清風 2015年6月

テーマ:清風 【住職】

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地上に天国を実現するという試みは、いつも地獄を生んだのである。
カール・ポパー(1902-1994)
ウィーン生まれの思想家。主著『開かれた社会とその敵』
1992年、京都賞受賞。

ドイツ :アーリア民族の平穏のために、ユダヤ人大虐殺。
日本 :東洋平和のために、王道楽土建設という名目で中国・朝鮮を中心に
      アジアへ侵略。特に朝鮮は植民地とし、中国は1931年~1945
      年までの15年間、日本軍が戦場化した。
ソビエト:社会主義国家建設、国全体が監獄化。
      『煉獄の中で(上下)』ソルジェニーツィン著

ドイツ・日本・ソビエトそれぞれが地上に天国を実現しようという大義を掲げて仕掛けたことは、だいたい上記のように要約されるのではないか。
さて、これからの日本の場合である。
例えば、なぜ「君が代」が国歌なのか。
儀式において歌うか・歌わないかが、なぜ問題となるのか。
また、なぜ歌いたくない人がいるのか。そういう背景は、全然触れられたり解説されることはない。
先月号で、シンガポールのマハティール首相の言葉を紹介したが、なぜ中国・韓国からいろいろと抗議を受けるのか、改めて考えてみなければならないのではなかろうか。
我が国が20世紀にアジア(中国・朝鮮)でしてきたことを、知らない・知ろうともしないということが、「積極的平和主義」とか「切れ目なき安保体制」という中性的言語で語られてくる今の状況を、またぞろ作り出しているのだから。
政府も「これから、軍隊は戦争で人を殺します。文部科学省は敵の人を殺しても弱音を吐かないような教育をします。
皆さん国民は仲良く平和で暮らせますから安心して国が行う戦争政策を支持してください。」と言って戦争の準備はしないであろう。
外務省は、日本の外交政策を世界に訴えていく部署のはずである。
今、日本の外交政策は、ただ戦争をすると言うだけで他に策を持っていないのではなかろうか。
我が国はこの70年間、戦死者を1人も出していない。また、戦争で殺した人もいない。これはなぜなのであろうか。

「和讃」に聞く 2015年6月

テーマ:[和讃」に聞く



弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり
盲…道理がわからないこと  冥…闇黒の世界、希望が持てないこと

この欄の巻頭には「法身(ダルマ・法)の光輪きわもなく、世の盲冥をてらすなり」の言葉が掲載されています。
釈尊が開かれたお覚りは、いつでも・どこでも・だれにでも開かれているのだというのが「きわもなく」と言われている意味です。
「きわ」とは「際」ということです。
釈尊のお覚りの内容は誰にでも開かれていると言われても、かえって私どもには分からないかもしれません。
覚りについてそれぞれが先入観を持ち合わせているからです。
つまり、覚りとは何か特別の修行とか努力を通じて得られるものであって、いずれにしても特別な才能に違いないと…。
そうですね、特別と言えば特別なのでしょう。
誰にでも公開されているというのですし、しかも一切の努力を必要としないともいうのですから。これだけではとりつく島がないと言われるかもしません。
ここで、4月号に引用した「蟪蛄(けいこ)春秋を知らず 伊中あに朱陽の節を知らんや」という譬えを、もう一度説明させていただきます。
「蟪蛄(けいこ)」というのは蝉のこと。蝉は夏の盛りに地中から出て来て、一週間いて、命を終えていきます。
夏に生まれて夏に命を終えていくのですから、春秋はおろか、今が夏だということも知らないで命を終えていくのです。
だから「伊中あに朱陽の節を知らんや」というわけです。(伊中:この虫・朱陽:夏、の意)
つまり、春・夏・秋・冬(四季)のそれぞれを経験したものでなければ、四季を知ることができないわけで、夏に生まれて夏に命終えていく蝉は、今生きているこの時が夏であることも知らないのだというわけです。
これは、私ども人間の知恵の有り様を語っているということです。
私が「盲冥」であるとは露ほども思っていないのですから。
何しろ、人間は生き物の中で一番優れている「万物の霊長」なんて思っていますからね。
ところが万物の霊長であるはずの人間だけは、悩んだり空しいなんて思うのです。なぜなのでしょう。
もう一度「蟪蛄(けいこ)春秋を知らず 伊中あに朱陽の節を知らんや」をよく味わってみてください。
「蟪蛄(けいこ)」とは、他ならない私のことを指すのです。
では、その「私のこと」とは…。

