仏事(葬儀・法事)に課せられていること

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仏事(葬儀・法事)に課せられていること(5)
「新たな出会いの場」としての葬儀…2

先月号の最後に、金子大榮先生が人間には「二つの悲しみ」があると教示されており、その内容は次のようであることを記しました。

① 失うことの悲しみ
② 日頃の暮らしを、当たり前としか受けとめられない悲しみ

①の「失うことの悲しみ」については、よく分かると思います。
では②の悲しみについてはいかがでしょうか。
東日本大震災で被災された方の、「失ってみなければ、日頃の暮らしの有り難さは分からないと思います」という言葉があります。
①の「失うことの悲しみ」から教えられなければ、「失ってみなければ、日頃の暮らし」が実は奇跡のようなことだとは気づかない(気づけない)、これが私たち人間の姿です。
日頃の暮らしが「有ること難い」、奇跡のようなことだとは誰も思わない(思えない)、これが、くどいようですが、私たちの日常です。

次に、金子先生は「人間に生まれたことの悲しみを知らないものは、人間に生まれたことの喜びを知ることはできない」と言われています。この「人間に生まれたことの悲しみ」とは、「なれば当たり前」としか思えないという事実を指しているのでしょう。
日常での経験から例を挙げれば、受験に合格した場合です。
合格した高校なり大学の入学式では、当然のことながら、合格した生徒ばかりです。
ここでは合格したことはまったく当たり前のことです。
そしてもう1つ例を出すならば、重い病気が治癒した場合です。
治療法が見つかり病気が治癒し、治って日常の生活が始まれば、その当初は嬉しいのですが、その嬉しさは3ヶ月も保たないようです。
「当たり前」になってしまうからです。
「人間に生まれたことの悲しみを知らない」とは、このように「願ったようになれば」、つまり合格とか病気から復帰するとかすれば、「当たり前」としか受けとめられない、その喜びは続かないということでしょう。
さらにまた幸せを求めて、もっともっとというわけです。
そうならなければ今度は被害者意識で、思い通りになったと見える人に「なぜ私だけが…」と比べて、今の私が置かれた状況は受け入れられないというわけです。

釈尊の言葉として、こんな言葉が伝えられています。
「どうかならなければ幸せになれない者は、
              どうなってでもその幸せは長くは続かない」
「どうかならなければ」とは「現在、自分の置かれている状況が変わる」ということでしょう。
それは当然のことながら、「今とは異なって、私の思って(願って)いるような状況(環境)に変わる」ことなのでしょう。
しかし、そうなったとしても、それは上にも記したようになってしまえば「当たり前」のこととして、何の感動ももたらさないことでしかありえなくなってしまう、つまり過去の思い出でしかあり得ないことになってしまうのです。
状況から状況へと追いかけている以外でしか生活の事実はない、空しいという感情が起こってくるこの事実こそが、実は大切な信号なのです。    (続く)

仏事(葬儀・法事)に課せられていること

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「新たな出会いの場」としての葬儀…1

釈尊の伝記には、成道(覚りを開かれたこと)の第一声は「我は不死を得たり」であったと伝えられています。
また、命終を涅槃(ニルバーナ・完全燃焼)と表現しています。「お覚り」の第一声を「我は不死(無死ではない)を得たり」と。
生死する人生は、単に“ある時生まれて、ある時死んでいく”だけではなくて、1人の人間が生きることとは「一切衆生悉有仏性」(道元禅師は「有」を存在であると読まれた。
つまり、いのち有る者すべては仏性(覚り)を開くものである、と読んでいる)を体現していくことであると表現されています。これは「涅槃」を完全燃焼と表現されていることと軌を一にすることでしょう。
親鸞聖人は先に挙げた「一切衆生悉有仏性」について、『歎異抄』に「煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからずをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意」(第3章)、「まず弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまいらせて、生死をいずべしと信じて」(第11章)と、「迷いの生」である「生死する生き方」について了解されています。

さて、ご縁のある方が亡くなっていかれたという事実は、「悲しいことではあるけれども、穢れたことではない」と先に記しました。
今回は「新たな出会いの場としての葬儀」というテーマを掲げたのですが、そのことを確かめるために、まずこんな言葉を紹介します。

