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今月の掲示板 2017年3月

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  あいつは鬼みたいなやつだと言う
  都合がいい事が好きで
  都合の悪い事の嫌いな
  私の根性が、鬼を見ている

  われわれは迷っていると
  ありもしないものを見て
  それに脅かされたり
  腹を立てたり
  苦しんだりしている

  我々は、根本の問題を見失っている
  その根本の問題を見失っている我々に呼びかけて
  我々を根本の問題に呼び返すところに
  本願念仏の教えの大事な意味がある

  自分の始末がつかない
  自分の始末がつかないものだから
  あらゆる問題の始末がつかない

  自分の始末がついたときに
  一切の問題は
  片づかないままに片づく

  煩悩の根っこになっているのが
  分別(はからい)です
  これを破るのは大仕事です

  人間は色々のことで悩んでおる
  けれどその一番もとには
  自分に悩んでいるということがある

  色々のことに困っておる
  色々のことに困る一番のもとは
  自分自身に困っているということがある

 

今月の掲示板 2017年2月

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人生については
誰もがアマチュアなんだよ
そうだろう

今の人は、いくつになっても
“自分探し”が好きだけれど
ちょっと、自分を探しすぎ
求めすぎですよね

上を目指すことばかりにとらわれて
現在を否定してしまったら
どんどんしんどくなっていく

与えられたものに満足し
そこでできることをやっていく
そういう生き方も
悪くないんじゃないでしょうか

今ある自分をしっかり生きれば
それは、きっと明日につながっていく
(ここまで、プロデューサー・河毛俊作 ビッグイシューより)

私たちは
死ぬとき、どうやって死ぬのだろう
死ぬときの言葉ってありますか
昔の人は「南無阿弥陀仏」と言って死にました
今のあなた方は、何と言って死ぬんですか
(佐藤正英)

あなたはあなたに成ればいい
あなたはあなたで在ればいい
(釈尊)

今月の掲示板 2017年1月

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  君は何しに
  この世に生まれてきたんだね 西村見暁

  平和、平和と君は言うが
  君は
  平和の人なのかね

  悩むというのは
  人間の基礎知力なんだよ
  せっかく悩んでいるのだから
  その悩みを
  深く掘ってみたらどうかね

  育児は育自

  勝つとか負けるということを考えている限り
  一つになれることはない

  私の身にふりかかるご縁が
  常にそこを「どう生きてくれますか」と
  私に問いかけている

  惑い、苦悩した時こそ
  立ち止まらねばならない

今月の掲示板 2016年11月

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凡夫はすなわちわれらなり
  凡夫というは 無明煩悩われらが身にみちみちて
  欲も多く いかり 腹立ち そねみ ねたむ心おおく
  ひまなくして 臨終の一念にいたるまで
  とどまらず きえず たえず(『一念多念文意』より)

  珍らしいこった 珍らしいこった
  凡夫が仏になるちゃな
  こがな珍らしいことが他にあるかいや
  有難いぞなぁ
  ナムダミダブッ ナムアミダブッ (源左)

  困ったときには
  お念仏に相談しなされや (源左)

  宗教観が痩せているということは
  人間についての見方が浅いということにもなる
  人間について浅い見方しかできないと
  人間の引き起こす、深くて巨大な問題に
  お手上げになってしまう (阿満利麿)

  どんな人も個性的である
  その個性を
  自分自身で受けとめていけるかどうかだ
  まわりを見る分別に
  自分がつかわれていて、自分を失う

  限定されたいのちをいただいて
  私は何をしていくのか

  悩んでいるときにも
  すでに与えられている事実がある

  いただいたいのちは
  今、私に何を願っているのか
  生涯を一貫する願い
  それは何だろう

  あなたは あなたに成ればいい
  あなたは あなたで在ればいい (釈尊)

 

今月の掲示板 2016年10月

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  いのちより尊いものがみつからなければ
  いのちは尊いと言えません。
  いのちは大切だ、いのちは尊いと
  どこでいえるのでしょうか。

  欲望は、かなえば必ずあたりまえになっていきます。
  私達は、何を願って生きているのだろう。

  私の根本の願いは
  私の様々な欲望の下にかくれています。
  その人、その人が、意識して
  自分で見出していかねばなりません。

  効率、能率という道具をはかる物差しで
  いのちをはかっていませんか。
  いのちがあるとは、どういうことでしょう。

  私達は、これが自分だと思っているものに
  ずーっとひきずられている。

  どちらか一方が正しいと信じて疑いもしない人間は
  もう一方を理解しがたい他者として
  非難して取りのぞこうとするかもしれない。

  理想をかかげ、声高に自分の主張をする人間は
  しばしば、そういう己のおごりに気がつかない。

  自分は正しい、そう強く思う時ほど注意深くなろう。
  物事は表裏一体。
  どちらか一方の側から見ただけでは見えない景色がある。

今月の掲示板 2016年9月

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  人は社会から認められて許されて生きるのではない。
  まず、自分がいて生きてみせる。
  そういう一人一人がいやおうなく関係を結んで、
  社会なるものが出現するのだ。

  社会に役立とうが役立たまいが
  人はすべて生きよ。
  お前の生にはそれだけで意味がある。
  まず、自分が生きるように「自分」に命じられている。

  自分の分限を知るのは、
  わが人生を歩み通す上での第一歩なのだ。

  自分は、欠けるところのない人格なのだし、
  森羅万象とも、他者とも創造的な生ける交わりをする上で、
  何の支障もないと自得すること。
  それを、分限を知るという。

  火山は爆発するし
  地震は起こるし
  台風は襲来するし
  疫病ははやる。
  そもそも人間は、地獄の釜の蓋の上で
  ずっと踊ってきたのだ。

  人類史は即災害史であって
  無常は自分の隣人だと
  ついこの間まで人々は承知していた。
  だからこそ、
  生は生きるの値し、輝かしかった。

  特別な才能はなく、平凡であっても
  自己はちゃんと実現されております。

今月の掲示板 2016年8月

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  あなたは
  何をもって自己としていますか。

  人間のもつ知は
  ものを作り出す力を持っています。
  しかし、もっともっとで
  人間の知からは
  決して満足が生まれないのです。

  便利で快適を追求してきた人間は、
  進歩しているのだろうか。
  むしろ、退化しているのかもしれない。

  人間は、
  自分の心によって悩まされている。

  できること
  しなければならないこと
  やりたいこと
  この3点が1つになったとき
  満足のあるいのちを生きることができる

  命という字は
  口と令でできています。
  口はことば
  令もことば
  私のいのちは
  ことばによって生きている。

  仏教は
  仏の教えであるとともに
  それによって
  人間が仏に成る道である

  尊厳死ということばはあるが
  尊厳生ということばがないのが不思議です。
  生まれて、こうして生きている。
  それを尊厳(尊く厳か)と感じられない
  人間の悲しさよ

 

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プロフィール

守綱寺

守綱寺

守綱寺は、「槍の半蔵」として有名な
渡辺半蔵守綱の菩提寺として1644年に建立されました。
浄土真宗(親鸞聖人)の教えを伝えるお寺で、
「南無阿弥陀仏」を唱えます。

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