清風 2015年9月

テーマ:清風 【住職】

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仏教とはどんな教えですか、と聞かれたら、それはこの一句に尽きると言えます。
この一句こそ「仏教のイロハであり、結論である」と。

ところで、現行の我が国の憲法前文には、次のような文言があります。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人類相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」

今年は、戦後70年と言われています。
戦後70年の戦とは、第2次世界大戦―日本の場合は、言うまでもなく1930年から1945年にかけてのアジア・太平洋戦争―のことを指しています。
ところで、1945年の70年前と言えば、1875(明治8)年になります。
1875年から70年間、我が国は大きい戦いだけでも、日清・日露・欧州大戦(第1次世界大戦)、そして1930年から1945年まで…ほぼ10年ごとに戦争をしています。
それに比べれば、戦後70年、戦争を経験していないということは素晴らしいことと言えるでしょう。
それも、この憲法の殊に前文、またその願いを具現化した第9条・第99条のおかげと言えます。
そして忘れてならないのは、アジア・太平洋戦争で日本の軍隊が殺した、およそ1500万人ものアジアの戦争被害者(民間人・軍人)が存在しているということです。
その平和であったら死なずにすんだ死者たちからの無言の祈り、それは1500万人の死を無駄にしないで欲しいという願い・祈りと言えるでしょう。
その祈りは憲法に第9条として具現化されているということであり、二つには、実は「人身受け難し、いますでに受く」と言われていることに頷いて、いのちを生ききって欲しいということのように、私には思われます。

「急ぐことには、どこか間違いがある」

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8月14日、安倍談話が発表されました。
この談話の後半の中程に、まず
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
とあり、その少し後に
「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。」
とある、これらの文面に注目させられました。
この談話は、安保法制について国会で衆議院での委員会と本会議において強行採決が行われた直後に発表されたものだからです。
「自らの行き詰まり」、つまりこれを今回の安倍政権の行為に当てはめれば、第9条を有効に使い切る知恵がないために、「積極的平和主義」の名のもとにこの国を戦争に追いやる法案の採決を強行したのです。
「あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言う直前にです。
安倍さん、あなたは集団的自衛権を行使できる「戦争法案」を無理矢理成立させ、その法案によって、子や孫を戦争に狩り出し、そしてその戦死者への責任を、今後どのように取るつもりですか?「あの戦争」は過去の戦争です。
しかしあなたは今、この国を、その戦争に巻き込もうとしているのです。
憲法、特に第9条の行使の仕方については、沖縄の尊い苦難の経験に、我々内地の者は学ぶべきではないかと思います。
憲法愛国主義こそは、新しい憲法が日本に誕生したそもそもの理由だと思われるからです。
安倍さん、辺野古休戦も支持率を上げるためですか?そうでなければ、大いにこの1ヶ月、(他の国会議員も)沖縄に行って学んできてください。
摩文仁の丘にある、アメリカ軍も含めた沖縄戦の全戦没者(軍人・民間人)の慰霊碑(平和の礎)に参拝してから、あらためて「積極的平和主義」の内容を確かめて欲しいと思います。

註)「平和の礎」刻銘者数 2013年6月20日現在
日本 沖縄県 149,291名  外国  米国   14,009名
県外   77,364名      英国       82名
台湾       34名

お庫裡から 2015年9月

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長いと思った夏休みも、いよいよ終わろうとしています。
夏休みに入る前は、「あー、長い休みが始まる。毎日、うるさいんだろうなー」と、うんざりするような気持ちを持っていました。
ところが始まってみると、毎日、静かなのです。
3人が家にいても、気配すら感じぬほどに静かなのです。
朝食後、「廊下ふくよー」と声をかけると(時たま、部活だ朝練だとかで、誓くんや開くんが欠ける日もありましたが)、静かにバケツの周りに集まり、黙々と廊下をふいて終わります。
お夕事も時間が来ると「おばあちゃん、お夕事しよう」と誰かが声をかけてくれ、3人が日替わりで導師を勤めてくれます。
多少ふざけ合うことはあっても、やはり去年までのうるささとは全然違っているのです。
一番の違いは、末っ子の在ちゃんが落ち着いてきたのだと思います。
在ちゃんがキャンキャン言いたて、それに誓くんが応戦する。
すると負けじと在ちゃんがもっと大きな声でキャンキャン。
そこに開くんまでもが巻き込まれて大騒動になる。
そんなことが、今年はまったく起こらなかったのです。
孫達は、背丈が伸びただけではなく、確実に成長をとげているのです。
孫を見る目は、自然、自分に向いてきます。
老いて、身体的には不都合が増えていく中にあって、尚、成長するものはあるのか。ある。
精神の成熟だ。
我が人生、大きな課題をいただいているのだ、とあらためて確認させられました。