寂しさは、もらった愛情の裏返し
懐かしさは、充実していた思い出の裏返し

葬儀は「最後のお別れの場」ということだけが印象強く感じられますが、仏事としての葬儀とは、同時に「出遇いの場」でもあるのです。
大切な方との別れは、悲しく、寂しいものです。
しかし、上記の言葉にもあるように、悲しい、寂しいと感じることは、それだけその人から沢山のものを頂いてきたということにもなるのでしょう。
そのような積み重ねで今の私があるのだと。
そして、その事実は今までの私に止まらず、これから先の私の人生においても同じことが言えるのです。
沢山の人たちに支えられ、沢山の生き物の命によって生かされていくということが、私の「いのち」の事実なのです。
その事実を知らせてくださる方を、私たちは「仏」と仰ぎます。
ですから、遺された者は大切な方の「死」を、「私のいのちの事実に立ち返らせていただくご縁」として受けとめていかなくてはなりません。
それは、亡き方との別れが、そのままその人を「仏」と仰いでいく新たな出遇いとなるからです。
(東京教区報『ネットワーク9』198号 2007年1月発行 より)

人間には「二つの悲しみ」があると、金子大榮先生は教えてくださっています。その「二つの悲しみ」とは、次のように言われています。
① 失うことの悲しみ
② 日頃の暮らしを当たり前としてしか受けとめられない悲しみ
これらはまた、人間に生まれた喜びを受け止めていくための大きな関門なのでしょう。
だからこそ「人身受け難し」の言葉が「三帰依文」の最初におかれたに違いありません。
「当たり前」のこととして、まず問題にもしない言葉、それこそがこの「人身受け難し」でしょう。
「人身を頂いている」、その現前の当たり前の事実をどう頂いていくか。
進化した現代に生きる人間が当たり前としている言葉「人身受け難し」、それこそが人間に生まれた喜びであると言うのですから。

 

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3・11から6年、今年は7回忌の年です。
あの震災から2年半ほど経過した2013年10月11日の午後、自動車のラジオを聞いていたとき、今もよく覚えている「失ってみなければ、日頃の暮らしの有り難さはわからないと思います」という言葉が聞こえてきました。
当時は毎月11日には、ラジオ・TV、新聞でも東北の人たちのことを忘れまいと、現地からの状況が伝えられてきました。
その企画で現地の人々へのインタビューの中での発言でした。
葬儀は、一言で言うなら、縁あった方が亡くなったことによって行われるものとも言えるのでしょう。
亡くなったその方との縁の有りようは様々でしょう。
縁はいろいろなのでしょうが、実は残された者は亡くなった方からどういうメッセージをいただいてゆくか…という縁(場)でもあるのです。
その時に、亡くなった方を「仏さん」と呼んできた故事が、今この現代という時代にあって、私はあらためて思い起こされるのです。
それは1面にも書きましたように、いのちは誰にあっても「与えられたもの」だからです。
与えられたものを私有化している、それを人間は知恵を持ったばかりに忘れてしまった。
そのことに気付けという催促をいただいている場(縁)、それが仏式で葬儀が行われている意味なのです。
そのことを詠んだ詩「生」(杉山平一 作)を紹介します。

ものを取りに部屋へ入って
何を取りに来たかを忘れて
戻ることがある
戻る途中で
ハタと思い出すことがあるが
その時は すばらしい

身体が先に この世へ
出てきてしまったのである
その用事は何であったのか
いつの日か思いあたるときの
ある人は 幸福である
思い出せぬまま
僕はすごすごあの世へ戻る

私がこの世へ出てきた「その用事は何であったのか」を改めて問う、その「尊いご縁」を「今、いただいている」、それこそが葬儀の場からの新しい出会いをいただくスタートであったのだと。
とすると、「安らかにお眠りください」と、もし弔電などで発信すれば、「目を覚ませ」と身体(からだ)全体をあげて亡くなった方が教えてくださっている縁を、その方はまったく活かせていないという錯覚で終えてしまうことになると。
釈尊は、まことにそれは残念なことだと。目を覚まさなければならない、眠っている私がせっかくのご縁を生かせていないと。
「失ってみなければ、日頃の暮らしの有り難さはわからない」との貴重な体験の中からの言葉を冒頭に紹介させていただきました。
ここには人間(他ならぬ、この私)の2つの悲しみが述べられています。
1つは文字通り「失う悲しみ」でしょう。
もう1つは(これこそ私どもへの最も大切な伝言だと思うのですが)失ってみなければ、日頃の平々凡々と思える繰り返しの日常生活が「有ること難い」、それこそ「奇跡」であるのに、そのことに気づけない。
それが知恵をいただいている人間であることの悲しみであると。「眠っているのは、お前(私)ではないか」と。
なぜなら、その大事なご縁を「安からにお眠りください」と言って他人事にしてしまっている、と。
仏法を聴聞してこられた先輩は、仏式で行われる葬儀こそ、教えを聞かせていただく場であると、身を運ばれていたに違いありません。
今でも亡くなった方を「仏さん」と呼ぶのは、こうした伝統の賜(たまもの)以外のなにものでもないのですから。

