本堂に座って 2013年5月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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先日、この欄で何度も文章を引用させていただいた
安冨歩さんのお話を聞かせていただく機会がありました。
安冨さんはお話の中で、「日本は「個人主義」ではなくて「立場主義」。
「個人」は「立場」の材料になっている。
その立場に立ったら「その立場の振る舞い」をしないといけなくなっている」というお話をされていました。
この「立場」について、安冨さんの著書より少し引用させていただきます。


「立場」は、「ポジション」や「スタンス」という意味とはちょっと異なる日本独特の概念で、それは、サラリーマン社会では珍しくないこんな言葉に象徴されています。
「私の立場も考えてくれよ」面子でもありません。
責任でもありません。
その組織のなかで、自分の自由意志とは関係なく、
与えられた「役」を忠実に果たせば守られるもの、
と言えばなんとなくイメージしやすいかもしれません。
日本社会は長く、この「立場」によって構成されてきた「立場社会」でした。
このような社会のなかでは「立場」こそが「実体」であり、
人間はその「素材」に過ぎません。
「立場」が人間よりも上にあるような社会なので、
「立場」を守るということが何よりも優先され、
「立場」を守るためには何をしても許されます。
その代表的な例が、福島第一原子力発電所の事故でした。
事故直後からテレビや新聞などには連日のように「専門家」が登場しましたが、その多くは、私たち国民の疑問や不安を払拭するようなことは言ってくれませんでした。
なぜ専門家を名乗る方たちがこんな体たらくになってしまったのかというと、すべては「立場」を守るためです。
たとえ本当のことでも、そのなかで生きている人たちにとって、
自分ともちつもたれつで生きている方たちの「立場」を危うくするような発言をしたら、自分の「立場」も危うくなります。
そこで、みんな「立場」を守るとしたら、当たり障りの無い発言でごまかすか、適当にウソをつくしかないのです。
原発事故だけではありません。
尖閣諸島問題、北朝鮮のミサイル問題、沖縄の米軍基地問題、
オスプレイの配備、そして消費税増税や社会保障…
偉いセンセイや専門家が、なにやら、ややこしいことをグチャグチャ言っているのを聞くと、多くの人は「やはり偉いセンセイだから、難しい話をしているな」と思ってしまいますが、それは大きな誤りです。
あれは、難しい話をしているのではなく、わざと難しくしているのです。
「わけのわからない理屈を使って、相手をケムにまき、自分の主張を正当化する」という
「東大話法」のテクニックのひとつであって、みなさんをダマくらかしているに過ぎないのです。

私はこれまで「立場主義」というものが
日本社会のあらゆるところに蔓延をしているということをお話してきました。
その中で最も問題なのは、このシステムが現在はまったく機能をしていないということです。
この「機能不全」は日本人ひとりひとりにも大きなかげを落としています。
大企業のサラリーマンたちに急増する「うつ」などの心の病や、
若者が会社に根付かないこと、そして何よりも福島第一原発事故という未曾有の人災を引き起こすことになるのです。
(『もう「東大話法」にはだまされない 「立場主義」エリートの欺瞞を見抜く』
安冨歩 著 講談社+α新書 2012年9月発行より引用させていただきました。)

終了後、安冨さんとお話させていただくなかで、
(以前引用させていただいた文章も含めて)「当たり前のことしか言ってないでしょ」と言われました。
そんな当たり前のことが、「立場」を通すと見えなくなってしまうのかもしれません。

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