今月の掲示板 2015年9月

テーマ:今月の掲示板

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  (現)実(、この)地上(における)真の善とは
  唯一つあるのみである。
  即ち真の自己を知るというに尽きている。   西田幾多郎


  仏教のABC~XYZ
  人身、受け難し(三帰依文)
  人間に生まるることを
  喜ぶべし        横川法語


  本能が段々店じまいする。
  煩悩もそれに伴って店じまいすればいいのだけれど
  いくつになっても
  煩悩だけは盛んなのです。


  精神生活を持つときに
  初めて人は育つ。
  日常生活の上に
  精神生活を開く。


  仏教は、人間を病んでいる者と見る。
  己知らずの人間というものは
  絶対に満足がない。


  念仏ということは
  自分がわかるということ。
  私たちが念仏するところに
  自分の心はどんな心かと
  わが心の中に仏の光が宿る。


  光がひとたび宿れば
  どんなに間違っていても
  違っていると知らせてもらえる。
  如来の光明(み教え)は
  具体的に、
  わが心の中に、
  光として成就してくださる。


  煩悩が起こることは
  だめなことじゃなくて
  それだからこそ
  念仏者として生きていける。

本堂に座って 2015年9月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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「守綱寺カレンダー」が今月、No.120を迎えました。
絵本読み聞かせ会を始めて10年、来ていただく方に配りたい…と作り始めた「守綱寺カレンダー」も、10年続けることができました。
とまず「守綱寺カレンダー」という名前にしておいて、良い名前が思いついたらそれに変えよう、と言いつつ、結局そのままの名前で10年。
すっかり定着した…んでしょうか?
月末が近づくとネタを探し、時には(頻繁に?)夫婦のいさかいの元になりつつも、こうして作り続けることができたのは、やっぱり手にとって読んでいただける皆さんのおかげだと思います。
絵本読み聞かせ会も、毎月2回、休むことなく続けて来られました。
そもそも、かいくん・せいくんに絵本を読んでいるんだから、お子さんとお母さんにお寺の本堂に集ってもらって、一緒に絵本を聞いてもらおう!と始めた読み聞かせ会。
ありちゃんが入園する際には「ウチの子がいなくなっても、このまま続けられるだろうか…?」と悩んだものですが、その当時も、また今でも、毎回の様に初めて参加してくださる方があり、続けてきて良かったという思いと、これからも出来る限り続けていかなきゃという思いを、参加者の方からいただいている様に感じています。
この「続ける」ことの大切さについて教えてくださっている東井義雄先生のお話を紹介します。

皆さんね。
今朝から申し上げたことを実現していただくために、なんか簡単なことでいいから、ここまで続けることができたということを自分で持っていただきたい。
今続けていること何かありますか。
家の履物を揃えるぐらいのことでもいいのです。
ここまで続けたというものがありますか。(中略)
その1年生の岡田ひろみちゃん、今年中学卒業しましたが、ずうっと続けているんです。
お婆ちゃんの世話、ずうっと続けているんです。
それがねぇ、小学校4年の頃から、この学級でお家の手伝い一番よう手伝って、一番よう頑張っているのは、岡田ひろみちゃんや。
それがその子の自慢になり、5年生のあたりから、その自慢が勉強の頑張りに広がり、中学3年卒業する間際に手紙をくれていました。

鉛筆が、「早く先生の所へ行きたいだろうけど、字は一字一字、心を込めて書くんですよ。」と言ってくれます。
便箋が、「早く行きたいだろうけど、書きあがったら、丁寧に、きちんとたたんで、封筒に入れる時には、あなたの心もいっしょに入れるんですよ。」と、便箋が教えてくれています。

というような手紙をくれてますが、1つのことが、ずうっと続くと、ほかのことまで、しゃんとしてくるんです。
どうか最後のお願い。
どんなつまらんことでもよろしいから、ここまで続けたという自慢話になるような自慢を育てていただきたい。
簡単なことでいいんです。
今まで続けてきた人は、さらにそれをどこまでも続けてみせていただきたい。