 

仏事(葬儀・法事)に課せられていること

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  「清め塩」を巡って ~儀式が仏式で行われる意味~

葬儀では、印刷された会葬礼状が用意されていますが、この礼状には添え書きが付けられていることをご承知でしょうか。
それは「なお、真宗のご葬儀におきましては清め塩は用いませんのでご了承ください」という文面です。
縁のあった方が亡くなり、葬儀に出席されるのでしょう。
そういう意味では、葬儀は悲しい別れの儀式ではありますが、「清め塩はもちいません」と書いてあるのは、そこにもう一つの意味合いがあるからと思われます。
それは、一般的にその儀式(葬儀)が「穢れている」という認識があるからでしょう。葬儀は死者を縁として勤まるから、ということでしょうか。
亡くなったことは悲しいことですが、穢れたことなのでしょうか。
もし穢れたことならば、遺族にとって、そして参列された方にとって、とても無残なことと言わねばなりません。
なぜなら、遺族にすれば一日も生き長らえて欲しいと介護されていたに違いない親族を、亡くなった途端に今度は穢れたものとして扱うというのですから。
さらに、縁あって参列した方にとってはどうでしょうか。参列された方々にとってみても、必ず亡くなっていかねばならない方々ばかりです。
その時期は決まっていませんが。
そうです、死亡率100%です。
人間は現在を生きるものですが、未来と過去をはらんだ今(現在)を生きています。
そうだとすれば、未来が塩を撒かれるような「穢れたもの」に向かって生きるということになります。
これとても、無残なことといわねばならないでしょう。
なぜなら、死は未来でありますが、当来のことだからです。
釈尊は6年の修行の後、35歳でお覚りを開かれる(成道)のですが、そのときの言葉は「我は不死を得たり」と伝えられています(無死ではありません)。
死は完全燃焼(涅槃・ニルバーナ)を示すことであると。
いろいろな死に方があります。
例えば、事業の途中であった、と。しかし事業の途中なら途中で、やはり終わったのである、と。事業の途中というのは「未練なのだ」と釈尊は言われているのです。
事実は死があるのですが、その途中という判断に私が迷わされているのだと、やっぱり迷っているのだと。
では、どういう場合を想定して「終わった」と現代に生きる私どもは言えるのか、でしょう。
長寿を全うした場合でしょうか。それはいくつまで生きた場合を言うのでしょう。
大変難しい問題をはらんでいます。
安楽死・尊厳死という言葉があることをご存知かと思います。
その定義は次のようです(参照「文芸春秋」2017年3月号 P242)。

安楽死:回復の見込みのない病気の患者が薬物などを服用し、死を選択すること。
尊厳死:患者の意志によって延命治療を行わない、または中止すること。

生まれる・死ぬという場にも人間の都合・思いが介入して、その評価が先行するという時代(生命科学と言われる分野が開かれてきた)になってきたということでしょうか。
それでは、逆に言うと「安楽なる生」「尊厳なる生」とは、いったいどんな生・生き方をいうのでしょう。
例えば、いじめなどで自死した子がでた場合などに、よく「いのちは尊い」と言われるのですが。
尊い・尊厳である、それがいのちであるということがぐらついてきているということでしょう。
さらに議論を深めていくことが必要であると思います。
なぜなら、死ぬ時は自分で決めていきたいと言いますが、では誕生の時はどうだったのだろうと逆に思わせられるからです。(続く)

