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今日も快晴!?2017年3月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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6年生の次男が、小学校を卒業するまであと一ヶ月を切る時期になりました。
身長はこの一年間で10センチ近く伸びて、ランドセルが飾りのようにちょこんと背中に乗っています。
毎朝玄関で「行ってらっしゃい」と見送るのですが、ランドセル姿もあとわずかと思うと、じんわり涙がにじみます。
小学生男児らしく、毎日誰か友達と遊ぶ約束をして来て、6時間授業で4時半頃に帰宅した日でも「遊びに行ってくる!」と飛び出して行きます。
そうかと思うと、自分の部屋にこもって扉を閉めて本を読みふける時間も増えました。
目立って反抗期というわけではありませんが、時折(何を考えているのかな?)と思うこともあります。
私は次男について、大変な思い違いをしていました。
自分が三姉妹だったので、友人から聞きかじった話をお手本に、「男兄弟はライバル関係にあり、仲が悪いわけでは無いけれど、成長したら進んで連絡を取り合うことも無くなり、滅多に口も聞かなくなる」といった兄弟像をイメージしていました。
幼い頃は、「物静かな長男と元気な次男」というイメージだったので、極力違った方面のことをさせて、二人が同じ土俵で勝負することが無いように、互いに違った分野で力を発揮できるようにと考えていたのです。
ところが、(活発な次男に向いているだろう。
左利きを活かせるし)と連れて行ったスポーツ教室は、1年半ほどで「やりたくない」と言いだし、あっさり止めてしまいました。
次に次男が自分から「これをやりたい」と言い出したのは、長男が通っていた「クルマづくり究めるプロジェクト」というものづくり系の活動でした。
中学に入ってやりたい部活は、長男と同じ「ロボット部」だと言います。「兄弟で競わせるのは止めよう。違うことをさせよう」というこちらの意図に反して、次男は長男と同じことばかりやりたがるのです。
最近になって、ようやく(ああ、次男は長男が大好きで、憧れのお兄ちゃんで、同じことがやりたいんだ)と気づきました。
二人は本当に仲良しで、喧嘩もせず、毎日学校から帰ると二人で延々と楽しそうに好きな漫画や小説、アニメや音楽のことなど話し続けています。
子どもは、親の思いを超えて育ってゆきます。
(この子はこういう子だろう)という固定概念を易々とぶちこわして、思いも付かないような面を見せてくれます。
毎日、「今日の晩ご飯は何~?」と言いながら帰宅する子ども達に、あと何年ご飯を作ってあげられるのだろう?
「次はこれ読んで~」と、毎晩寝かしつけの読み聞かせをねだる子どもに、あと何冊本を読むことが出来るだろう?
次男は4月から一体どんな中学生になるのだろう?
学校で過ごす時間も増えて、部活、テストの成績、反抗期等々、親としては(こんなはずじゃ無かった!)と思うことも多々あるとは思いますが、「どんな風になっても大丈夫。どんなあなたでも愛していて受け止める」と、言ってあげられるかどうか。
まだまだ親が試される日々が続きます。

お庫裡から 2017年2月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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大寒には大寒波がやってきて、当地にも一日雪が降り積もりました。
大雪で難儀をされている地方の皆さまには、お見舞い申し上げます。
孫達は、久しぶりの雪に大はしゃぎ。
一日中、外遊びに興じておりました。
私も確かに孫達と同じ年令は通っていて、あんな頃もあったはずだと思うものの、今は寒さに家から一歩も出ない日が多くなっています。
携帯が壊れ、新しく買い換えました。
年々に機械の操作が面倒で、不携帯のことも多く、便利な道具なのに、使い切れていないのが現実です。
最低、基本の操作は覚えようと新しい携帯を操作していたら、歩数計がついていることがわかりました。
私の手元に来てからの毎日の歩数が全部記録されているのです。
おまけに、消費カロリーまで。
436歩、1410歩、2329歩、1604歩。
消費カロリーは、14カロリー~22カロリー。
もちろん、携帯を携帯している時間の記録なので、正確なものではありませんが、毎日摂っている食品のカロリーを考えても、消費されないものが体内に残って蓄積されていくのかと思うと、ちょっと怖いものがあります。
一度、朝起きてから一日の歩数を計ってみたいものだと思いながら、それも果たせずにおります。
「寒い時には暖を取っておいしいものを食べ、体力をつけ春を待つのがよろしく候。それが冬を乗り切る秘策に候」と、良寛さんならぬ私めが独りごちしています。
この寒い冬を、どうか皆さまお元気に乗り切ってくださいませ。

