清風 2015年5月

テーマ:清風 【住職】

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あの戦争が終り、やっと平和な世界になると誰もが夢見たのは、やはり夢だったのでしょうか。  
星野富弘(24歳の時、体育教師として指導中に頸髄損傷。首から下の運動機能を失う)

先月号で最後に、第2次世界大戦終了後、中国が我が国に対して賠償請求権を放棄し、請求しないと表明したことは破格の厚意と言えよう、と記しました。
中国の賠償請求権の放棄についてですが、我が国は(清王朝末期の)中国と明治27(1894)年~28(1895)年に朝鮮の支配を巡って戦争をしました(明治27年8月11日宣戦布告)。我が国は、海軍が黄海で北洋艦隊を破り、陸軍は平壌の戦いで勝利し(明治28年4月17日講和条約締結)、清国から賠償金2億両(テール)―清の2年分、日本の3年分の予算に当たる額―を獲得し、その上遼東半島・台湾等を割譲した。
この度のアジア太平洋戦争ではどうであったか。我が国は中国に宣戦布告なしに(侵略し)、我が国の軍隊は15年間中国本土を戦場としたのである。軍人・ゲリラ321万人、一般市民1000万人以上、計1321万人を殺した。日清戦争の時のように賠償金を請求されたら、一体どれくらいになったのか。なにしろ15年間中国本土において1321万人を殺し、財産を奪い、家屋などを焼き尽くしたのである。一説には、日本の予算の50年分に相当するとも言われている。
当時(1945年)我が国は、主な工業地帯の工場はすべて空襲で焼かれ、満州・韓国・中国等、アジア各国からの引き揚げ者で国民すべてがその日の食料確保に追われていた。その上、賠償を中国から請求されたら、日本の復興はスムーズにできたであろうか。そうした我が国の状況の中での、賠償請求権放棄なのであった。
「過ちてはすなわち、あやまるにはばかるなかれ」という格言もあるように、それには先ず、あやまちの内容を知らねばならない。しかし、これまで我が国の政府(文部科学省)は、国民にどれだけ戦争の真相を、ことに我が国が隣国、韓国・中国等、アジア各国に対して何をしてきたのか、ほとんど教えてはこなかったのである。「自虐史観」と侮蔑して、我が国のしてきたことを、十分に教科書などで教えてきていないのが実情である。我が国のアジア蔑視の体質は変わっていないということであろう。ヨーロッパ諸国に対しては、我が国(国民)はこういう態度をとらない(できない?)のではあるまいか。     
一体、事実を知らなくして、どうして素直に謝ることができるであろう。
我が国はアジアに今も本当の友を持っていないといわれている。謝ることが何故自虐なのであろう。それは5歳児のわがままか、破廉恥というものではないか。人間は過ちを犯すものである。過ちが過ちと分かったら詫びる、それは成人した人間の当然の行動と言える。メルケル首相は我が国に来訪し、ドイツはその当然のことをしてきたと安倍首相に伝えに来たのである。日本は、言葉の本来の意味で東北アジアのリーダーになる責務があるし、その責務を自覚すべきであると。
ドイツは、かつて侵略したポーランド・フランスと共同で歴史の教科書などを作り、共通理解を進める努力をしてきたという。翻って我が国はどうか。それすら国レベルではできていないのではなかろうか。民間では、共同研究の成果が発表されているが。(『新しい東アジアの近現代史―国際関係の変動で読む 未来をひらく歴史―』編集 日中韓3国共同歴史編纂委員会 上・下 2012年9月20日 日本評論社刊 上下2500円(税別))
アジアの隣人は、我々日本の動向をどのような視線で見ているのか。最近亡くなったマレーシアの親日家と言われたマハティール前首相の言葉を紹介する。
「教科書で(侵略、残虐行為を軽く扱うという)そういう記述の仕方をすれば(日本が)多くの人を殺し、多くの残虐行為について責任があるということを、日本人が理解しなくなる。その結果、再び戦争に走るということがあるかもしれない。それは、日本の近隣諸国の国民に非常な害をもたらす。日本の新しい世代が、戦争を素晴らしいものと考えて育つことを我々は望まない。」
願わくば、安倍首相はイスラエルの国立ホロコースト記念館で行った(2015年1月20日)次のスピーチを、南京抗日戦争記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館)にて行うべきではなかったか。「特定の民族を差別し、憎悪の対象とすることが人間をどれほど残酷にするのか、そのことを学ぶことができました。」と。
「いや、これから行く」というのであれば結構なことです。私ども日本人は、今、何を課題とすべきか退一歩して考える時なのであろう。我々にとって本当の力とは何を意味するのかと。経済力や武力だけが、本当に究極の力なのかと。我々は70年前に、それらの力が破綻したのを経験したのではなかったのか。

よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを
善悪の文字しりがおは おおそらごとのかたちなり

是非しらず邪正もわかぬ このみなり
小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり         親鸞


(「和讃に聞く」は、今月は休載しました。来月から再開します。)

 