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「真宗の仏事の回復」を願って
註)2011年に勤まった親鸞聖人750回御遠忌基本方針
テーマは「今、いのちがあなたを生きている」でした。
 
1979(昭和54)年、私は縁がありまして、無住でしたここ守綱寺に家族4人で入寺いたしました。
その頃、門徒さんの家に伺い、親鸞聖人の仏事(法事)であります「お取りこし」を初め、年回法事などを勤めていました。
各家に伺いますと、大抵、仏壇の引き出しの中に和紙に木版で印刷されたお勤めの本(360頁)、それに蓮如上人(本願寺8代)制作の『お文』(手紙を編纂したもの、カタカナ書き。5帖200頁)があり、その『お文』を拝読するのが楽しみでもありました。
その和綴じの『お勤めの本』も『お文』も、各頁左下の部分が薄黒くなっているのが常でした。
しかしそれは、汚いというより、年輪というか、繰り返し繰り返し読まれたことを示す、その家の尊い精神史を見せてもらっている様でした。
その一方で、その頃もそうですが、今でも『勤行本』は「正信偈」(親鸞聖人制作の漢詩、七言一句120行)は漢文のみで読み下しもなく、もちろん意訳は付いていませんでした。
私は当時、お勤めの後その家の方々とその本を巡って話をさせてもらっていました。
よく聞かれたのは「いったい正信偈というのは何が書かれているんですか?」つまり「なぜ読むのか?」ということです。
正信偈は漢詩ですから、意味がわからない…そういう訴えを聞かせてもらう様になりました。
そういう経験のなかから、「読み下し」と「意訳」を付けた勤行本を作製しようと組内の住職方に呼びかけ、賛同を得て1995年4月に『同朋唱和勤行集』として発行させてもらいました。
その後もご協力いただき、増補し3刷版を2013年11月に発刊することができました。
そういう歩みを重ねさせていただくなかで、上にに挙げた様に毎日繰り読みされて黒くなった『お勤めの本』『お文』を見せてもらい、漢文の「正信偈」・室町時代の古文である「お文」をとにかく毎日読めた(或いは読ませた)その原動力、生きることの根源にあった求めに応答するものが、ここにはあったに違いないと思わせられ、当時の農作業の大変さを思うとき、作業の始まる一日を正信偈で始め、正信偈・お文で終えていく、その生活を支えた文化というかライフスタイルが大変尊いものであったのだということに気づかされたことでした。

進化・進歩した人間は、「万物の霊長」と人間自身が勝手に自分で名付けているのですが、しかし、どうでしょうか。
「私たちはどこからきたのか、私たちは何者か、私たちはどこへ行くのか」(ゴーギャン 画家)という問いは、決して過ぎ去った問いではなく、先程の生きる上での「根源的問い」として、いつの時代も人は問われて在る者なのでしょう。
悩む者、なぜ悩むのか、と。それこそ基礎知力(基礎体力に対し)なのでしょう。つまり、問われてある者・人間ということではないか、と。
釈尊の遺された言葉に、「あなたは、あなたで在ればよい。あなたは、あなたに成ればよい」というものがあります。
「私たちは何者か」とは、決して古くさい問いではなく、人類の歩みを通して尋ねてきた問いと言えるのでしょう。

ご法事の折に「お坊さん、生きているものがわからないお経というものは、死んだらわかるんですか」と問いかけてくれた小学3年生ぐらいの子の純な表情の様な、「お経にはいったいどういうことが説かれているのか」という問いすら聞けなくなってしまっている現状からすれば、仏事(法事など)を勤めることが習俗としての通過儀礼とも了解されていく、つまり(少し極端な言い方と思われるかもしれませんが)非仏教徒を熱心に育てていることになっているのでしょう。
今月号から、こうした課題を担った儀式としてあった葬儀・年回法事をどのように私が受け止めさせていただいてきたのか、歩みのなかで考えさせられましたことを記させてもらおうと思います。
歩む力をいただいた万分の一のご恩返しと思ってくだされば有り難い事であります。(続く)

2016年4月

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久しぶりにインドへ仏跡巡拝に出かけました(2月18日~2月27日)。
インド仏跡巡拝は初めての方ばかりでしたので、まずは3ヶ所、『大無量寿経』を説かれた霊樹山・成道の地ブダガヤ・6年の苦行をされた後、下山された釈尊に苦行された身を回復されるための乳粥を捧げた村娘を偲んで作られたスジャータ廟、に参りました。
それと、釈尊滅後、その遺徳を讃えて作られたアジャンタ・エローラ石窟寺院へ。上に挙げた所では正信偈を共にお勤めし、感話をさせていただきました。