今日も快晴!?2017年2月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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「子ども食堂」という活動が気になっています。
育児放棄、虐待などで満足に食事を与えられない子どもに、無償または安価で食事を提供する活動です。
「子どもの貧困」という言葉も耳にする機会が増えましたが、お腹を空かせてすさんだ気持ちでいる子どもがいると思うと、本当に切なく苦しくなります。
何か出来ることがあればしてあげたい思うのですが、よほどの覚悟と周囲の体制が整ってからで無いと、自分の家族を犠牲にすることになっては本末転倒です。
まだその時期では無い、だけど気になる・・・ともやもやしている時に、NHKスペシャル「ばっちゃん~子どもたちが立ち直る居場所」という番組を見ました。
ばっちゃんこと中本忠子さんは、広島で保護司として子どもたちと関わる中で、「罪を犯す子どもたちは、お腹を空かせている」という事実に気付き、30年以上子どもたちに無償で食事を提供する活動を続けていらっしゃいます。
番組の中では、金髪の子、虐待を受けている子、刑務所から出てきた子、住む家を失った子・・・様々な子どもがばっちゃんの家にやってきて、温かい手作りの食事を振る舞われます。
「腹が減ると(これくらいいいじゃろ)と、考えなくなる」、「手作りいうんは一番良い。それで子どもたちは収まる」と、ばっちゃんはご飯を作り続けます。
ばっちゃんは、子どもたちが空腹から非行に走り、社会全体に広がる不寛容の空気のせいで立ち直りがむつかしくなっていると感じています。
子どもたちは悪循環から抜け出せずにいて、子ども3人がばっちゃんのところで世話になったという母親は、全身に入れ墨を入れ、自分もまた親の愛情を知らずに育っていたのでした。
「こんなに大変なのに、なぜ続けるのですか?」取材している記者は繰り返しばっちゃんに尋ねます。
「続けているのは、きっとそこに何か喜びがあるのでは?」との問いに、ばっちゃんは「辛いば~っかで喜びなんかありゃせん!」と、ぴしゃりと言います。
「子どもに面と向かって『助けて!』と言われたことの無い人間には分からん」というばっちゃんの言葉から、簡単に「子どもたちの笑顔を見ると元気になります。こちらが癒やされます」などと言えない、厳しい現実があるのだろうと思いました。
一緒に番組を見ていた次男に、「ねぇ、お母さんもばっちゃんみたいに困っている子どもを助けてご飯を作ったりしてあげたいんだけど、もしそんな活動を始めたら、そっちの方が忙しくて誓くんたちが寂しくてぐれちゃうかもしれないから、まだやれないなぁ」と言うと、「そうだね。ぼくがこっちの側(=インタビューを受けていた刑務所から出たばかりの子)に行っちゃうかもしれないもんね」とさらりと言います。
本当にそうです。まずは自分の子どもに寂しい思いをさせないようにしないといけません。
一人の人間を育てるということは、本当にものすごい労力のいるとてつもない大仕事だと思っています。
時短や手軽さばかりがもてはやされる今ですが、子育てだけは手短に・・・というわけにはいきません。
子どもたちが「お母さん、もう良いよ」と言ってくれるまでは、お金は掛けなくても手間暇だけは掛けてやりたいと思います。
ばっちゃんになれなくても、子どもたちの母業は全うしてゆきたいと思います。

