二)

  急ぐというところには
  どこか間違いがある。(西田幾多郎)

  幸福とは、
  欲しいものを手に入れることではなく
  自分の持っているもので満足することなのです。(米沢ふみよ)

  悩むということは
  価値判断すると無駄なことと思うから
  受けとめられない。
  自分にあわなければ
  どんな人生であっても
  空しく終わらせてしまう。
  しかし悩むということは
  深い自分にあいたいという
  人間にしか起こらない
  自己の内奥からの信号です。

  人間は
  自己の実機にふれて
  はじめて安んずることができるが、
  それ自体が如来のハタラキによる。
  分別の固執を離れねば
  実機にふれることはできない。

  ほめられても増えもせず
  そしられても減りもせず
  すでに
  南無阿弥陀仏として与えられている。
  そこに私を立てる。

本堂に座って 2015年4月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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この3月に長男が小学校を卒業しました。
6年間、あっという間だったなぁという思いと同時に、これから始まる中学校生活はどんな感じになるんだろう、と本人でもないのに気になったりそわそわしたりしてしまいます…。
あらためて、小沢牧子さんの「子離れ」についてのお話を読み返してみました。

「子どもも中学生になったし、そろそろ子離れしなくては」などという親の言葉を耳にする。
この言葉が、わたしはずっと気にかかっている。
子が親から、ではなく、親が子から離れるということが、なぜか課題になったり問題になったりしているのだ。
それは動物植物の世界にはない現象だ。
おそらく人間、それも現代の豊かな社会に生きる人間の、あたらしい問題であるにちがいない。
動植物の世界に、「子離れ問題」は存在しない。
親が子を離す、その一方向だけがあるからだ。
子どもから離れがたくて、子のあとを追いかける親はいない。
親から離れようとする子犬を「待て待て」と追いかける親犬や、巣立ちをめざす雛鳥を「行かないで」と抱え込む親鳥をイメージすることはできない。
親子の縁は、ささやかないっときだ。
私たち人間も、社会が豊かでなかったころは、生き延び生き継いでいくために、誰もが働いた。
男も女も、少し大きな子どもも。
米や野菜を作り、魚や海草をとり、わたしの親たちの場合は動物を育てて売った。
小さな子どもたちもそれなりに仕事の手助けを期待され、一人前の労働が待たれた。
若い母親たちは、まさに働きざかりの年齢にあって、生産労働の要を担う。
子どもとゆっくりしている暇、つまり休んでいる暇など、なかなか見つからない。
赤ん坊や幼児の世話は、年寄りや大きい子どもの役目だ。
そう、「子育て」という言葉もなかったはずだ。
あったのは、「子守り」と「世話」。さっぱりしたものだ。
飢えにおびやかされる暮らしを考えるなら、この社会はもちろん恵まれている。
半世紀前には、若い親たちは労働に追われ、子どもの可愛さを満喫できるゆとりなど、考えられないものだった。
さらに昨今は、子どもは成り行きでつぎつぎに生まれてくるものではなく、計画的に「つくる」ものとなって久しい。
そうなると子どもは親から、十分に楽しませ満足させて欲しいと期待される。
子どもは、その期待にせいいっぱい応えようとする。数少ないわが子。
親は、かけがえのない宝としての子どもを手放したくはない。いつまでも自分の手元に置きたい。
こうして、「子離れ」というあらたな話題が、この豊かな社会にあらわれた。
しかし子どももまた、生きものだ。
親から離れ、仲間を探し、世界をひろげようとする。
子ども・若者の“可能性”の発見は、おとなたちにも喜びや勇気をくれる。
親離れは本来、希望そのものだ。
しかしいま、経済的物質的な豊かさのなかで、子どもの世話という家事が「子育て」という仕事に「昇格」した。
ていねいな世話、ふんだんな会話。それはある意味で幸せなことだ。
でも、親の関心が、作物の出来から子どもの出来へと移り、「子育て」が仕事化すると、子どもは親の所有物であるとの感覚が生じる。
「子離れ」問題とはおそらく、この所有感覚とたたかうことなのだろう。
またそれは、母親であることを仕事と考える女性にとっての「失業問題」なのだろう。
「子離れ」問題は、社会の物質的豊かさのツケだと言ってしまえば、それまでだ。
でも、せっかく生まれてきた子どもたちと少しでもおもしろく生きていきたい。
「子離れ」というふしぎな言葉を返上するために、わたしたちが向きあうべき課題は多い。
(『子どもの場所から』小沢牧子著 小澤昔ばなし研究所発行
 「子離れとは何か」より引用させていただきました。)