今回の巡拝では、特にニューデリーのガンジー記念館へ立ち寄りました。
イギリスからのインド独立の父と言われるガンジーは、彼の主宰する機関誌『ハリジャン』(1942(昭和17)年7月18日付)に「あなたがたの友であり、その幸いを祈る者である M・Kガンディー」の名で「すべての日本人に」と題して寄稿しています。
1942年7月という時は、ビルマ(現在のミャンマー)にまで侵略していた日本軍がイギリスの植民地からの解放という名分を掲げてインドへ軍を進めようとしていた時期です。
アヒンサー(非暴力・不服従)・サティアグラハ(真理による)というガンディーの行動を支えた信念の一片を紹介します。
全文で1万1千字余の原稿から、以下に抄出して掲載します。

世界の列強と肩を並べたいというのは、あなたがたのりっぱな野望でありました。
けれども、あなたがたの中国に対する侵略や枢軸国との同盟は、たしかに、そうした野心が昂じた不当な逸脱だったのです。
(中略)わたしたちは、あなた方の政策やナチズムにも劣らずわたしたちが嫌悪している帝国主義に反抗しなくてはならないという独自の立場に置かれています。
帝国主義に対する私たちの反抗は、イギリス人に危害を加えるという意味ではありません。
わたしたちは彼らを改心させようとしているのです。
それは英国支配に対する非武装の反乱です。
いまやこの国の有力な政党(国民会議派)は、外国人の支配者たちと、決死の、それでいて友好的な闘いを交えているのです。(略)
インドから英国勢力の撤退を要求するわたしたちの運動を、どんなことがあっても誤解してもらってはなりません。実際、伝えられるとおり、あなたがたがインドの独立を熱望していられることを信じてよければ、イギリスがインドの独立を承認した場合、あなたがたはインド攻撃の口実を失うはずです。さらに伝えられるところのあなたがたの宣言(1941(昭和16)年12月8日の米英に対する宣戦布告)は、あなたがたの無慈悲な中国侵略と矛盾しています。(以下略)
(『わたしの非暴力 2』「67 すべての日本人に」みすずライブラリー 1997年9月 みすず書房発行)
(今月は、「和讃に学ぶ」は休載させてもらいます。)

「急ぐことには、どこか間違いがある」

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8月14日、安倍談話が発表されました。
この談話の後半の中程に、まず
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
とあり、その少し後に
「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。」
とある、これらの文面に注目させられました。
この談話は、安保法制について国会で衆議院での委員会と本会議において強行採決が行われた直後に発表されたものだからです。
「自らの行き詰まり」、つまりこれを今回の安倍政権の行為に当てはめれば、第9条を有効に使い切る知恵がないために、「積極的平和主義」の名のもとにこの国を戦争に追いやる法案の採決を強行したのです。
「あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言う直前にです。
安倍さん、あなたは集団的自衛権を行使できる「戦争法案」を無理矢理成立させ、その法案によって、子や孫を戦争に狩り出し、そしてその戦死者への責任を、今後どのように取るつもりですか?「あの戦争」は過去の戦争です。
しかしあなたは今、この国を、その戦争に巻き込もうとしているのです。
憲法、特に第9条の行使の仕方については、沖縄の尊い苦難の経験に、我々内地の者は学ぶべきではないかと思います。
憲法愛国主義こそは、新しい憲法が日本に誕生したそもそもの理由だと思われるからです。
安倍さん、辺野古休戦も支持率を上げるためですか?そうでなければ、大いにこの1ヶ月、(他の国会議員も)沖縄に行って学んできてください。
摩文仁の丘にある、アメリカ軍も含めた沖縄戦の全戦没者(軍人・民間人)の慰霊碑(平和の礎)に参拝してから、あらためて「積極的平和主義」の内容を確かめて欲しいと思います。

註)「平和の礎」刻銘者数 2013年6月20日現在
日本 沖縄県 149,291名  外国  米国   14,009名
県外   77,364名      英国       82名
台湾       34名

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守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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