お庫裡から 2015年5月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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いつ頃から5月の第2日曜が母の日と言われるようになったのか、また、母のいる人は赤いカーネーション、ない人は白とどうして決めたのか、私は知りません。
5月の母の日が来ると、私は68回目の母の日を赤いカーネーションで迎えることになります。
母は大正13年生まれ。女学校を出て間もない頃、「お客さんがみえたので、お茶を持っていって」とお茶を運んだら、それが本人の知らぬお見合いで、相手と顔を合わすことなく、言葉ひとつ交わすでなく、ただその頃の花形の相手が軍人であるということと、東京へ行けるということで、昭和17年9歳歳の離れた父と結婚したのでした。
(勿論、それだけでなく、母から言えば母方の祖父の「○○の息子なら、両手両足を挙げて賛成じゃ」という後押しもあったからでしょう。)
そんな結婚も、2人は仲が良く、戦後の苦難の中、私たち姉弟3人を立派に育て上げてくれました。
母は、乙羽信子に似たまる顔で、母と私たち姉妹が一緒にいると「まー、若くてきれいなお母さん、まるで3姉妹のようで」と言われるのが決まりで、私たち姉妹はいつも母の引き立て役でありました。
人が好くて働き者の母も、父を見送り、私の孫達の成長を楽しみにしていてくれたのですが、87歳くらいから認知が進み、今年から施設に入所しています。
先日、顔を見に行ってきました。
たくさんの老人の方と大きなホールに車椅子に乗せられておりましたが、その中でも母は一番老化が進んでいるように見受けられました。
車椅子も寝姿に近く、目を固く閉じて自分で開くことはありませんでした。
何か話しかけても、返事なのかうなり声なのか。
そんな母の手をさすりながら生んで頂いたこと、育ててもらえたこと、ありがとうと言いました。
母は少し痩せていましたが、相変わらず丸いシミ1つないきれいな顔をしていました。
赤いカーネーションは、あと何回胸に飾ることができるのかと思って施設を後にしました。

今月の掲示板 2015年5月

テーマ:今月の掲示板

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   聞光
  なるほどそうかと頷ける
  この喜びがあるので
  この世のいのち終えるまで
  私は
  聞かしてもらう

  
   無明
  名利の山は
  わが身忘れて登る
  登れば登るほど
  金や名誉のほかは
  なんにも見えなくなる


   生きる
  喜びのとき
  悲しみのとき
  感動のとき
  
  その一瞬のときの連続
  それが生きるということか


   呟き
  自分というものに
  光をあてる
  お知らせいただく
  そのほかに
  宗教というものが
  あろうか


   光
  ひと それぞれ
  気が強かろうが
  弱かろうが
  光に遇えば
  青色青光
  白色白光


   問題
  本願が信じられず
  自分を投げ出させない
  悲しいかな
  問題は
  ただ それだけ


   いのちの歌
    作詞:Miyabi

  生きていくことの意味
  問いかけるそのたびに
  胸をよぎるいとしい
  人々との暖かさ

  この星の片すみで
  めぐり会えた奇跡は
  どんな宝石よりも
  大切な宝物

  泣きたい 日もある
  絶望に なげく日も
  そんな時 そばにいて
  より添うあなたの影

  二人で歌えば
  懐しくよみがえる
  ふるさとの 夕焼の
  やさしい あのぬくもり

  本当に大事なものは
  かくれて見えない
  ささやかすぎる
  日々の中に
  かけがえない
  喜びがある

  いつかは 誰でも
  この星に さよならを
  するときが 来るけれど
  いのちは 継がれてゆく

  生まれてきたこと
  育ててもらえたこと
  出会ったこと
  笑ったこと
  そのすべてに
  ありがとう
  このいのちに
  ありがとう

本堂に座って 2015年5月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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この6月に、岡崎教務所での研修会に安冨歩先生が来られることが決まりました。
安冨先生と言えば、以前にこの欄で『生きる技法』という本から何度も引用させていただきました
(今読み返しても、とても良い本だと思います。読んだことのない方は、ぜひ読んでみてください)。
あらためて先生の紹介を兼ねて、最近掲載されたインタビュー記事から、先生の子育て論について引用させていただきます。

―子どもを先生のように立派な人物に育てたいというお母さんは多いと思います。
先生が考える、正しい子育て法とは?

「私は京都大学を卒業して、現在は東京大学で教授をしています。絵に描いたような“エリート街道”ですよね(笑)。今の日本では、子どもをいい大学に入れることが『正しい教育』とされているので、母は地元では素晴らしい教育をした人として尊敬されています。
でも、ここがとても大事なんですが、たとえ一流といわれる大学を卒業して尊敬されるような仕事に就いたとしても、そのことと幸せであることには、なんの関係もないんですよ」

―学歴やキャリアがあっても幸せになれないということですか?