今日も快晴!?2017年1月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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先日、弁護士の間宮静香さんの「大人の都合と子どもの人権~小さくても一人の人間だから~」という講演会に参加しました。
間宮さんは、春に子どもの通う高橋中学校にいじめについての講演に来られていて、その時のお話もとても印象に残るものでした。
弁護士として実際に担当された子どもさんの例を交えながらの講演は、事実に裏付けされたとても説得力のあるものでした。
「うん、うん」と頷くことばかりでしたが、記憶に残っている部分を少しまとめておくと、、
「傷害事件を起こして捕まる子どもは、ほぼ殴られて育っている。」
「子どもは、自分が幸せでないと『寂しい。おれを見てくれ』と非行をする」
「子どもは、自分が大切な存在だと分かれば、自分で問題を打破できる力がある。
自分は受け入れられているという実感が重要。
だから、子どもの気持ちを優先する、
子どもに自分のことを決めてもらう、大人は子どもの力を信じてサポートする。」
「愛された実感のある子は、時間が掛かっても戻ってこられる。けれど、一度も愛された実感のない子は時間が掛かる。ネグレクト(育児放棄)を受けた子どもは、人間関係の構築が難しい。」
「見守ることの大切さ・・・傷が深ければ深いほど回復には
時間が掛かる。子どもが10年後に幸せならそれで良し。大人が焦らない。」
中でも、「大人にとっての『子どものため』から、子ども中心の視点に戻すこと」という部分は、タイトルにもある「大人の都合」とも重なる内容で、本当に親として気をつけなくてはいけないと思いました。
例えば(この例は講演の内容ではありませんが)、受験の時期にありがちな「ちゃんと勉強しなさい!高校くらい行かないと!あなたのために言っているのよ」と言う言葉が、実は「中卒の子どもを持つ自分(親)が恥ずかしい」というように、「子どものため」ではなく、「親の都合。親が自分の面子のため」に言っていることがあります。
子どもは、親の本心を的確に見抜いて傷つくのだと思います。
我が家も来年はいよいよ長男が受験の年を迎えますが、「子どもは親の所有物ではない」、「子どもを一人の人間として尊重する」という基本姿勢は崩さずに、「この子が将来、どういう大人(人間)になって欲しいと思うのか」を考えて、子どもと向き合って行きたいなと思いました。
また、「ネグレクト(育児放棄)」と言う言葉は、最近よくニュースでも聞きますが、「愛された記憶の無い子ども」なんて、想像しただけで胸が苦しくなりました。
最低限自分の子どもたちは十分な愛情で満たしてやりたいと思いますが、私たち大人は、今虐待を受けたり、辛い気持ちで毎日を過ごしている子どもたちに一体何が出来るのでしょうか?
間宮さんのお話で、「ある子どもが、道を歩いていてすれ違った人に『おはよう』と声を掛けられて、自殺を思いとどまった」というエピソードがありました。
その他、親や血のつながりは無くても、(この人は信じられる)という人と出会うことで、子どもが立ち直ってゆくきっかけになることもあるそうです。
大人の姿勢が問われているのだと思います。

今日も快晴!?2016年12月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】

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長男が中学校に入学し、しばらくしてから中学の読み語りボランティアに参加することになりました。
小学校の読み語りに比べると、聞き手の子どもたちが大人に近づいている分だけ選書には気を使います。
小学校よりは内容のしっかりしたものを・・・、腰を据えて15分間聞いてもらえる内容を・・・ということで、今月は「世界で一番貧しい大統領のスピーチ」(くさばよしみ 編:中川学 絵 汐文社)を選びました。
この絵本は、2012年のブラジルのリオデジャネイロで開かれた国際会議の場で演説されたウルグアイのムヒカ大統領スピーチを元にした絵本です。
このスピーチが非常に素晴らしかったとネット上でも評判になっており、2014年に絵本の形で出版された翌年は、Amazonの絵本のランキングで第一位となっています。
目で読んでいても素晴らしい内容だと思いましたが、教室で子どもたちを相手に読むと更に言葉に輝きが増し、(ああ、やはり元々スピーチとして書かれたものは、声に出して読むことできちんと伝わるようになっているんだなぁ)と感動しました。
絵本の中身を少し紹介したいと思います。