ほんものは続く、続けるとほんものになる。

これを最後のことばにしたいと思います。
よう聞いてくださいました。
(『バカにはなるまい』東井義雄著 真宗大谷派岡崎教務所発行            
 「私を私に育てる責任者は私」より抜粋して引用しました。)

ちょっとしたこと1つさえ続けられない自分には、この「ほんものは続く、続けるとほんものになる」という東井先生のことばは、とても重く感じられるのですが、それでもこうして10年続けられた…ということが、僕らの中では貴重な財産(自信・経験・人のつながりなど)になりました。
参加者の皆さんの「世代交代」も感じますが(汗)、このことばを糧に、できる限り続けていきたいと思います。

今日も快晴!?2015年9月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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守綱寺絵本読み聞かせの会は、この9月で10周年を迎えます。
第1回目は2005年9月13日(火)。
(誰も来てくれなかったらどうしよう)とドキドキしながら当日を迎えましたが、近所のお友達や大学時代の友達、スタッフを引き受けてくれたママ友達の知り合いなど数組が足を運んでくれました。
当時2歳半だった長男と生後半年の次男を本堂に座らせて、無我夢中で絵本を読んだ30分でした。
その後、第3子の妊娠、出産、子どもたちの入園式や入学式など色々なことが重なりながら、何とか一度もお休みすること無く10年間続けてこられたのは、お寺に足を運び本堂に座って下さった皆さんと、スタッフやお手伝いの方たち、家族の協力があってのことだったなぁと、本当にありがたく思っています。
数えてみたら、のべ5000人を超えるほどの方がお寺に足を運んで下さったことになります。
今回、10周年記念のイベントを行うことになり、過去10年分の読み聞かせ会の写真を何度か見返しました。
10年経ったなんて思えないほど、様々な記憶が鮮明に蘇ってきます。
まだ幼かった息子達が私の足にまとわりついていた10年前。
読み聞かせ会の最中に、「これはぼくの本だから、読んじゃダメ!」と、絵本を持って逃げ出したこともありました。
もう小学生&中学生になった今の姿からは想像も出来ませんが、本堂に座る我が子達は本当に可愛かったのです。
こんな濃密な素晴らしい子育ての時間が持てたのは、本当に奇跡のようだと当時を思い出します。
当時から変わらず足を運び続けてくれている常連さんたちは、今ではみんなママ友達です。
出会ったときは生後半年くらいだった子どもたちが、今は小学生になり、劇に出演してくれたり、受付の手伝いをしてくれたりしています。
スタッフとして会を支えてくれた何人もの友人。
その時々のご縁で読み聞かせにゲスト出演して下さった方たち。
読み聞かせ会の常連さんたちから始まった寺っ子クラブ、守綱寺ファミリー合唱団といった活動etc・・・。
本当に、数え切れないほど沢山の方に支えられながらの10年だったと思います。
「年を取ってから行く場所じゃなくて、若い人たちにもっと気軽にお寺に足を運んでもらいたい」、「誰かが亡くなってから行く場所じゃなくて、若いときからお寺に足を運び、本堂で手を合わせることに慣れてもらいたい」そんな思いからスタートした会でしたが、気がついたら「お寺が自分の居場所だ」と言ってくれる仲間が随分沢山増えました。
そして、他ならぬ私自身も、この読み聞かせ会を通じて、やっとこの守綱寺が「自分の居場所だ」と心の底から思えるようになりました。
よくよく考えてみれば、この読み聞かせ会は、「誰かのため」の会ではなく、「私自身のため」に必要な会だったのです。
読み聞かせ会は、小さな1冊の絵本と、読み手と子どもたち。
たったそれだけのシンプルで素朴な会ですが、シンプルなものには無限の可能性があり、次はこんなことをしてみよう、あれも面白そう!と、アイデアが次々に浮かんで、楽しくて仕方がありません。
お寺という場所も、「仏さまの教えを伝える場」というシンプルな基本を守っていれば、様々な可能性があり、アイデア次第で色々なことがやれると思うのです。
お寺って本当に楽しい。
可能性がいっぱいある素敵な場所だと思います。
今後も、居心地が良く、また来たいと思えるような会を細く長く続けてゆきたいと思っています。

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プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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