今日も快晴!?2017年8月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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友人のピアニスト、白神由美子さんの紹介で、8月22日の守綱寺絵本読み聞かせの会「夏休みお楽しみ会」で、絵本ミュージカル「ひまわりのおか」チャリティコンサートを上演することになりました。
守綱寺ファミリー合唱団のメンバーも増えて、子どもたちも少しずつ大きくなってきた今、新しいことにチャレンジ出来る良いチャンスだなぁと思います。
「ひまわりのおか」は、津波で子どもたちを失った8人のお母さんが、丘の上にひまわりを植えて育てているという実話を元にした絵本です。
ソプラノ歌手の方が参加して下さったり、クラリネット&パーカッション&ピアノの「クピパトリオ」さんが加わって下さったり、普段とは違った雰囲気で本番がとても楽しみです。
是非大勢の方に足を運んでいただきたいと思います。
守綱寺が関わっている「福島のみんな!遊びにおいでんプロジェクト」では、原発事故による放射能の被曝から子どもたちを守りたいと願う福島のお母さん達の声を聴かせていただきましたが、津波によるこうした被害の声も、また震災の現実です。
「3.11を忘れてはいけない」と思うものの、日常生活の中で、どうしても震災も津波も原発事故も忘れがちな自分がいます。
地震や津波の被害を忘れないということは、自然の前では、人間というのは無力でちっぽけな存在であることを忘れないということ。
原発事故を忘れないということは、「科学の力で何でも思い通りになる」というおごった心は間違いだということを忘れないということだと思います。
丁度たまたま図書館で手にした司馬遼太郎さんの「21世紀を生きる君たちへ」という本の中の文章がとても素晴らしかったので、一部を紹介したいと思います。
『人間は ―くり返すようだが― 自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。―人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。
同時に、人間は決して愚かではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、という素直な考えである。このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前に繰り広げてみせた。
二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。』

本堂に座り、仏さまに手を合わせるということは、「願いが叶いますように」という意味合いではなく、「また自分は大事なことを忘れていました」という気付きなのだと思います。

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守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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