「・・・わたしたちの頭には何が浮かんでいるでしょう?もっと豊かになって、欲しいものがどんどん手に入る、裕福な社会を望んでいるのではないでしょうか?・・・70億や80億の全人類が、今までぜいたくの限りを尽くしてきた西洋社会と同じように、ものを買ったりむだづかいをしたりできると思いますか。・・・私たちは、もっと便利でもっと良いものを手に入れようと、さまざまなものを作ってきました。おかげで、世の中は驚くほど発展しました。しかしそれによってものをたくさん売ってお金をもうけ、もうけたお金で欲しいものを買い、さらにもっとたくさん欲しくなってもっと手に入れようとする、そんな社会を生み出しました。・・・そんな仕組みを、わたしたちはうまく使いこなしているでしょうか。それともそんな仕組みにおどらされているのでしょうか。・・・私たちが挑戦しなくてはならない壁は、とてつもなく巨大です。目の前にある危機は、地球環境の危機ではなく、わたしたちの生き方の危機です。・・・人のいのちについてはどうでしょうか?私たちは発展するためにこの世に生まれてきたのではありません。幸せになろうと思って生まれてきたのです。・・・水不足や環境の悪化が、今ある危機の原因ではないのです。ほんとうの原因は、わたしたちが目指してきた幸せの中身にあるのです。見直さなくてはならないのは、私たち自身の生き方なのです。・・・わたしが話していることは、とてもシンプルなことです。社会が発展することが、幸福を損なうものであってはなりません。発展とは、人間の幸せの見方でなくてはならないのです。人と人とが幸せな関係を結ぶこと、子どもを育てること、友人を持つこと、地球上に愛があること、こうしたものは、人間が生きるためにぎりぎり必要な土台です。・・・」

繰り返し語られる
「今ある危機は、私たちの生き方の危機である。私たちが目指してきた幸せの中身にある」
という言葉は、真実を語っていると思います。そして、
「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっとと欲しがることである」
という言葉も心に響きました。

今日も快晴!?2016年11月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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 先日、久しぶりに電車に乗る機会があり、車内で読もうと持参した本がかなり面白かったので紹介したいと思います。
『日本の男を食い尽くす タガメ女の正体』(深尾葉子著 講談社+α新書)です。
まず、タイトルになっている「タガメ」。
これは田んぼなどに住む絵本などでもお馴染みの生き物ですが、獲物を捕まえて捕食する様がかなりショッキングなのだそうです。
まず、泥の中に身を潜めてじっと獲物がやってくるのを待ち、カエルが近くにやって来たらガバッと飛びつき、鎌状の前足でがっちり挟み、鋭い注射針のような口吻(こうふん。くちばしのようなもの)を獲物に突き刺し、チュウチュウ体液を吸い尽くすのだそうです。
この映像を見ていた著者は、「これって、男と女の関係にそっくりじゃないか」と気づいたそうです。
女は男をがっちり捕まえ、月一万の小遣いで身動きが取れないようにし、チューチューと夫の収入と社会的リソースを吸い尽くす。
男達は、最初はバタバタともがくも、やがて諦めたようにぐったりし、最後は骨と皮ばかりになって死んでゆく・・・。
女は「扶養家族」という言葉が示すとおり、「養われる存在」というのが戦後の日本では一般的でしたが、 実は、女性の方が男性に「選ばせる」ように仕向けている、そして、逃げないように捕まえている・・・。
相手の自由を奪うことを、古い言い方で「箍(タガ)をはめる」と言いますが、タガメ女の「タガ」はこの言葉とも重なります。
相手を箍にはめる女=箍女(タガメ)。
著者は、タガメと箍女(たがめ)、両者のイメージが重なることにも着目します。
タガメ女は、家族に約束を守る事を強要し、夫や子どもに「夫とは、子どもとはこうあるべき」という箍をはめてゆきます。
そして、自分をも「女の幸せとはこうあるべきだ」、「家庭とは、こうあるべきだ」という箍で縛ってゆきます。
著者は、「タガメ女」とそれに吸い尽くされる「カエル男」を観察し、様々な角度から分析します。
そうすると、社会で起きている様々な事件や問題が、「タガメ女が引き起こすもの」という視点で読み解くことが出来るようになってゆきます。
例えばDV(家庭内暴力)は、「箍」をはめられた男性が家庭や夫婦関係に息苦しさを感じ、「箍」をはずそうと必死にもがいている現れ。
子どもたちは、「箍」に対する不満と欲求不満のはけ口を第三者に向けて爆発させる(ホームレスの襲撃事件など)。
ママ友トラブルは、均質化を求めるタガメ女が異質なものを排除する様子であり、例えば郊外のベッドタウンの幼稚園のママ友サークルでは、そこにいるママは、だいたい同じようなファッションで、同じような髪型で同じようなものを持っている。
ママ同士の決めた子どもとだけママの監視下で遊ぶことを許され、子どもの自由な意志はそこにはないetc・・・。
実際に自分の身近にはあまりこういう人はいないように思いますが、流行しているドラマや新聞記事にこうした事例は事欠きません。
タガメ女にならない秘訣は、「一人一人が自分の頭で考え、自分の魂と向き合って正直に生きる」ことだそうです。
お寺でいつも聴く「自分の人生の主人公は自分である」、「あなたはあなたになればよい」という言葉は、そういうことじゃないかと思いました。

