本堂に座って 2017年8月

テーマ:本堂に座って 【若院】

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今年も夏休みが始まりました。
毎年のことながら、ウチの子どもたちのことは何かと気がかりなのですが(部活も宿題も、いろいろ…)、もう1つ夏休みというと、子どもたちが自分で決めた目標に向かって自分の力でチャレンジする「キミチャレ」(残念ながら豊田市では中断してしまいましたが…)が思い出されます。
チャレンジする子どもはもちろん、実は見守る大人が大変なのです。
大人は「答え」を持ってしまっているので、子どもにいろいろ教えたくなるのですが、そこはじっと我慢、子どもに任せなければいけません。
「答え」を与えて“成功”という「結果」を出すより、失敗しても子どもの「問い」を奪ってはいけないのです。

まず、大切なのは、「問い」を持つことじゃないかな。
とにもかくにも、「問い」を持つ癖を身につけなければ、面白いことは何ひとつ始まらない。
しかし、だ。
比較的ライトな「問い」はさておき、やっかいなことに、自分の人生を賭けるほどの「問い」…たとえば、「遠くにいる人と会話することはできないの?」というような「壮大な問い」は、自分にとって“居心地が良い場所”にはあまり落ちていない。
なぜ、自分がいる場所の居心地が良いかというと、以前、この場所にあった「壮大な問い」を、すでに誰かが解決してくれたからだ。
1876年にアメリカのグラハム・ベルが電話を発明しちゃったから、「遠くにいる人と会話することはできないの?」という「問い」は、もう生まれない。
つまり、人生を賭けるほどの「問い」を見つけるには、居心地の悪い場所に立つ必要がある、というか居心地の悪い場所に立った方が「問い」が見つかりやすい。
僕は、「やりたいことが見つからない」という相談を受けた時には必ず、「僕なら、3キロのダイエットをして、その体重を維持してみるよ」と返すようにしている。
3キロ痩せるには食生活を改めなきゃいけないし、そして痩せたまま体重を維持するには帰り道は一駅手前で降りて歩かなきゃいけないかもしれない。
面倒だし、あまり居心地が良いとは言えないよね。
ただ、それによって何が変わるかというと、入ってくる情報が違ってくる。
ここが大事。スーパーで食品を手に取る時に、これまで気にしなかったカロリー表示を見る。
カロリーが低いものを選んでいくうちに、買い物カゴには、やけに味気ないものばかりが積まれていって、「あぁ、肉、食いてぇなぁ。野菜よりカロリーの低い肉はないのかなぁ?」と、そこで「問い」が生まれる。
帰り道、ダイエットのために一駅手前で降りて、家まで歩いてみる。
その道すがら、まるで流行っていない英会話教室を見つけることもあるだろう。
その時に、「あの英会話教室は、なんで流行ってないのかな?」という「問い」が生まれる。
「教え方かな?立地かな?看板のデザインかな?」といった感じで「問い」がドンドンと。それもこれも、一駅分歩いていなければ出会わなかった「問い」だ。
ダイエットという、居心地の悪い場所に身を投じなければ、出会わなかった「問い」。
人生を賭けるほどの「問い」は、そんなところに潜んでいる。
だから、ときどき「生きづらい世の中だ」と嘆いている人を見ると、羨ましくて仕方がない。
「何故、生きづらいのか?」「それを改善するためにはどうすればいいのか?」といった「問い」に囲まれているわけだ。(中略)
「ああでもない、こうでもない」という試行錯誤の日々は、もちろん不安と隣り合わせなんだけど、たとえ「問い」を持たずに生きていても、どのみち不安は隣に寄り添っているし、さらには次から次へと現れてくる「答え」を出す人々に嫉妬を繰り返しながら年老いていく人生になるだろうな、と思って「問い」を持つ人生を選んだ。
とにもかくにも、まず「問い」を持つ。
「問い」を持つために、「問い」が落ちている場所に行く。
皆がいるような整地された場所には、あまり落ちていないから、誰も踏み入れていないような足場の悪い場所に行く。
まずは、その場所に行くところから。
(『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』西野亮廣 著より引用しました。)

「答え」ばかりが重視され、「答え」を求めることばかりに気が向いてしまいますが、「なぜ?どうすれば?」という「問い」を持つことで、「課題」に取り組む姿勢・力が生まれてくるのだと思います。安易に「答え」を与えてはいけないですね…。

 

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守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
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「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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