お庫裡から 2015年6月

テーマ:お庫裡から 【坊守】
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「若くはない」ということは、自分で十分認めているつもりでも、本音は「私はまだまだ元気だ。やれる」と値踏みしています。
その値踏みも都合値踏みですから、あっけなく破られ、現実を見せつけられることになります。
先日、東京へ行きました。東京は人がいっぱい。何線だったか、電車に乗りました。
少々混んでいましたが、先に乗り込んだ夫を見て、若い人がサッと席を譲ってくれました。
そうしたら、その隣の人が私を見てスッと立ち、「どうぞ」と私に言ってくださるではありませんか。
一瞬戸惑いましたが、御礼を言って有り難く座らせていただきながら、「夫が老人に見られたのはその通りだからいいとして、はてさて、この私、今日の服は地味だったかなー、この老人と夫婦らしいから、私も老人と思われたのかなー」初めて席を譲られた動揺が、たった2駅間の乗車でしたが私の頭を悩ませました。
結婚した娘の新居も見、翌日は2人の娘に遊んでもらって、その足で帰路につきました。
名鉄本線の知立に着き、いよいよ最後の乗り換えです。猿投行きはすでに待機しています。
乗り込んで座席を探していると、中年の方がサッと席を立ってくださいました。
2人ともくたびれ果てていましたので、身体を寄せ合うようにそこへ2人で腰をかけ、「あー、よかった」と安堵はしましたが、「何故、席を譲られたのだろう」と悩むことすらありませんでした。
そして今日のような雨の日は、3年前に大転びして打った太股が、2年前舗道とディープキスをした左頬が、つい先日車のドアにしこたまぶっつけた前頭が、ズキズキと痛んできます。痛むところを撫でさすりつつ、「若くはないなー」とつぶやいてしまいますが、このお調子者は、天気と一緒で思うことがコロコロ変わるので、お念仏という番人を頂戴しています。

今月の掲示板 2015年6月

テーマ:今月の掲示板

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深い自分にあいたい
自分にあいたい
自分にあわなければ
何をやっても 空しい


幸せとは
私の思い通りになることだ
この物指しを
本当にそうかと
私は疑ったことがない


あるものを無いと思い
無いものを有ると思う


私、私という私とは
何かわからないのに
それをほーっておいて
周りを変えようとしている


幸せも不幸も迷いの中
みんな
比較の心ではかっている


てっぽうとぶっぽうは
一字しか違わんが
全く違う
てっぽうは他人に向かって撃つ
ぶっぽうのたまは
自分に向かってとんでくる  高光大船


光はものを照らし
照らすことによって
覆っていた闇を取り除くとともに
覆われていたことを自覚せしめる


照らす仏がまずあって
それが、照らすハタラキがある
ということではなく
ハタラキの他に仏はない
光が仏である


本当の自分は
人間からは見ることができません
如来さんのハタラキというか
いのちのハタラキによって
初めて
本当の自分を見ることができる

本堂に座って 2015年6月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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去る5月21日、真宗大谷派(東本願寺)より、宗務総長名で「安全保障関連法案」に関する宗派声明が発表されました。

日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願う
「正義と悪の対立を超えて」

私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。
その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、強く反対の意を表明いたします。
そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて「真の平和」の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。
それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。
そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。
けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。
自らを正義とし、他を悪とする。
これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。
仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、「積極的平和主義」の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。

「私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか」、
「過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の
願いを踏みにじる愚行を繰り返してもよいのでしょうか」と。

私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。
これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。

2015年5月21日            
真宗大谷派(東本願寺)宗務総長 里雄康意
(「真宗大谷派 東本願寺ホームページ・お知らせ」欄より引用しました。)

真宗大谷派からは、死刑制度・特定秘密保護法案・憲法第九十六条「改正」・原子力発電所の再稼働…など、折々に声明や見解を発表されてきました。
公式にこうしたコメントを出すことには大きな意義がある、と思いつつ、一方で「何だかいつも出しっぱなしだなぁ」という思いも個人的にはありました。
ところが今回(今さらですが…)、あらためて「これを受けとめて動くのは自分だった」と、ふと思いました。
インターネットで様々な書き込みや情報の発信をする方、毎週末のように行われるデモに参加している方、僕が見ることができる範囲でも、とても多くの方が「行動」しています。
大事な問題であっても、忙しい・何をしていいのか分からない…と、結局「人まかせ」にしてしまいがちですが、難しいことではなくて、自分のしたいこと・できることからやってみる、くらいでいいんだ(!)と思い直して、まず一歩、踏み出してみようと思います。

今日も快晴!?2015年6月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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雨が続く春先の不安定な気候の頃でしたが、ぽっかりその日だけ晴れ間が見られた4月4日に、妹が結婚式を挙げました。
私より8歳下の妹が、まさか年下の彼を連れてくるとは思いませんでした。
しかも、4つも下だというのです。
・・・干支が私と一緒ではありませんか・・・!もう「弟」ではなく、「息子」がもう一人増えたような気分です。
そして、戸谷君はまさに「こんな息子が欲しい!」と思えるような、本当に優しく、周囲に細やかに気配りの出来る、何とも可愛らしい青年でした。
妹が生まれた時は、私はもう小学生でした。張り切っておしめを替えたりお風呂に入れたり、小さな妹がとても可愛かったことを覚えています、その後、 部活や受験や色々自分のことで忙しくなり、進学のために家を出てしまったので、妹の記憶は小学校6年生くらいのまま止まっていました。
彼女なりに色々な経験を重ねてしっかりした大人の女性に成長していると思うのですが、私の中ではいつまでたっても「面倒を見なければいけない小さな妹」といった印象が抜けません。
お姫様に憧れていた小さな子が、戸谷君という素敵な王子様と出会い、本当のプリンセスになった日でした。
おめでとう。おめでとう。

プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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