学校での様子、成績、習い事、進路などなど、親としては気掛かりなことが多く、夫婦間での話題も「どうなって欲しいか」「ここはこのままでは困る」…と、本人のいないところで、どんどん白熱してしまいます。
子どもたちの様子を気にかける・見守ることは大事なことですが、知らず知らずのうちに行き過ぎて、親の都合で子どもを「縛って」しまっているのかもしれません。

今日も快晴!?2015年4月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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3月10日の読みきかせ会は、丁度東日本大震災から4年目を迎える日の一日前に当たり、「何か被災地に心を寄せる日にしたいね」と、若院やお寺を会場にして「朝市」を主催しているグリーンママンのメンバーと相談し、「被災地に思いを寄せる集い」を企画しました。
せっかくなので、お寺だからこそ、お寺ならではの形で・・・と考え、本堂で皆で正信偈のお勤めをすることにしました。
読み聞かせ会に足を運ぶ若いママ達は、きっと正信偈を初めて耳にする方や馴染みの無い方、本堂に座って手を合わせることもあまりない方がほとんどだとは思いますが、子どもたちも一緒に、皆で声を合わせてお勤めをする様子は、本当に感動的でした。
今年は、たまたま沢山の古い油を頂いたので、お寺で活動している育児サークル「寺っ子クラブ」の有志でキャンドルを手作りし、お勤めの最中にお焼香代わりにキャンドルに火を灯すことにしました。
当日も、寺っ子クラブの有志が受付やキャンドルの近くのお当番を引き受けてくれたので、万が一の火事や事故の心配も無く無事に勤めることが出来ました。
石巻の復興支援ミサンガの販売もありました。
参加費を募って計算したところ、40名近くの方が参加して下さったようでした。
中には、「お勤めには参加出来ないけれど、カンパだけでも・・・」と置いていって下さった方もあり、被災地に心を寄せて下さっている方が大勢いらっしゃることを感じました。
最終的には12,600円という金額を「福島のみんな!遊びにおいでんプロジェクト」にカンパすることができました。
こちらの活動は、放射能の影響を避けるため、被災地にお住まいのご家族に放射能の影響の少ない愛知県に保養に来てもらうという活動です。
この三月末に、豊田市やその周辺に福島の何家族かをお招きしています。
引き続き、グリーンママンのメンバーの企画で、広島の原爆を生き抜き、今は被災地に桜を植える活動のため、度々被災地を訪れている黒田さんという方の話を伺いました。
「まだまだ放射能の影響はあちこちに見られるので、『食べて応援』など考えてはいけない」というお話に、
被災地の現実を突きつけられた気がしました。
実家が東北にある友人は、この集いに参加し、耳を塞ぎたくなる様な故郷の現状を聞くことになってしまいました。
友人は、「孫の帰省を楽しみにしているじいちゃん、ばあちゃんに『放射能が怖いから行けない』とは言えないし、畑で作ってくれた野菜や米を子どもたちに『食べるな』とは言えない。
『自然の中でいっぱい遊べ』と帰省するたびに沢山外遊びをさせてもらっているのに、今更『遊んではいけない』とは言えない・・・」と涙を流していました。
心が引き裂かれる思いだったに違いありません。
故郷の豊かな自然の恵みを存分に受け取ってきた人たちに、どうしてこんな辛い選択を迫らないといけないのか・・・。
自然災害の爪痕は、悲しいけれど時間と共に回復してゆきます。
しかし、放射能はまた別の次元の問題です。
「(ショックな内容だったけれど)でも、この話を聞くことが出来て良かった」と言ってくれた友人を支えてゆきたいと思うと共に、本当に人間は自分たちではどうにもコントロールできないものを作り出してしまったと、改めて原発の恐ろしさを感じました。

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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