「『学歴・キャリア』=『幸せ』ではないということですね。私自身、大学入試に合格し博士号をとり、東大教授になりましたが、どの試験に合格しても“ああ、やれやれ”と思うだけで、うれしくもなんともなかった。
毎回、立てた目標に“これに失敗したら死ぬ”というくらい必死で臨み、達成してホッとすることの繰り返しでした。
そんな人生が幸せだと思いますか?実際、何にも喜びを感じていない自分に気がついたときは自分でも驚きました。
それが10年くらい前のことですね。そのことに気づいてからは、いろんなことを少しづつ喜べるようになりました。
(中略)子どもを本当に愛しているのなら、いい大学=いい人生という誤った固定観念を捨てることから初めてください」

「『論語』によると、生まれて3年間、無条件の愛を親から注がれて初めて、その子どもは親を愛する(『孝』と言います)ようになる、と書かれています。
さらに、社会とは規則やルールによって秩序が生まれるのではなく、そうして育ったまっとうな人間の存在(『仁』)が、周囲に影響を与えて変えていくものだとも。
“仁”の人、つまりその人がいるだけで周りの人たちが安心できるような真に強い人が存在すること、また、それぞれの人が持っている“仁”という側面が社会を安定させていくのだそうです」

――社会をよくするのは1人1人、と。

「ええ。だから子どもたちが抑圧なくまっとうに育つことがとても重要!親はただ、子どもがやりたいことを支援するだけでいいんです。
心配して先回りするのではなく、必要なときに助ける。そうするだけでお互いの負担はすごく軽くなります。
お母さんが変われば子どもも変わります。そして子どもが変わることで日本の未来が変わっていく。これからの日本の運命はお母さんにかかっているんですよ!」
(『女性自身』の記事「安冨歩の子育て論」より抜粋して引用させていただきました。)

 上の子が中学生になって、少しずつ「受験」が夫婦の話題に挙がる機会が増えてきました。
今のところは、本人のいないところで「あーだ、こーだ」言っているのですが、他でもない自分自身が「都合」や「固定観念」に縛られていることに気づくきっかけを、安冨先生のお話からいただけると思います。

今日も快晴!?2015年5月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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いよいよ新学期がスタートしました。
長男は高橋中学校の一年生。
ぶかぶかの学ランを着て、少し遠くなった通学路を、仲良しのお友達と一緒に楽しそうに通っています。
次男は寺部小学校の5年生。
楽しみにしていた部活も始まり、今まではお兄ちゃんにお任せだった通学団の班長や委員会など色々な仕事が回ってきて、(天然キャラの次男も、これで少し成長するかな?)と、こちらも楽しみに眺めています。
娘は2年生。
新しく転任してこられた先生のクラスになり、ドキドキの新学年です。
そんな新学期の2週目の水曜の明け方に、娘が「ゲーが出そう!」とトイレに飛び込みました。
初日は吐き気だけだったので、(春休みは、永代経に妹の結婚式に筍コンサートと大忙しだったから、疲れが出たのかな?)と軽く考え、皆勤賞が気になる娘と担任の先生と相談し、「とにかく一時間だけでも・・・」と、5時間目だけ車で送迎し、私も廊下で一時間待機して授業に参加させました。
ところが、翌日は朝から38.4度の熱が出て、これではとても無理だと諦めもつき、小児科から「胃腸風邪」とのお墨付きをもらって療養生活となりました。
翌日も吐き気は収まらず、行けたら良いなと思っていた土曜日の授業参観もお休み。
日曜も一日ベッドの上で過ごすことになりました。
しっかり者で、お兄ちゃんたちと対等に喧嘩してばかりの娘ですが、弱ったところをしげしげと観察すると、泣きもせず、荒れもせず、気分が悪ければ一人で立ってトイレに行き、一人で便器を抱えて、済んだらまた自分ベッドまで戻り、あとはぐったり洗面器を抱えて寝ていました。
(この苦しさは、誰にも変わってもらえない。自分が引き受けてゆくべきものである)と悟っているかのようで、じっと黙って苦しさに耐える様子は本当に健気でした。
どうにも動けない時は洗面器を使いましたが、一度も失敗すること無く、最小限に被害を食い止めながら病状をやり過ごそうとしているようでした。
普段は元気いっぱいで、「在ちゃんはスイッチ入り放し」と、去年の担任の先生の言葉はまさに言い得て妙。
周囲から期待されれば、その期待に応えようと精一杯頑張ってしまう娘は、妹の結婚式では1度の練習で「男蝶女蝶」の大役をこなし、筍コンサートでは、大人のスタッフに囲まれてお茶出しを頑張り、新学期が始まってからは、転任してこられた新しい担任の先生の前でさぞかし緊張していたことでしょう。
末っ子で負けず嫌いの娘は、何をさせても「出来る」ことが当たり前だと思っていましたが、きっと本人的にはかなり頑張っていたことも多かったのだと、改めて気づきました。
同性であり、よく似ているだけに素直に娘を褒めづらいところはあったのですが、この5日間の娘は本当によく出来た娘でした。
(生意気なところばかり目に付いたけれど、この子は可愛い子だったんだなぁ)と素直に思えました。
月曜日からは、娘は再びパワー全開で登校しています。
そして、数日経って旦那さんから明かされた真実。
娘のダウン中、私が買い物に出るときに「何か欲しいものある?買ってこようか?」と声を掛けたところ、私の姿が見えなくなった途端に娘がぼそっと「お母さん、こういうときだけ優しいんだよね~」と言ったそうな。
・・・やっぱり可愛くない・・・。

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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