清風 2015年7月

テーマ:清風 【住職】
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6月4日に開かれた衆議院憲法審査会で、審議中の「安保法制の11議案」について、出席した憲法学者3人(その内1人は与党推薦)がいずれも違憲と指摘した。
さて、内閣の提出した法案が、国会の場で、また各界から次々と「違憲」とされている。この事態は、法案そのものがガラス細工というか、十分検討されて提案されたものではなく、数に驕って国会を軽視し、提出を急いだからといえよう。
安倍首相は、戦後70周年談話を出すにあたって、我が国が過去に行った行為について、韓国・中国の人々の心に寄り添うような姿勢を示そうとはしない。
自民党には「いつまで過去を謝り続けなければならないのか」との声が強いという。
この点からも、先に訪日したドイツのメルケル首相が、ナチス・ドイツが連合国に降伏して70周年となる今年の5月8日を前にして、国民に歴史と向き合うよう「歴史に終止符はない。我々ドイツ人は特に、ナチス時代に行われたことを知り、注意深く敏感に対応する責任がある」と呼びかけたことに注目したい。
そして、メルケル首相はロシアに出かけ、10日に「無名戦士の墓」を訪れた。
歴史認識に関しては、安倍首相はかねがね「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と、我が国から侵略を受けたアジアの人々の心に寄り添うことなく、15年に及び我が国の軍隊が中国はじめアジアにあって1000万人を超える人を殺した事実を「知ろう」とは呼びかけをしない。
こういう首相の言動が、国連の核不拡散条約の最終文案に世界の指導者らに被爆地(広島・長崎)の訪問を要望する我が国からの提案が、中国・韓国の反対で削除されたという事態を引き起こしていると言えよう。
中国は反対した理由として「歴史問題への日本政府の姿勢から判断すると、被爆地への招待が世界の人々の大局的で正しい戦争の認識の助けになるとは思わない」と述べたという。
我々日本人は、アジア太平洋戦争で中国・朝鮮においてどのようなことをしたのかを知り、「注意深く敏感に対応する責任」があるのではなかろうか。
隣国との間に信頼関係を開くには、ドイツの経験にもっともっと真摯に学ばねばならない。
間違いを認めるのは勇気のいることだ。
しかしやはり、我が国の首相たるもの、憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」と書かれた重みを再三、再思する謙虚さがほしいと思う。
謙虚さは、実は知恵の深さを表すものだ。
やはり、急ぐことにはどこか間違いがある、のだろう。

お庫裡から 2015年7月

テーマ:お庫裡から 【坊守】

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6月のとある金曜日の夜のこと。
風呂から上がって部屋でくつろいでいると、「おばあちゃん、ちょっとお邪魔してよろしいですか」と在ちゃんが、いやにかしこまって入ってきました。
「あのね、学校でプールが始まったの。5月におばあちゃんとプールに行ったでしょ。あの時、バタ足で10m泳げたと思ったのに、学校で測ったら6mだったの。それでね、私、みんなみたいにたくさん泳げるようになりたいの。お母さんに話したらね、明日、おばあちゃんの都合がよかったら、一緒に連れて行ってもらいなさいって。ねー、おばあちゃん、明日行ける?」
「一緒にプールへ連れて行ってください。ねー、お願い」
お風呂に入ったときは何も言わなかったのに、どうやら、誰か在ちゃんに入れ知恵をした人がいるらしい。
明日は一日草取りだと決めていたので、それは午前中で切り上げ、午後から孫の願いを聞き入れ、プールへ行くことに。
「ワー、やった!」ありちゃんが喜んで部屋から飛び出ていくと、誓くんが「おばあちゃん、本当にプールに連れて行ってくれるの?」と確かめにやって来ました。
「やったぜ」誓くんも喜んでいます。
さて翌日。
出かけるばかりになったら、サッカーの試合でスタジアムのプールは使えないことが判明。
パッパッと検索して、井上公園のメロンプール(形がメロンを半切りにして伏せた姿に似ている)へ。
初めてのプールで新発見。
誓くんが、常に私のそばを離れないのです。
スタジアムのプールでは1人で泳ぎ回っているのに、用心深いのか、気弱になったのか。
孫の一面を見るのも面白いことです。
孫にプール行きを誘われて一緒に行けるなんて、あと何回あるでしょう。
今生で最後かも、と思うと、何をしてもうれしいし、ありがたく思える。

今月の掲示板 2015年7月

テーマ:今月の掲示板

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  仏教の救いは
  無上の救い
  比べんでもいい世界を
  求めていきなさい


  道具の世界は
  数値の世界
  能率の世界
  人間は、そんなものではありません


  私たちの自我による発想は
  状況が変わることが救いとして追求する
  状況は、ご縁次第


  私たちの求めているのは最上の救い
  いつも比べて汲々として
  (比べることのできるものは物・道具の世界)
  ここに立つ限り安心はありません
  (私を道具にしていくからです)


  私の身に起こるご縁を
  「どう生きてくれますか」と
  常に、私は、私から問われている


  仏法は精神(理想)論ではない
  存在論だ


  食べてから排泄までの全自動

  
  「つまらん」と言うは
  小さき知恵袋


  人生は苦ではない
  苦にしている自分がいるだけです

 

本堂に座って 2015年7月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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連日新聞・テレビを賑わせ、各地で抗議行動が行われている「安保法制」ですが、自分の中では「砂川判決」「合憲・違憲の判断」など、気になるけれど内容を知らないままにしていることがいくつもありました。
そこで読んでみて衝撃を受けたのが『日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 著 集英社インターナショナル刊)です。
読み始めから「目からウロコ…」の連続で、政治・アメリカ外交の本質・裏側が、あらためてよくわかりました。
(なぜ米軍機が日本の上空を「飛んでよい」ことになっているのかも、初めて知りました。)
以下に、気になった部分を引用してみます。