今日も快晴!?2016年10月

テーマ:今日も快晴!? 【若坊守】
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9月12日の朝に、三重に住む母方の祖母が亡くなりました。
92歳でした。
悲しい出来事ではありますが、母の手術の予定が変更になるなど奇跡的なことが重なり、家族皆揃って葬儀に参列することが出来ました。
悲しいながらも、「絶妙のタイミングだったよね。
みんなで葬儀に参加出来て本当に良かったね!」と話している内に皆笑顔になり、
「おばぁちゃん、ありがとう!」という気持ちで見送ることが出来ました。本当に良い葬儀でした。円称寺の門徒さんたちも皆で一緒に本堂でお勤めをして祖母を送って下さり、皆から愛され、惜しまれる祖母の人柄が偲ばれました。
祖母と同居していた叔父夫妻も、だんだん衰えてゆく祖母の世話は大変だったと思いますが、いつも笑顔で優しく祖母に接してくれている様子を見て、本当に頭が下がりました。
私たち家族は、8月の後半に5人揃って祖母に会いに行っていました。
もう目も開かず、口をぽかんと開けて寝続ける祖母の姿を目の当たりにし、(これは、もう長くは持たないだろうなぁ・・・)と、肌で感じました。
「おばぁちゃん、おばぁちゃん」と何度も名前を呼んで手を握り、足をさすり、耳元で子どもたちも一緒に「ふるさと」を合唱し、(もう思い残すことはない。いつお別れが来ても大丈夫)と納得して帰ってきたので、晴れやかな気持ちで葬儀を受け入れることが出来ました。
東京の妹たちも、夏休み中にのの葉ちゃんを連れて祖母に会いに行っており、ほとんど意識の無い様子を見ていたので、
「おばぁちゃん、もう十分だよね。今までよく頑張ってくれたよね」と状況を理解して受け入れていました。
妹たちは東京から葬儀に駆けつけてくれて、一緒に涙を流しながらも「ののちゃんを見てもらえたし、私たちも大満足」と、笑顔で賑やかに見送ることが出来ました。
おばぁちゃん、人が年を取るとどうなってゆくのか、身をもって教えてくれてありがとう。
認知症を患い、出来ない事が増えて、言葉が消え、表情が消え、車いす生活から施設で寝たきりになり、だんだん衰えてゆく様子を全部見せてくれてありがとう。
棺の中で、本当に穏やかな表情でいてくれてありがとう。おばぁちゃん、とても綺麗でした。
でも肌に触れると冷たくて、(ああ、もう血が通っていないんだな)と感じることが出来ました。
そして、火葬場では、私たち孫や、ひ孫たちにも骨を拾わせてくれてありがとう。
いつも耳にしていた「白骨の御文」の言葉が、身に染みました。
こうして人は、仏さまの国へ帰ってゆくのですね。
お内仏で、また本堂で、いつもお念仏をする姿を見せてくれてありがとう。
人はいつか必ず年を取るし、病気にもなるし、最後には必ず死んでゆかねばならない。
必ず死んでゆく命を生きる私たちが、どういう人生を頂いてゆくのか・・・。
おばぁちゃんの死から大切な課題を頂いて、私もまた、いずれ死んでゆく命を大切に生きてゆきたいと思います。
きちんと自分の人生を生ききった姿を、そして死にきってゆく姿を見せてくれて本当にありがとう。
おばぁちゃんの孫として産まれて本当に良かった。南無阿弥陀仏。
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プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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