今日も快晴!?2017年10月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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友人が、12月23日に「風は生きよという」というドキュメンタリー映画の上映会を企画しています。
この映画は、脊髄性筋委縮症II型という重度の障害で、移動には車椅子を使い、人工呼吸器を日常的に使用している海老原宏美さんの日常を追った作品です。
彼女の相模原事件後のインタビュー記事を読み、頭をがつんと殴られたようなショックを受けました。
これは是非、映画の上映会にも足を運びたいと思います。
『あの事件を受けて、可哀想だね、価値のない命なんてないのに、なんであんなことをするんだろうねって、みんな口う々に言うけれども、じゃあ「なんで重度障害者の命に価値があると思うんですか」と逆に聞くと、ちゃんと答えられる人はいないんですよ。
…私は、重度障害者として生きてきた中で、ずっと差別をされてきました。
差別というとすごく強い言葉ですが、排除ですね。障害を持っていると常に社会から排除されながら生きていくことになるんです。
…そういう境遇の中でずっと、「でも私は地域にいたいんです」ということで生きてきました。
でもやはり障害者が身近にいると面倒くさいし、コミュニケーションも取れないし、どうしたらよいかわからない。
いないほうがよいと思っている人が実はたくさんいるんですね。
…なぜその命が大事なのか。
命が大事だということは、学校の道徳とかで習うけれども、なぜ大事なのかは習わないんですね。
そんなものは一緒に生きていく中で感じとることだけれども、共に生きる環境がないから感じ取れないし、誰も教えてくれない。
その中で起きた事件なので、背景には複雑な環境があるのだろうけど、起こるべくして起きた事件なのかなと私は思っています。
…こういう社会運動を障害当事者が始めた最初のきっかけは、1970年代に「青い芝の会」という団体が障害児殺しに対して起こした運動なんです。
障害を持った子供の将来を悲観して、自分も介護がすごく大変だということもあって、親が障害を持った子供を殺したんです。
その殺したことに対して近所の人たちが、どうかあのお母さんを刑罰に処さないでほしい、だって大変だったもの、すごく苦労していたのはわかっていたから、だから許してあげてということで、減刑嘆願運動が起きたんです。
それを受けて障害者たちが、自分たちは殺されてもいい存在なのか、ということで起こした運動が最初なんですね。
私はそれをすごく思い出したんです。
障害者って殺されても仕方がない存在なのかなということが、今回の事件とリンクして、頭の中に浮かんできたんです。
…当事者として生きていて思うのは、周りが思っているほど私は大変じゃないんですよ。
大変なことも多いですけど、結構面白いんですね。
目の前に障害が治る薬があったら飲みますかと言われたら、私は多分飲まないと思うんです。
障害と生きるって大変なことがありすぎて面白いんです。
別に強がりではなくて、障害があることで、健常者にはない喜びを得られる機会がもの凄くたくさんあって、色んな人に出会えたり、指が動く、手が動くことを凄く幸せに感じられたりだとか、世の中の一個一個の現象に対してすごく敏感になるんです。
私は進行性の障害なので、いつどう死んでいくかわからない、いつまで生きられるか、いつまで体が動くかわからないという状態に置かれている。
死ぬことが身近にあるんですね。
だから逆にいまやれることやらなくちゃとか、生に対する、生きるということに対する意識が健常者に比べると日常的に自分の中に湧き上がる機会も多い。
1日1日を面白く楽しく生きていこうという思いが凄くあって、障害者として生きるってすごく面白いなと思うんですね。』

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守綱寺

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守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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