第2代の最高裁判所長官をつとめた田中耕太郎という人物が、1959年、駐日アメリカ大使から指示と誘導を受けながら、在日米軍の権利を全面的に肯定する判決を書いた。
その判決の影響で、在日米軍の治外法権状態が確定してしまった。
またそれだけでなく、われわれ日本人はその後、政府から重大な人権侵害を受けたときに、それに抵抗する手段がなくなってしまった。

在日米軍の存在が憲法違反かどうかをめぐって争われた砂川裁判で、田中耕太郎という最高裁長官が、とんでもない最高裁判決を出してしまった。
簡単に言うと、日米安保条約のような高度な政治的問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいという判決を出したわけです。
(※正確には「日米安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度な政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は(略)裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする」という判決でした。)
するとどうなるか…つまり安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです。

注意すべきは、砂川裁判で最高裁が「憲法判断をしない」としたのが、「安保条約」そのものではなく、「安保条約のようなわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度な政治性を有する問題」というあいまいな定義になっているところです。

おそらく改正された「原子力基本法」に「前項(=原子力利用)の安全の確保については、(略)わが国の安全保障に資する(=役立つ)ことを目的として、行うものとする」という条文がこっそり入ったのもそのせいでしょう。
この条文によって今後、原発に関する安全性の問題は、すべて法的コントロールの枠外へ移行することになります。

こうして駐日アメリカ大使と日本の最高裁が米軍基地問題に関してあみだした、「統治行為論」という「日本の憲法を機能停止に追いこむための法的トリック」を、日本の行政官僚や司法官僚たちが基地以外の問題にも使い始めるようになってしまった。
官僚たちが「わが国の存立の基礎にきわめて重大な関係をもつ」と考える問題については、自由に治外法権状態を設定できるような法的構造が生まれてしまった。
その行きついた先が、現実に放射能汚染が進行し、多くの国民が被爆しつづけるなかでの原発再稼働という、狂気の政策なのです。
(『日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』       
第1章・第2章より抜粋して引用しました。)

本の中では、これ以外にも日米間の協定・密約について触れられていて、なぜ「基地」があり続けるのか、「原発」をやめられないのかを資(史)料に基づいて検証してくださっています。
読んでいくほどに現状を変えていくことの難しさばかりが見えてきて、何だか暗い気持ちになりますが、それでもこうした背景を知ったうえで、自分にできることを探してみたいと思います。

今日も快晴!?2015年7月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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我が家の次男(小5)。
時々、(この子はとてつもない大物か、どうしようもない大馬鹿者かどっちかだなぁ・・・)と思う瞬間があります。
先日は、帰宅するなり「お母さん!何で僕の引き出しにこれが入ってるの!!」と激怒するので、何かと思えば、彼が着ている体操服の胸元に「わたなべ あり」の文字があるではありませんか。
どうやら、私が娘の120cmの体操服を、次男(140cm)の引き出しに間違って入れてしまったようです。
しかし、どうして着た瞬間に気がつかないのでしょう?どう見てもパツパツです。
次男は、その場に居た家族みんなに「自分で気づけ~!」と突っ込みを入れられ、先ほどの怒りはどこへやら。
しゅんとした様子に、家族みんなで大爆笑です。
また、一昨日は帰宅するなり無造作にランドセルと絵本バッグを放り出してそのまま「遊びに行ってくる!」と飛び出して行ってしまったので、「こらぁ!自分で片付けなさ~い!」とそのままにしておいたら、じわじわと絵本バッグが湿ってくるではありませんか。
(え?何が入っているの?)とバッグを開いてみると、理科の実験で使った豆を発芽させるキット(プラスティックのカップに栽培用の土と種を入れ、水やりをして発芽させるもの)が直接絵本バッグに入れてあり、水分を含んだ土が全て絵本バッグの中でひっくり返ってびしょびしょです。
せっかく発芽した豆も、バキバキに折れているではありませんか。
な、なぜ絵本バッグに直接入れちゃうの?しかも、帰宅するなり床に放り投げるの?本当に理解出来ません。
ママ友達と子どもの話をすると、「うちの子はこんなところが困っている」、「ここが良くない」、「ここがダメだ」という話になりがちです。
日本人に特有の「控えめ」気質と言うのか、他人様の前で自分の子どもを褒めることに照れがあるのかもしれないのですが、(そんなにダメなんだろうか?)と首を傾げたくなる時があります。
次男も、「大雑把で、自分のこともきちんと出来ない困った子」に分類しようと思えば簡単です。
けれど、彼は家に帰り着いた瞬間、豆のことはすっかり頭から消え、遊ぶ約束をした友達のところへ身も心も飛んでいったのでしょう。
それは幸福な時間だったに違いありません。
昔何かで聞いた「困った子ども」がいるのではなく、「親が勝手に困っているだけ」という言葉をふと思い出しました。
「子どもはちっとも困っていない」のです。
親が子どもの人生を代わってやるわけにはいかないのだから、私が彼の代わりに困らなくてもいいのかな。
そう思えたら、子どもの「困った」は全て「面白」ネタに変身です。
そして数日後、「誓くんは、絵本バッグに直接豆の栽培キットを入れて持ち帰ってくるから、バッグはびしょ濡れだし、せっかく発芽した豆は折れちゃったし・・・」と話していると、「豆、ちょっと長く伸びすぎちゃってたからね~」と次男が一言。
・・・えっ!?豆が折れたのは伸びすぎたせいだっけ?す、すごい前向きだなぁ・・・。
間違いなく、この子の将来は大(バカ)物ですね。まぁ、可愛いから良しとしましょう。

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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